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母親のわたし、家出した
胸糞悪い話だと思うけど、中学生と小学生の子供を置いて夜に家出した。
喧嘩したわけじゃない、家事と育児と仕事の両立というか乱立で、なんか色々限界だった。とにかく、一人になりたかった。
夕飯作って、旦那が帰ってきて、洗濯物畳んでから、20時頃に家出した。
かといって行くあてもないので、実家へ。
幸いというか…うちは父が昔に病死して片親なので、うるさいことを言われずに老いた母に「帰ったの?」的な感じで流され、何も聞かれなかった。
実家に向かう途中、醜い声をあげて泣いた。
「自分はいなくてもいいんだ、選ばれないんだ」って、子供みたいなことを叫びながら。
努力してきたことが、報われなかった。
ずっと欲しくて欲しくてたまらなかったものが手に入らないとわかった。
思えば、子供を諦めた時も、こんな風に深夜に近所のスーパーに車で出かけて駐車場でわんわん泣いた気がする。
どうして一番欲しいものは手に入らないんだろう
「降って湧いたような話にびっくりしました〜!」
チャンスをもらえる奴は、決まってそんなことを言う。
子供だってそうだ。「できちゃいました!」みたいな。
こっちは降って湧いたようなチャンスなんかじゃない、どうしようもなく欲しくて醜く這いつくばって努力してきた…
つもり、だった。全ては「つもり」だったのかもしれない。
思考は言葉になり、言葉は行動になり、行動は結果につながるのであれば。
そもそも思考自体が間違っていたのか。
そんなことを泣きながら考えた。
わたしは何のために働くんだろう
妊娠中に仕事を辞め育児に専念した。
旦那の給料も決して多いとは言えなくて働いた。
はじめは「食費を気にせずに、子どもと思いっきりセブンティーンアイスを食べたい」がキッカケだった。あの頃は、それで良かった。
現在、わたしの給料は同時の旦那の給料を超えた。
セブンティーンアイスなんて1500個以上買ってあげられる。
なのに今、こんなに泣いて泣いて、どうしようもなく辛い。
働いているうちに、よくわからない欲が出てきて。子どもに対しても要求することが多くなって、旦那と会社の人を比較するようになった。
家族からしたら、わたしのような働く母親は害悪でしかない。
そんな害悪な自分を家族から引き離したかった。
子どもたちは、イライラする母親の機嫌を察して、言葉を選んで、したくもない勉強をはじめる。
「わかってる、こんな自分じゃダメだ。母親として失格だ。
早くいつも通りに戻らなきゃ。笑顔にならなきゃ。」
こんな簡単なことが、どうしてもできなくて。
あの小さな家から逃げ出してしまった。
彼女たちはどこに行くんだろうか
同業者の中には、「稼ぐことが子どもへの恩返し」と語る人もいる。
たくさん稼いだ方が、子どもは幸せなんだそうだ。
もちろん、その考えは否定しない。
お金があると言うことは、選択肢が増えることだ。
選択肢が増えれば、将来も開ける。
「あの時、ああしてあげれば」という後悔も少なくなる。
ただ、そのために犠牲にすることもある。
片方を満たせば、片方が不足する。
ひとりの人間が与えられるものには、限界がある。そんな気だけはする。
全力で人生を生きて、何かを満たした先に、何が待っているんだろうか。
全パラメーターを稼ぐことに割り振った彼女たちは、どんな道が待っているのだろうか。
わたしは、彼女たちとは違い迷う。
「どうしたらいいか」全力で迷う。
迷って、迷って、迷子になる。
ただやっぱり、あのセブンティーンアイスを食べてた頃を、
とても懐かしく思う。