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#50 ボリビアにいてもなお、スナックのママに憧れる
2025年1月12日 domingo
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個人的な経験から、私は「スナックのママ」のプロフェッショナル性への憧れがある。過剰なもてなしはせず(というか、相手に気を遣わせない高いレベルの心遣い)、相手の欲するコミュニケーションを人に合わせて瞬時に提供できて、おいしいものをささっと作る。ああ、かっこいい。
真のプロフェッショナルを感じるのだ、彼女たちに。
人生の最後にはスナックのママになりたい。
バリバリ働いていた両親のおかげもあり、幼少期から大人の社交の場へ連れていってもらう機会が多々あり「大人も楽しそうに遊ぶんやなー」と傍目に見ながら、赤のベロアのソファに座り、金と銀の包みに包まれたマグロのスナックを美味しく食べていた思い出。
大人になり自分が働くようになってからも、母の知り合いの元ホステスの女性と仲良くさせてもらったり、スナックのママ的要素を持った年上の女性に可愛がってもらっている私。みんな素敵で楽しく聡明。
ロンドン留学時代の大家のスペイン女性アウロラも然り。
ヘビースモーカーの彼女は、ショッキングピンクの長い爪にタバコを挟み、私のことを、そのハスキーボイスで「ジャパニーズ・ガール」としか呼んでくれず、愛想のかけらもなかった。最初は。
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だが3ヶ月経つ頃には「お前は私の娘だからスコットランドが辛ければいつでもここに戻ってこい。」とまで言ってくれる、私のロンドンの母になった。(その後私はスコットランドでの生活を始めるが、頻繁にロンドンに里帰りすることとなる。)
夫に先立たれ、実の娘には縁を切られ(たらしく)、イギリスに移住した彼女からは不器用な愛を感じていた。
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「あー、生きることの深さは人知れずこういう人から感じられるのか」
彼女との会話はほぼ成立してなかったし、そもそも話すことも多くなかったが、彼女がそばにいてくれるだけで前に進めると感じた。
私が傷心の時も、軽いジョークとお酒、と共に
「Everything happens for the best. You are a surviver.」という言葉と、サバイブする力をくれた。
大阪のデザイン会社で働いていた頃は、仕事終わりに飲みに行くことも多く、やっぱりそこでもくだらない話に付き合ってくれるママのような存在の人たちとの時間に救われてきた気がする。
そういう関係の、軽さと深さ。
ボリビアで、ロドリゲス市場にふらふらと引き寄せられるのも、なんだかそれを求めている気がするのだ。
市場で仲良くなったチョリータがいるのだが、彼女と話しているとなんとなく、日本のスナックのママ的なものを感じる。なんだろか、ある程度歳を重ねた女性からしか醸し出されないあの感じ。安心感と懐の大きさ?人生の辛酸舐め尽くした女の器?に包まれて、
「あー、しょーもな!!自分ちっちゃ!!」と吹っ切れて、軽くなる。
彼女は、私がボリビアに戻ってきたことをとても喜んでくれ、会うといつもうっすら涙ぐんでいる。出会いと別れを何度も経験し、人生も終わりに近づく頃には再会できることの尊さをより感じるのか。いつも「これが最後かもしれない」ていう。
私はまだその域には達していない。
「いつでも話しにおいで」と言われている私は、彼女を見つけると、「¡Hola Case!」と寄っていき、フルーツを買わずに立ち話する。
昨日は突然の強い雨に、雨宿りしながらしばらく話していた。私にどんどんフルーツを食べさせながら。
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他のお客さんにもどんどん試食をさせる、そしてどんどん売り捌いていく。カッコ良い。
彼女にもプロジェクトの話をチラッとしていたので「洋服(Tシャツ)はなかなか売れないけど、食べものは美味しければすぐ売れる。食べものの商売をやれ!」と言われている(笑)。
以前、日本で、私と歳の変わらない、障害を持った女の子Sちゃんが
「お酒飲むの好きやねん。飲みに行きたいわー。」と、
彼女との会話の中で聞いた時、「障がい者がお酒を飲む」ということに対して想像できていなかった自分の偏見に気づいた。
そんなことがあって、いま日本にいる友人と、
「Sちゃんとか、障害を持った人もふらっと飲みに来れる店やりたいよね」 と、話している。
その友人は「もしボリビアでうまくいかなくても、日本でそれやれると思って行っておいで。」と送り出してくれた。心理的に帰る場所があると、頑張れる。ありがとう。
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そんなスナックのママ予備軍の私たちが、障害があってもなくても子どもでも軽く過ごせる場所を作る野望を心のどっかに持って、ボリビアのママとの時間も糧に、そしてボリビアで振る舞いカリーを続けつつ、
「おいしい」「笑い」「軽い」を提供できるようになりたい。
2025年1月22日 miércoles (feriado)
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今日はボリビアでは祝日(feriado)です。
年明け早々(しばらく気づかずにいたのだけど)インスタグラムのDMで中央大学3年生の女の子から、私のボリビアでの活動について興味を持ち、話を聞きたいという旨のメッセージをもらっていた。
ボリビアでの活動スタートにあたっての資金調達をした「For Good」の活動ページを見て、活動を知りコンタクトをくれた。
どこで誰に見られているか、わからん。
彼女は将来、国際協力の仕事に就きたいらしく、なかでも障がい者福祉に興味があるということで。
ボリビア時間の今朝7時(日本の夜20時)に、Zoomのミーティングをすることになり、彼女にボリビアのこと、なぜボリビアで障がい者と事業を始めようとしているのか云々、お話をした。
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障がい者との接点の最初について聞かれて、
小学生の時のクラスメイトに障害を持った子がいて、彼と活動のペアを組まされることが多く、私は「なんやその癖は」と、いうような感じで割と冷静に、フラットに接することができるタイプだった・・・というところから、友人が働く就労支援のカフェで数ヶ月バイトした経験、その直後に渡英し、ロンドン、グラスゴーの街中で見る障がい者、と彼らに対する街の人たちのさりげないサポート力。決して環境的にバリアフリーではないが、困ってる人を自然に助けられる気持ちを持っている「心のバリアフリー」。障がい者の表現活動も活発で、特に「障がい者の」という冠もついてなく、自然と混ざっている。それがめちゃ心地よかった、という話をした。
そして、カテゴリーで切り分けてしまう日本社会の、居心地の悪さ。JICA海外協力隊としてボリビアに派遣され、街中で障がい者を見ない違和感、そして、奈良のたんぽぽの家での時間があって、ボリビアへ再赴任後に、障がい者との活動を興して、今に至る。ざっくり。
私は単純にできるだけ多くの時間を、自分の好きな人と、楽しく関係性を作れる人たちと過ごしたい、というだけだ。そんな話題にも触れた(とおもう)。
昔から海外に興味を持って、行ってみたい場所へ出向いてみて、そこで出会った人と仲良くなって、 てのを繰り返してきた。だから、障害を持った人たちとのコミュニケーションも自分の中ではその感覚と違わない。
グラスゴーでも、コースメイトで多くの時間を一緒に過ごした仲のよい人たちは、イギリス、アメリカ、イタリア、メキシコ、中国の子たちで、
「イタリア人だから仲良くしたんじゃなくて、気の合う子がたまたまイタリア人だっただけのことで、すべては自分の感覚でしかない、みたいなことやん」楽しく過ごせて、一緒になんかできることがあって、というのがそういう人たちだった、というシンプル。
私の付き合いの大半はアート・デザイン界隈の人たちなのだが、そもそも(私も含めて)障害の有無に関しては、そのライン上にいる人たちばかりなので、違和感なくコミュニケーションを取れる、というのもある。
「変わってますね」と言われたところで、「自分はこれが普通です」てな人生を送ってきた。
最後に「どんな社会をつくりたいですか?」と大きなことを聞かれたが
全然うまく答えられず。(笑)
どうせ死ぬやん、だからなんか難しいことじゃなくて
心地良く軽く楽しく過ごしたいし、周りにいる人もそうであるような社会かなー、
知らんけど。
人生の中で今まででいくつか「完璧な瞬間」みたいなのを経験して。
自分の感情とか、そこにいる人との会話とか、間とか、食べてるものとか、風とか、感触、温度とか、音とか、が「はい、今、それです」ていう最高の条件が偶然にそろって起こった幸せな瞬間を経験してて、だからいつ死んでもいいと本気で思っているしそんな経験ができてる自分はもう幸せだ、と感じる。そういうのをみんなが持てる人生であればいいよね、
て、伝わったかわからんような話をして終わった。
(たぶん、もっとまとまってない伝え方をしたとおもう、彼女には。ごめんなさい。)
こうやって改めて色々聞かれることで、自分がなんでこんなことやってるのか、自分が大事にしてる感覚が再確認できて、「ありがとう」な気持ちになる。気づいたら2時間話してました。
彼女は「前に話を聞いた国際協力の人たちと全然違う、、、そんな考え方自分にはなかったです。」と、びっくりな様子だったので、
自分の感覚に素直に「おもしろい」を選んできた結果、いま自分の言葉で伝えられることがあってよかった、と、スナックのママへの修行道を着実に進んでいるな、とうれしくなったのでありました。
「noteに今日のミーティングのこと書くね」と彼女に言ったのだが、まさか「スナックのママ」に終始しているとは想像していないだろう。
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