退職後の有名なアレ
定年退職後の嘱託勤務も辞め、本格的に仕事をすることを終えた父が貸農園で畑を始め、自分史も書きたいと言ったことに驚いた件はTwitterに以前書いた。こんなにも有名な退職後のやりたいことTOP3に父が手を出すタイプだと知らなかったのだ。
よくよく話を聞いてみると、貸農園というのは父の職場を引退したグループが借りているもので、その中でもだいぶ先輩な爺さまが体力的にきつくなってきたから自分のブースを譲りたいとおっしゃったのでヤング爺である我が父がそのエリアを借りることになったのだと言う。父の実家は農家だったけれども、父は18歳で神戸に出てきて以来とくに畑仕事をしてきたわけではなかったから、70代の自分の兄に電話をかけてアドバイスを貰いながら野菜を育てている。夏はキュウリがわんさか取れて、二人暮らしなものだからキュウリの消費に困って、キュウリのきゅうちゃんをたくさん作ったらしい。先日の帰省の折に食べてみたら、すこし甘めで生姜が効いていてとても美味しかった。近くに住んでいたら思う存分野菜を貰って帰れたのに、と夏野菜の高かったことを思い出して悔しかった。
さて、父の自分史だ。
「書き始めたん、自分史?」
多分書いていないだろうとわかっていながら聞く。
「いや、まだ。頭ン中にはあるで。タイトルは決まってる」
タイトルから広げるタイプの人だったとは知らなかった。
父は60代なかば。若いころの方がお酒もタバコもやってストレスで何度も入院していたが、最近は大きな病気をしていない。とは言え、人生はいつ終わるかわからないのは父だけじゃなくわたしにとってもそうなのだから、がんがん急かすことに決めた。
Wordを使うと言う。縦書きで、原稿用紙のスタイルね、リクエストを聞いてデスクトップにファイルを保存する。
「じゃあ年末までに第一稿、お願いしますよ」
おどけつつ締め切りを切ってみた。いや、はははと父は笑うが、わたしは本気だ。本気だけど書くのは父なのだから、なんとか転がすしかない。
文学フリマで手に入れた本を見せながら、こんな風に本にできるんだよと乗せてみたりもした。
父は変人だ、と常々思っていた。年をとって丸くなって普通の優しい人になってしまったが、若いころは子どもとコミュニケーションをあまり取らず、本や映画の世界に没頭していた。子どもというものが嫌いだったのか、先日聞いてみた。そうではなくて本当に本が読みたかったのだ、と返してくれた。
本との時間に比べるとそこまで欲しくなかった子どもとの時間をどう生きたのか、知りたい。そういう人になるまでの父の若かりし頃を知りたい。なんとか、書いてもらわなければ。