酒断ち日記3 ドラッグとしての砂糖
5月23日(日) 16日目
先輩のHTさんが経営しているお店での手巻き寿司パーティに誘われて、そこは家から自転車で1時間近くかかる一社にあるのだけれども、天気が良かったので「酒も飲まないし帰れる」と判断して自転車で向かう。
開口一番「何?禁酒してるのか。今ここで飲む酒を美味くするためにしたんだろ?」と言われ、確かにノンアルコールビールの味にもシラフでいることにも飽きていたので黒ラベルを飲む。
禁を破って飲む酒はさぞかし美味く、感動的な味わいをしているのだろうなと考えていたが、なんてことのない、飲み慣れたビールの味がしただけだった。
ただ、ノンアルコールビールと違ってそれは3本目以降もスルスルと身体に吸い込まれていき、酩酊の薄皮を現実にまとわりつけていった。
気が大きくなった僕は、同席していた覚王山のレコード・古着屋を経営しているK君と距離を縮め、ローリングストーンズやキンクスの話で大いに盛り上がって愉快な時間を過ごした。
帰りに自転車に乗れるはずもなく、電車で帰宅。
一ヶ月近く経った今現在も、自転車は一社の店に置きっぱなしである。
5月24日(月) 1日目
二日酔いに苦しみながら、ココイチでカレー400gを食う。
それにしても、しこたま鯨飲した翌日は何故こんなにも腹が減るのだろう。
マリファナを吸うと尋常じゃない空腹に襲われるため、マリファナパーティでは食料の持ち込みが必須だと聞くけれど、アルコールだって負けてないのではないかと思ったりする。
二日酔いの日、あまりにも飯を食べすぎるため友人にドンびかれ、『ダイソン』というあだ名をつけられたことを思い出す。
5月25日(火) 2日目
近所に住む友人SOから琵琶をおすそ分けしてもらう。翌日の昼食とした。
人から何かを貰うということは、原始的な社会的交換理論と互恵規範に参加している感覚がして好きだ。資本経済活動と離れた行為は愛おしい。お返しとして気持ちよく返礼品を渡そうという気持ちになる。
ビールでも差し入れようかと思ったが、SOはビールが飲めない。何があるだろうかと考えたけれど何も思いつかなかった。
誰か答えを教えてください。
5月26日(水) 3日目
作家の町田康が30年飲み続けた酒を4年間やめていることを知り、その体験について記した『しらふで生きる』という本を買う。
その本の帯にいきなり、
”最初の三ヶ月目くらいまでは、自分は禁酒しているのだ、(中略)自分の人生にもはや楽しみはない。ただ索漠とした時間と空間が無意味に広がっているばかりだ、(中略)「こんな苦しい思いを和らげるためには酒を飲むしかない」と思い、「あ、そうだ、俺はその酒をやめているのだ」と思い出して絶望するということを7秒に4回宛繰り返していた”
と記載があってひとしきりゲラゲラ笑った後に(待てよ。これが酒でなくて、覚せい剤やヘロインだとしても僕は同じように笑えるだろうか)と我に返る。
長年に渡って酸いも甘いも共にしてきた、恋人にも愛人にも娼婦にも似た女神である酒のことを悪くは言いたくないけれど、彼女は身体依存・精神依存・耐性のどれをとっても強烈な作用をもたらす最強クラスのドラッグだ。
酒がシャレになって、覚醒剤やヘロインがシャレにならない理由はただ単にそれが『法律によって許可されているかどうか』に過ぎないのだ。
むしろ、シャレで済まされてしまう酒の方がドラッグであるという自覚がされにくい分、ヘロインや覚醒剤といった違法ドラッグよりタチが悪いとも言える。
ちなみに話は逸れるが、酒やヘロインと同じく”砂糖”だって身体依存・精神依存をもたらす立派なドラッグである。
「私は酒もタバコもやらない、貴方と違ってクリーンな善人ですよ」という顔をした箱入り娘の同僚が、昼休みや休憩時間に必ず貪るようにチョコレートやクッキーを食べているところを見てほくそ笑む、というのが僕のささやかな楽しみであったりする。
自分は酒と同じくらいタチの悪い性格をしていると思う。
5月28日(金)5日目
週末が近づいてくるたびに恐怖を覚えるようになってくる。
町田康が言うように、仕事も何もない時に酒を飲まないとなると”ただ索漠とした時間と空間が無意味に広がって”襲いかかってくるように思えるからだ。
どうにしかしてその空白を埋めようと、ウィルキンソンの炭酸水を買い込んで友人のAを家に招き『ヤクザと家族』と言う映画を観る。
暴力ありセックスありドラッグありの楽しいエンタメ映画だった。
こんなにも面白いのならばNetflixオリジナルに違いないと思っていたのだが違っていたので不貞寝する。
5月29日(土)6日目
栄でリネンのパンツとネックレスとスヌーピーのぬいぐるみを買って、上前津のダイニングで友人たちが酒を飲んでいるのを横目にトニックウォーターやアイスコーヒーを飲む。飲みたいという気持ちにはならなかった。
やはり、一週間程度は余裕にいけるようだ。
夜は友人たち数人と我が家で鍋を囲みながら映画『宮本から君へ』と、チャンピオンズリーグの決勝戦を観る。
僕は基本的に連絡が来た人は全て家にあげる性格である。そうしていると当然、友人が友人を連れて来て、知らない人が我が家にやって来ることも起こる。
この日も3,4件飲み屋をはしごして来た友人がベロベロになってその友人を引き連れてやって来たのだけれど、初対面の彼女は僕の部屋を一瞥するなり「ふーん。あんたは太宰治でも目指してるの?」と鼻で笑うのでびっくり仰天してしまう。
もしかしたら彼女は、僕が中原中也の真似をして「何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔しやがって!」と掴みかかってくることを期待していたのかもしれない。
しかし、今やその真意を知ることはできない。
彼女は怒りに我を忘れた僕によってその身体を円頓寺沿いの堀川に埋められてしまったからだ。
R.I.P.