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しりとり「ラム酒」

クジラ → ラム酒

ラム酒とグロッキー

僕はクラブで必ずラム酒を飲む。

ビールを一・二本飲んだ後、やけに濃いラム酒のコーラ割りを注文して、夜が更けるまで飲み続ける。

特段ラム酒が好きなわけではない。

家に常備されているわけではないし、居酒屋やバーでラム酒を頼むことは滅多にない。
ただ、クラブとなるとラムコークが必要になる。

口当たりが良く、肴が不要。ジュースのように飲めるけれどしっかりアルコールによる陶酔も与えてくれるので、クラブのお供に最適なわけだ。

グロッキー』という言葉がある。

酒で酩酊してふらつく様子を表現する外来語なのだが、この言葉の起源はラム酒である。

ラム酒は大航海時代、船員に配給される酒であった。

毎日の配給量が決められているため、彼らは数日分のラム酒を貯めてから一気に飲み干して楽しんでいた。
船内の規律を保つためにイギリス海軍の提督、エドワード・バーノンはラム酒を水で割って配給することで酒の保存を不可能にさせる方法を考えついた。

この薄いラム酒は船員たちから不評を買った。
いつしかその酒は憎しみを込めて彼のあだ名、『グロッグ』と呼ばれるようになっていた。

この『グロッグ』は当初忌み嫌われていたが、半世紀ほどの時を経てラム酒のスタンダートな飲み方として人々に受け入れられていき、グロッキーという言葉としても世の中に浸透することとなった。

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キャビアは不味かった

当初は邪道だったり貶められていた食事の嗜好が、社会の変化に伴ってその価値を逆転させてしまう現象は、ラム酒のグロッグに限らず普遍的に発生している。

例えば、世界三大珍味の一つで高級食材のキャビア

キャビアは19世紀、囚人の食事として提供されていた。ある服役者が日記に、「毎日キャビアなんて不味いものを食わされ続けている。もう限界だ。反乱を起こしてやる」と記されたほど嫌われていた。
また、裕福さの象徴である大きなステーキは古代のエジプトで子供に対する屈辱的な罰として与えられていたし、マグロのトロは猫すら食わぬ”猫またぎ”と呼ばれ廃棄されてきた。

一般的な価値観という奴がどれだけいい加減なものか、よくわかる。

ここまでは雑学の範疇でしかないが、このような価値の逆転が個人の”嗜好”の範囲ではなく、世界や社会を成り立たせる根幹的な”思考”の範囲で起きてしまう時、事態は途端に複雑になってしまう。

ある人が信じている邪道で一般的でない思考を否定した時、そしてその彼の思考が将来”正しい”ものとして社会に受け入れられるようになる思考であった場合、社会全体が発展する機会を損失してしまうことにも繋がるからである。
ガリレオの地動説なんかが、そのいい例だろう。

ともすれば、その思考や思想が他人に危害を与えない限り、人が何かを信じる自由は保証されるべきである。

先日テレビで、天動説を証明するために自家製のロケットを作って打ち上げるある男をバカにして面白おかしく紹介する番組を目にしたが、本来僕らが彼をバカにしても良い理由など、どこにもないはずである。

少なくともマイノリティな思想の持ち主を、その異質さを理由として迫害し、彼らの人生を否定する資格を僕らは持ち得ない。

その迫害によって生まれた火花は将来、自らの身に降り注ぐこととなるだろう。

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アメリカ合衆国皇帝 ノートン一世

しかし、ちょっと変わった人間やその考えを面白おかしく消費してしまうのは人間の性である。難しいのは迫害と尊重のバランスを取ることだ。

おかしな思想を持った変人が社会に広く受け入れられて暮らした特異な例として、19世紀のアメリカに実在したジョシュア・ノートンという男が挙げられる。

彼は破産を機に正気を失った精神病者である。

彼はある日突然、自分がアメリカの皇帝に就任したことを新聞社に宣言した
統合失調症の妄想を面白おかしく思った新聞社は次の日、彼の即位をジョークとして紹介し、市民もそれを歓迎した。

彼は皇帝の名の下に、議会制度の改定から橋の建設まで、次々に勅令を出していく(彼の死後にはなるが、地域を繋ぐ橋の建設は実際に実現された)。

その献身的な活動は多くの人から愛されて、飲食店は皇帝御用達のレストランであることを示すプレートの代わりに食事を無償で提供し、劇場は彼が来場するまでその幕を上げなかった。

収入のない彼が独自に発行した貨幣は銀行が正式に預かるようになったし、ある時精神病棟に入院させるため、警官が彼を拘束した際には市民から抗議の声が上がり、警察は正式な謝罪を行なって、その後彼に対する敬礼を欠かさぬようになった。

誰からも愛されたおかしな皇帝の葬儀には、3万人もの参列者が列をなした。
NYタイムズは追悼記事を掲載し、”彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。彼と同じ称号を持つ人物で、この点で彼に立ち勝る者は1人もいない”と彼を讃えた。

皇帝ノートン1世・ラム酒のグロッグのように、その時は変な嗜好や思考だと捉えられていても、ある日その価値が変容して市民権を獲得する時が来るかもしれない。

だからどんなにおかしな個人的な好みも発想も、他の誰かを直接的に傷つけることがない限り、大切にされる必要があるのだと思う。

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爆弾酒と会長

グロッグではないが、自分にとって変だ、おかしい、と感じる酒の飲み方を見たことがある。会社の宴席のことである。

その日は会長も出席されていて、僕がビールを注ぎにいくと焼酎と氷が入ったジョッキを差し出された。

会長は目を点にして固まっている僕の手からビール瓶を奪いとると、そのジョッキの中にドボドボとビールを注ぎ始め、
「ビールはね、こうやって飲むのがうまいんだよ」
とニコニコ笑われた。

(ずいぶん変わった飲み方だな)と思って後になって調べてみると、焼酎などの蒸留酒をビールで割ったカクテルは”爆弾酒”と呼ばれ、韓国で親しまれているようだ。

いくつかバリエーションはあるが、その中で忠誠酒と呼ばれる飲み方がある。方法は次の通り。

まず、ビールの入ったジョッキに割り箸を二本架け、その上に蒸留酒の入ったショットグラスを置く。声高らかに「忠誠!」と叫んでからテーブルに額を打ち付け、その振動でショットグラスをジョッキの中に落としてから、それを飲み干す。
飲み交わす相手に忠誠を誓う際に行われる儀式だという。

しまった、と思った。

会長にジョッキを差し出された際、ドン引きして苦笑いを浮かべるしかなかったが、会長はその時僕が「忠誠!」と叫んで勢いよく頭突きすることを望まれていたのである。

会長の意図に気づいていれば今頃出世街道間違いなしだったのに。
惜しいことをしてしまった。

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