2021/08/22。『乃木坂46 真夏の全国ツアー2021 ~福岡公演~ DAY2+大園桃子卒業セレモニー』が開催された。
大園桃子は「自分はアイドルに向いてない」とよく言っていた。それは大園桃子が大園桃子としてアイドルをやっていたからである。
「ありのまま」だからこそ、「何者かになる」ことを回避しつづけていた大園桃子がスピーチとして書いてきた手紙のなかで「私は乃木坂46になることができました」と言った。
時を同じくして秋元真夏は大園桃子をこう語った。
大園桃子が乃木坂46になるための5年間には「アイドルを演じる」というフィクションではなく、「私」に関するフィクションがあったと思う。
それは大園桃子が客観的過ぎるのだろう。だから自分の声が他人のように響くことさえある。
しかし、その客観には限界がある。
たとえば、大園桃子の客観がある程度以上になり、大園桃子が大園桃子を分析していくことで変わっていったとすれば、大園桃子は卒業する時機について話していた。
つまり、大園桃子はアイドルだからこうしようと考えてできるようになってしまったのではないだろうか。大園桃子が”大園桃子として”ではなく、”乃木坂46として”アイドルを演じてしまえるからこそ、「私は乃木坂46になることができました」という言葉によって乃木坂46の大園桃子は始まりと同時に終わりを告げる。
そして、大園桃子の客観性を表すものとして「乃木坂も悪くないな」という言葉があった。
スピーチのあとに披露した『やさしさとは』の間奏で齋藤飛鳥はこんな言葉を贈る。
このような事はインタビューでたびたび伝えようとしていたことであったが、直接言えたことよりもそこに『やさしさとは』が流れていたことが重要であったと思う。齋藤飛鳥はやさしさについてこんなエッセイを書く。
齋藤飛鳥はやさしさを疑いつづけた先で人間を肯定するということを知った。あるいは、大園桃子が久保史緒里と共に乃木坂46になるまでの5年間で得たものについてこう話す。
また大園桃子が卒業セレモニー終了後に出演したらじらー!のなかで樋口日奈はこう語った。
つまり、やさしくさせる天才であった大園桃子によって久保史緒里は人間を肯定する力をつけた。大園桃子(と齋藤飛鳥)による『やさしいとは』の再構築からは「こんなに誰かを恋しくなる 自分がいたなんて 想像もできなかったこと(※9)」というフレーズが聴こえてきそうである。なにより齋藤飛鳥は大園桃子に期待をしていた。
やさしさとは正しい答えではなく、今信じられることであった。それは齋藤飛鳥が「よく頑張った」という大園桃子も自信を持っている乃木坂46になるための5年間に他ならない。たとえば『君の名は希望』がアイドルのうまれる瞬間を希望として物語ったとすれば、大園桃子はたしかに希望であった。
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(※1)BRODY 2018年6月号
(※2)『文芸思潮35号』2010/5/25
(※3)BUBKA 2018年10月号
(※4)古井由吉『ムージル観念のエロス』
(※5)坂道の火曜日 2021/8/17
(※6)BUBKA 2021年3月号
(※7)別冊カドカワ総力特集乃木坂46 Vol.03
(※8)『乃木坂46・久保史緒里の乃木坂上り坂』2021年7月26日
(※9)乃木坂46『君の名は希望』
(※10)BOMB!2018年12月号