私を構成するもの、天使と悪魔。
自分の中から溢れてくる可愛らしい気持ちが愛しいとこんな記事を書いた。
その翌日、こんなことをつぶやいたまま公開せず下書きに残していた。
その翌日、ふだんお風呂を嫌がりなかなか入らない父が、珍しく素直に入ってくれた。
去年の12月なかばから今年1月までひと月と少しコロナで入院していた父は、退院後、家で入浴したことがなかった。2月から通い始めたお風呂が売りのデイサービスで何度か入れてもらっていた。最初は気持ち良いと喜んでいたのに、ある時から嫌がり、デイサービス自体も行かなくなった。
というわけで自宅での入浴は、退院後初である。
入院する前は、お風呂沸いたから入ってやと言い残し、後は父に任せていた。でも退院後、色々不安要素があるので、一緒に風呂場について行き見守っていた。
立った状態で服を脱ぐのが大変そう。上は問題ないが、ズボンやパンツが足首にひっかかるのを手を伸ばして脱ぐことができない。でも自力で両足を使って器用になんとか脱ぐことができた。
その後の難関。団地の浴槽は高さがあり、かなり足をあげないといけない。高齢者にはかなり厳しい高さである。だが、これまた両手で手すりと壁を支えにしてなんとかイン!ゆっくりと体を浴槽へ沈めていった。
「気持ちいいな〜」
嬉しそうな様子に、私もあーよかったーとなる。
「背中は私が洗うから風呂から出る前に呼んでー、この辺でなんかしてるから」と言い残し、父の部屋の掃除とかする。
しばらくすると、風呂場のドアが開く音が聞こえた。まさか?!と思って行くと、もう上がるわと出てこようとしている。無事浴槽から出られてよかったけど、体洗うから!と。
その後、父の体を洗った。洗いながら、父も私が洗いやすい向きに難しいながら色々変えようとしてくれる。お互いの協力作業。
前日、「父へは微塵も愛しさが出てこない」とつぶやいたけど、父への憎悪にも似た感情は柔らかなものへと変わっていた。
父と一緒に暮らしていると、私の中の天使と悪魔が日々コロコロと顔を変えて出てくる。
父の死を心から望んでしまった初めてのとき、ひどいと思った。こんなことは誰にも知られてはいけないと。自分の死を望まれるなんてと自分が年老いたときのことを想像してなんとも言えない気持ちに。でも湧いてくる本心だった。だからこその怖さがあった。
最初はショックだったものの、介護経験者の本を読んだりして、あるあるなんかもーと気が楽になった。
今ではそんな気持ちが湧いても、そんなものーと気にならなくなった。
どっちもあっていいのだ。
死んでしまえ!と思うこともあったり、嬉しそうな様子に、よかったーと思うこともあり、そうゆうものなんだと。
自分から湧き上がる気持ちは、ほんとはなんだって愛しいのだ。
そんなとこから出たつぶやき。
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