なんで英語をやろうとしたか
今では外国人と接することになんの抵抗も無くなってるけど、「初めて英語で外国人とコミュニケーションしたのはいつだったんだろ?なんで英語をやろうと思ったんだっけ?」とふと考えてみた。
初めて英語で話した外国人は、おそらく、21歳の時に授業で習った英会話の先生だろう。
日本語もできるアメリカ人の男の先生。ユーモアもあってやさしかったな。その頃の自分は受験勉強の英語しか知らなかったけど、覚えてる英文口にするだけでネイティブに通じるんだ!という経験をしたな。うれしかった。
授業中に「わたしの母は胃がんの手術で入院するので帰省します。」といいたかったんだけど、思うように言えなかった記憶があるわ。
そして22歳の時、ユースホステル使って四国を旅行中出会ったデンマークの青年。
このときは阿波踊り踊るために徳島のユースに泊まってたけど、知り合った人たちと夜中ビーチに抜け出して騒いでいたっけ。(ほんとはNG行為です。)
そこで野宿してたのが彼で、みんなでカタコト英語でおしゃべり。「外人と写真とろーぜ!イェイ!」みたいな恥ずかしい写真が今も残ってる。
23歳で洋服の販売をしていたとき、日本語がわからないお客さんがやってきた。対応に困って逃げちゃった。結局、隣のお店のハワイ帰り?のスタッフが助けてくれたんだよね。
そのとき、わたしの大嫌いな先輩が「うわあ、英語できたらいいよね。憧れる〜❤️金髪のお兄さんにI love you なんていわれたらヤスハラさん、どおするぅ?困っちゃうよねえ。」とヘラヘラ笑って言ったのよ。
そのとき、「憧れる〜とかってバカじゃないの?勉強したら話せるようになるのに努力もしない愚か者め!こんなやつらと一緒にいたら、わたしの人生終わりだ!わたしは勉強して話せるようになってやる!」と思ってしまい、その後わりとすぐに仕事をやめたのだ。
ま、辞めた理由はそれだけじゃないけど、いま思うとコレが英語学習のキッカケになったかも。
仕事😐やめたわたしは、生活費を節約するべく朝までやってる居酒屋で遅番をしたのさ。
ある日外国人のお客さんたちが来たのだが、酔っ払ってテーブルのガラスを割っちまった。レジで弁償代を請求したんだけどうまく話せず、そいつら無視して帰ってしまったの。
おそらく「ユー ブローク テーブル、ユー マスト ペイ」くらいは言ったと思うけど、それ以上言えなかった。
きっとわからないフリされたんだろうけど、悔しかったあ。
あいつら、何人だったんだろ?今ならガンガン文句言って絶対払わせるのにな。
居酒屋でバイトしつつ、週に2回英会話学校に通ったな。
当時すごく注目されてた、電車にたくさんポスターが貼ってあったとこ。
で、そのあと、日本語教師養成科→日本語教師をへて、オーストラリア留学へといたるのですが、今日はここまで。
やっぱり、英語を教える上で自分と英語の関わりをさかのぼってみるって大事だと思ったわ。
昔のことって忘れちゃうし、都合よく作り変えられちゃうから。