全ては今のため。宇宙の流れを感じるとき
私は現在、好きなことをして生きている。
好きなときに起きて、好きなときにご飯を食べ、好きなときに昼寝をする。
好きなときに散歩に行き、好きなときにおやつを食べ、好きなときに会いたい人に会いにいく。
好きなときに好きなことをし、好きなときに好きなところに行く。
働いていないので自由だ。
2年前の4月からこの自由な生活をしている。
自分が心からしたいと思うことだけをして生きていこうと決め、働いていた雑貨屋を辞めた。1年半も働いていなかった。
貯金のできない私だったが、2018年12月に近くで一人暮らしをしていた父の元に引っ越し、生活費が楽になったおかげで、辞めるときに少しお金が残っていた。
その後この2年の間、フェルトで作った地球ちゃんや水彩イラストを販売したり、失業給付金や友達のカフェで月に数回働かせてもらったりで生きてきた。少ない年金で暮らす父にもお世話になった。
それでもどうにもいかなくなり、キャッシングに手を出し、このまま働かず好きなことばかりしててもいいのか悩んだのが去年の秋頃。それでも、働けなかった。好きなこと以外したくなかった。
そして、そんな経済危機が去年末、奇跡的に救われた。
本気で決めたら、絶対なんとかなるということがわかった。
決めるというか、そうしかできない自分になっていて、それがきっと魂が望むことやったからなんとかなったのかなあとも思う。
今書いたことは、過去に記事にしたことである。
実は、同じように好きなことだけして生きていきたいと思って仕事を辞め、失敗したことがある。いや、実際には大成功なんだが。
2018年6月に3年ほど働いたコーヒーショップを辞めるときにも、好きなことだけして生きていこうと思った。
ただ、その時はフェルトの地球ちゃんも生まれておらず、特にこれをして生きていきたいという具体的なものはなかった。さらに、一人暮らしだったため、お金がどうしても必要だった。なんせ、貯金ができない私である。
結局、日々の生活をなんとかするため、近所の倉庫に日雇いの仕事にたまに行ったりするようになった。帰りに現金支給されるのがありがたかった。それに味を占め、行く回数が増えて行った。
ハローワークで失業保険の手続きもしていたので、指定日に行っては、パソコンで求人検索もしていた。そのときに、自分が好きな雑貨屋の求人を見つけた。
結局、どんどん回数が増えていった倉庫の仕事。そんなことなら、好きな場所で働いた方がいいやん。そんな考えになってしまっていた。さらには、もしその仕事が決まれば、早期就職手当ももらえるらしい。
好きな雑貨屋で働けたら、好きなことをすることにもなる。
結局、その雑貨屋でアルバイトだったがフルタイムでの仕事が決まり、社会保険もあるし、お金の心配がなくなりほっとしたことを覚えている。
そして、自分が働きたかった自由な雰囲気のエスニック雑貨屋である。置いてるもの全てが楽しくなるもので、毎日行くのが楽しく感謝の日々だった。
そんな気持ちも最初のうちだけで、結果1年半もたたずで辞めて現在に至る。
というわけで、振り返って思うのは、好きなことをして生きていきたいと思っても、タイミングというものがあるんやと思う。
雑貨屋で働き始めたとき私はまだ一人暮らしだった。一人暮らしの父はその雑貨屋のあるショッピングセンターの近くで暮らしており、たまに様子を見に仕事帰りに寄っていた。
そしてあるとき、こんなことならもういっそのこと、父のところに引っ越してきたらいいんでは?そうすれば、生活費も浮くし、職場にも自転車ですぐに行ける。
まさか自分が親と一緒に暮らすなんて全く思いもよらぬことで、父に聞いてみたときに一緒に住んでほしいとの返事やったのも意外すぎた。
働き始めたのが、11月のなかばで、12月にはもう引っ越しを終えていた。
面倒なことが苦手な私が、引っ越し業者から見積りをとり、何社か比べたりしながら、とんとんと進んだ不思議な流れ。今思えば、私が本当に好きなことをするための流れやったんでは?と思う。
こんな風に、何かの力で向かいたい方へ進んでることがある。そのときには気づかない。
もしあのとき一人暮らしのままなら、お金の心配で2年前に決めたように、仕事を辞めるという選択はかなり難しかったと思う。
あとで振り返ると、全ては今のためにとわかる。
特に、自分が普段なら絶対とらないような行動をしているとき。そんなとき、宇宙全体としての流れを感じる。
自分の意思にかかわらず、宇宙の意思が先にあるのか?
宇宙の意思を自分の意思と思いこんで生きているのかもしれない。
いや、宇宙と私は同じやからどっちがどうとか分けることはできないのかもしれない。
そもそもなにもなくて、ただことが起こっているだけ。そう思う人もいるだろう。
でも、私はやっぱり宇宙の後押し、見えない力を感じるし、信じている。