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自分以外誰もいない恐怖

数日前に『思い込みたいシンドローム』というタイトルで記事を書きました。


その記事にいただいたコメントで、紛らわしい表現をしていたことに気づいたので、改めて記事にすることにしました。

「気づいた瞬間、誰もおらんかったってゆう恐怖に襲われることがある」という内容のことを書きましたが、自分以外の誰もおらんかったってことです。

非二元論ノンデュアリティで言われる私もいないってのとは違って、恐怖を感じてる自分はいます。 

そのとんでもない恐怖を感じるのは一瞬なんですが、その恐怖に至るための理由となることも私の中で一瞬起こります。

その恐怖の理由は、私以外に存在する人やもの、動物に植物、とにかく全てのもの(恐怖を感じるときはこんな風に具体的に感じてはいません)が、自然とそこに存在してたんではなくて、私が生み出していた。それに気づく。一瞬なので、あれこれこんな風に考えてはいません。今言葉にするとこんな感じです。

思い通りにならない現実に翻弄されて生きてると思っていたけど、実はすべてが思い通りになっていたとゆう恐怖。それのどこが恐怖やねん!て思うかもなんですが、これはとんでもない恐怖です。こう書いてる今はその恐怖をリアルにはもう感じられず、あのとき確かに恐怖を感じていた自分ですら、これを読むと恐怖感全くない!伝わらん!と思ってしまうのですが笑。
 
20年ほど前に、『シックスセンス』という映画がありましたが、ブルース・ウィリス演じる精神科医が、実は自分は死んでいたと映画終盤で知る時の衝撃、ゾゾーとする感じと似ている気がします。

これだけ思い通りにならないと思ってる世界で、どうにかこうにか思い通りにしようと引き寄せの法則だなんだと、誰もが、思い通りになった先の幸せを望んで生きてるけど、実は思い通りになってたことの恐ろしさ。だって自分だけしかおらんかったんやもん。

なぜかわかりませんが、

自分だけしかいない = 思い通りになる世界

という設定に勝手になってます。なので、「だって」となります。


思い通りにならないことの安堵感。
思い通りにならないことは、私以外の誰か、なにかの存在を確かに感じられる。
ひとりじゃないことの安心感。


書いてて思いましたが、分離感が強いということでしょうか?!
 

『あーすじぷしー』という双子の姉妹の本があるのですが、妹のまほちゃんが、ペルーで聖なる真実という儀式を受けた時の体験が載っていて、その時の感覚が似ている気がします。読んだことある方いてるかな?

本には書いてないのですが、その体験をして帰国後ひと月程(だったかな)はおかしくなってた、生きる意味を見失ってたそんなことを話されてた気がします。


リアルにそれを感じ続けてたら、きっと発狂して生きてられないんでしょうね。だからなのか、私も一瞬だけ感じるけど、それで終わり。

なので、一瞬感じるのに、そんなことはサッと忘れて普段通り。思い通りになってる世界!とかそんなことリアルに感じられない日常です。

じゃあなんのためにあの一瞬が私に必要なのか?!それはわかりません。


まあ、なにがほんとかほんとじゃないかは、あなた次第ですからね!笑







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