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アイドルの橋本奈々未は引退した橋本奈々未と並行して在りつづける

2016年10月30日に放送された乃木坂工事中のなかで、番組でやり残したことを聞かれた橋本奈々未は「マカオ楽しかったなと思いました」と答えた。「バンジーとか絶対やらされる羽目になるよね」と言われれば「たぶん飛べる」と返す。そして「じゃあマカオタワーでバンジーやろうよ」と聞かれたあとに、こんなことが語られる。

でもテンション上がりすぎて、バーンと落ちて、バーって着いたら、やっぱり卒業しないって言うかもしれない

乃木坂工事中#78

しかし、”橋本がやりたかった企画”として放送された2017年2月19日の乃木坂工事中は「ボードゲーム部の活動がしたい」というものだった。

橋本奈々未がバンジーを飛ぶことはなかった。
しかし、こんなことがあるかもしれない。

ペチャはその分かれ道で生きて私とも出会った、ペチャが生きているあいだ私も妻も何度も、あのときにもしかしたらペチャは助からなかったかもしれなかったと考えた、私はペチャが分かれ道で生きる方を選んだと思っていた、一方の可能性が選ばれたからもうひとうの可能性は生きることで消えたと考えていた。
そうではなくて生きているペチャは分かれ道のあとそこで生きなかったペチャと並行して生きていた、生きているペチャはただ生きているのではなく分かれ道で死んだペチャがつねに一緒だった。
ゆうべの子猫二匹は助からなかった、ペチャはほとんどそれと同じギリギリのところから助かった、それは決定的な分岐点だったのではない、その二つは並行してありつづける、私は若い友達が必死に子猫を温めたことを知っている、それが叶わなかった死んだ子猫はいま生きている他の子猫たちと並行して在りつづける。
(…)
子猫はきっと冬には落葉する低木の下に埋められた、その全体が二匹の子猫を介した命の活動だ、二匹の猫の命は決してささやかなわけではなかった。
これら全体は目に見え、耳に聞こえる物質次元のことだ、この活動の広がりをどこまで広げていっても物質の次元の外には出ない、子猫の死の報告で私に訪れた、
死んだ子猫は生きている猫と並行して在りつづける
という言葉は、余剰の活動が生み出した生きる死ぬの相だから感覚で知ることはできないが、この言葉は確かに世界に刻まれた、もともと世界がこの言葉を発していた。

保坂和志『夜明けまでの夜』

保坂和志はドゥルーズ(ベルクソンの思想)の文章——「過去は、現在としてのそれ自身と共存する」と「過去は、在ることをやめたことがないのだから」——を読むことで「過去は現在として在りつづける」という言葉が刻まれたと語る。

つまり、やり残したことでボードゲーム部の活動をした橋本奈々未は分かれ道のあとそこでマカオタワーでバンジージャンプをした橋本奈々未と並行して生きているのではないだろうか。ナンジャモンジャをやって卒業した橋本奈々未はバンジーで卒業回避をした橋本奈々未とつねに一緒だったはずである。

だからアイドルの橋本奈々未は引退した橋本奈々未と並行して在りつづける。

橋本奈々未さん、お元気でいらっしゃいますか?

こっちは元気です。

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