酒断ち日記4 ゾンビ映画の深淵
5月30日(日) 7日目
Mと柳橋市場で昼食フードファイト。
互いにどんぶり飯二杯でギブアップしたが、Mは刺身定食、僕はフライ定食だったので油をたくさん食ってる分僕の勝ちということにする。
しかし、Mも着実に力をつけてきている。これからも気が抜けない戦いが続くのだろう。
食後のコーヒーを飲みながら二人でNetflixの映画『アーミーオブザ・デッド』を観る。タイトル通り軍人がゾンビと闘うお話だった。
ゾンビ映画はそれ自体が定型芸術と言ってもいい。
側から見れば全く同じ映画が量産され続けた結果、陳腐さを通り過ぎてそれは一定のルールに基づいた様式美を獲得するようになった。
囲碁や将棋を例にとってみると良い。
その棋譜は、ルールや定石に関する知識を一しか持ち合わせない人にとっては理解できない暗号にしか見えないだろうが、百の知識を持つ者からすれば、打ち手の思考の深さに感嘆し、激しい攻防の様子を長島のアトラクションさながらに楽しみ、自身の想定の範疇を超える一手に魂を震わせることができる芸術にも似た極上のエンターテイメントと見做される。
きっとゾンビ映画も将棋と同じように、ルールや棋譜(フィルモグラフィー)を学べば学ぶほど、似たり寄った作品群の中に宇宙に通ずる深淵を感じることができるように……ならないか、さすがに。
6月1日(火) 9日目
気が狂ってしまったので、70年代イギリス製のウン万する机を購入してしまう。
友人のインスタストーリーに写っていたそれに一目惚れしてしまい、実物を見ることなくカードを切ってしまった次第である。
こんまり風に言えば『心がトキメク』買い物をしたのだろうけど、この感情はトキメクだとかそんな生易しいものではない。
日曜日に一目惚れしてしまってから、四六時中彼女(机)のことを考えてしまい、仕事も手につかなかったのだ。
僕じゃない誰かに手を出されてしまう(先に買われてしまう)と考えると身が裂かれるような苦痛を覚えたし、気がつくと彼女が生まれてから過ごしてきた半世紀の物語を勝手に空想してしまったりしていた。
それは恋愛の苦痛に似ていた。
ただ違ったのは、金を出せば買える、という点のみである。
物に対して過度な愛情を抱いたり、性的魅力を感じることを対物性愛というらしい。
事実、異性や同性といった人を愛することではなく、物(抱き枕や車、ベルリンの壁、エッフェル塔etc)を愛することを選び、結婚した人だっているようだ。
もしもこのまま独り身でいるようだったら、僕もいっそのこと机と結婚……したくはないな。絶対に。
6月2日(水) 10日目
アルコールについて知るためには他のドラッグについても造形を深めるべきだと考え、青山正明の著書『危ない薬』を購入する。
これは、覚せい剤コカインヘロインマリファナLSD睡眠薬毒キノコサボテン朝顔ガマガエル酒タバココーヒーシンナー断食筋トレ宗教学習行動……
ありとあらゆる快楽製造装置=ドラッグについて網羅された書物であるが、他のドラッグ本と趣を異とするのは、著書による多種多様なドラッグに対する博聞強記が、歴史や医学といった書物だけでなく、実体験から得られているという点だ。
そして読んで見ればわかるがこの青山正明という人、ふざけきった快楽主義者を気取ってはいるが相当に頭が良い。
書くこと全てが、膨大な資料とフィールドワークに基づいた知識に裏打ちされている。
初めのうちは面白おかしく読み進めていたが、ユーモアで照れ隠ししているものの、小難しい言葉を並び立ててわかったふりをしたり、他人の思想や科学による客観的事実を隠れ蓑とすることなく、誠実に自身・読者・ドラッグと向き合っている彼の態度を感じ取って、段々と背筋が伸びてきてしまった。
きっとこの人は聡明過ぎるがために、自らの気を狂わせるしかなかった人間だったのだろう。
いや、狂った世界を正しく見つめすぎたがために、世間から狂人扱いされてしまったのかもしれない。
いずれにせよ、結局は同じことなのだけれども。
自分は凡人でありたくないと願いながらも、こうもまざまざと天才の苦悩を見せつけられてしまうと、やっぱり僕は凡庸な人間であって良かったのかもしれないなと思ったりする。
6月3日(木) 11日目
「なんだか、人と会わなければいけない気がしたから。」
という理由で、友人のMYが遊びに来る。よくわからないが、よくわかる理由だ。
MYも例に漏れず酒飲みの友人であるため、町田康の『シラフで生きる』を試し読みさせてみると、「買うわ」とその場でポチって帰っていった。お買い上げありがとうございます。
なんだか本の紹介ブログみたいになってきた。
6月4日(金) 12日目
酒のない金曜日にも慣れてきた。
Netflix『お金をダイジェスト』を観て様々な金融詐欺について学びながら、とろとろとソファーで眠る。
6月5日(土) 13日目
緊急事態宣言で酒が提供されないことを知らなかったMとサイゼリヤで昼食を摂る。
Mは食事が運ばれる度に「ビールは飲めますか?」「それなら、ワインはどうですか?」と店員にしつこく絡んでいたが、結局悲しそうな顔をしながら水で生ハムを食べていた。
とても不味そうだった。
その後、4,5年ぶりに会う母校の先輩、HRさんと合流して遊ぶ。
僕は昔から、懐いた先輩に媚びへつらって可愛がってもらうという奴隷根性が染み付いた小さな男である。先輩から命令されるともう断ることができないのだ。これはパブロフの犬みたいなもので、僕の意思とは関係がないので仕様がない。(ちなみに仕事では命令されても動けない。何故だ。)
この日も、「4,5年ぶりに再会した自分と酒が飲めないのか」と言われ、喜んで盃を交わしてしまう。
自らの思想や決意に逆らっても、権力には逆らわないこと。
これが、この世を生き抜くコツである。