ラジオのフランス語講座を終えて
ひとつ前のシリーズですが、フランス語講座を毎朝ラジオで受講しました。
半年間、朝の15分だけ、フランス語の知識ゼロの中年が学んだところで、発音すらも満足に習得できませんでした。
このシリーズで特に面白かったのは、木・金の読み物の回です。
ここでは、フランス語圏の広がりを、さまざまな観点で分析・紹介してくれるので、フランスに隣接する地域や旧植民地だけでなく、日本や他の地域でのフランス語の需要と歴史も知ることができました。
ある地域や人にたいして、ネイティヴでない言語をどれほど受容させるかは、支配方法の一つです。支配は軍による暴力だけでなく、精神や文化へはたらきかける方法があり、前者は政治的な独立で終わらせることができますが、後者は完全に離脱することはできませんし、むしろそれを「利用」して、生き残るための「武器」に変えていく方が多いです。これが顕著に表れているのは、アフリカ諸国です。旧宗主国の言語とネイティヴのアフリカ諸語、それ以外に流通する言語があり、マルチ・リンガルな世界が広がっています。ナミビアの憲法では英語が公用語に定められていますが、エスニック・グループに固有の言語があり、それらを複数話す人がたくさんいます。また、旧宗主国の言語であるアフリカーンス語が広く使われ、ドイツ語もまだ残っています。
研究との関連で、わたしはドイツ語、英語、アフリカーンス語を使います。アフリカーンス語を習っていたとき、ネイティヴの先生から「ドイツ語の知識があるから、すぐに身に着く」と言われましたが、そんなに簡単ではありませんでした。その辺は、ヨーロッパ言語のネイティヴ話者とは、感覚が違うと思いました。それでも、ドイツ語がそれなりに身についているおかげで、文法はわかりやすかったです。これは、もしかすると、日本での外国語の習得方法が、文法をもとにしているからかもしれません。
ちなみに、アフリカーンス語話者であるアフリカーナ―は、日本の教科書では「オランダ系」と書いてありますが、今のオランダ人と直接つながっているわけではありません。オランダが世界帝国を築いたとき、ヨーロッパのなかで移動をしていた人が、東インド会社の船でケープにやってきたというわけです。シーボルトだって、ドイツ出身なのですから。わたしが習っていた先生はドイツ系、妻はフランス系だという言い方をしていました。そして、言語学の先生だからかもしれませんが、ドイツ語もフランス語も(もちろん、英語も)話す方々でした。
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