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夫婦の分断を生むだけの”オレは家事育児やってるぜ投稿”

「子どもが妻より俺になついてて、妻が嫉妬してんだよね」

「子どもが保育園の送り迎えはパパじゃなきゃ嫌だって言って、妻が落ち込んでんだよね」

Twitterやインスタにたまに現れて、女性たちからの喝采と男性からの憤怒の感情を掻き立てる投稿。

それは、男性の「オレは家事育児やってるぜ」投稿。

だけど、ぼくはこれらの投稿に拍手を送る気にもなれず、かといって怒りの感情やうとましい気持ちになるわけでもない。

ただただモヤッとするのだ。

「なにか大切なものを履き違えていないか?」と、問いかけたくなるこのモヤりの正体について考えてみたいと思う。

男性が家事や育児に主体的に行動すること自体は、素晴らしいことだとぼくも思っている。

特に産後の大変な時期に妻を支えないと、とてつもないしっぺ返しを喰らうことになるからだ。

大変な時期に夫から支えられなかったばかりに、大きな恨みを抱いている女性が世の中にはたくさんおり、そういった女性から直接話を聞いたこともある。

その恨みはどんどん積み重なり、心の無意識層にまで染み込み、夫を恨んでいることを自分でも気がつかないほど、無意識に夫を毛嫌いするようになる。

私に触らないで欲しい。

そばに寄らないで欲しい。

私の人生に関わらないで欲しい。

いつしか、女性の恨みは結晶化し、かたくなになったその心を解きほぐすことは難しくなっていく。

そんな時に、男性の「オレは家事育児やってるぜ」投稿はとてつもないカタルシスを与えてくれるのだと思う。

そうそう!それをして欲しかったのよ!

なんでうちの夫はわからないのよ!

男性の「オレは家事育児やってるぜ」投稿、略して「オレやってる」投稿は、女性に対して(私のことを分かってくれている)という共感の感情を呼び起こしやすく、同時に無能な自分の夫への怒りの感情も掻き立てられるようにできている。

その男性と夫を比べて、自分の夫の方が劣っていると感じさせてしまうものがそこにある。

女性は無意識に「オレやってる」投稿にいいねを押したり、リツイートをするが、心の奥では”共感と怒り”を同時に感じているはずだ。

「オレやってる」投稿はとてもわかりやすいものが多い。

「保育園の送り迎えはパパじゃないとダメ」

パパの方がママより料理がうまい」

子どもがママよりパパになついている」

寝かしつけはパパじゃないとだめ」

どれもこれも、多くの女性が苦労したことがある話題ばかり。

仕事の時間に遅れそうになりながら、泣き叫ぶ子どもを保育園に預けた日は一度や二度ではなかったはず。

仕事から帰ってきて、夕飯何にしようと冷蔵庫を開け、食材を買い忘れたことに気がついて絶望したこともあるはず。

簡単な食事で済ませてしまって、子どもに対して罪悪感を感じたことだってあるはず。

子どもがなかなか寝てくれず、自分の自由な時間がほとんど作れないことはいまだにずっと続いているはず。

子育てにリソースのすべてを持っていかれ、仕事だけではなく自分の人生すらコントロールできていない無能感を感じる日々。

下がり続ける自己肯定感に嫌気が差し、(こんなはずじゃなかった。夫さえしっかりしてくれていれば、自分の人生は変わったはずなのに)と夫への恨みがつのっていく。

そんな時にSNS(主にTwitterとインスタ)に現れる「オレやってる」投稿。

自分の夫と比較し、決して硬化することがない溶岩のような夫への恨みがよみがえってくる。

気がつけば、無意識のうちにいいねを押している。

だけど、どれだけ「オレやってる」投稿にいいねを押そうが、リツイートをしようが、自分の夫が変わることはなく、逆に男女の分断を広げるだけなのだと、ぼくは思う。

次に、男性が「オレやってる」投稿を目にしたときに何を感じるかについて考えてみたい。

まず男性が感じることはシンプルにこれだと思う。

「なんのためにこの投稿したの?」

目的がわからないのだ。

男性は一般的に女性よりも共感性が低い傾向にあるので、ぼくもこの投稿の真意についてよく考えないと目的がわからない。

今から4年前、妻が出産し3ヶ月の育休を取った男性が、本格イタリア料理やフレンチ料理を毎日FacebookにUPするという行動が注目されたことがあった。

その男性はインタビューの中でこう語っていた。

「今は、家事や育児をする男性が”いいね”を集めやすい時代なんです」

妻へのケアのためではなく”いいね”が欲しかっただけであることは、彼のインタビューからは明白で、彼をそれを恥ずかしげもなく語っていた。

まるで、自分という人間をブランディングするために、妻の立場と世の中の女性の感情を利用しているかのようだった。というより、おそらくそうなのだろう。

彼の言葉からは、妻への思いやりのかけらも見いだせなかった。

「オレやってる」投稿者にとっての目的は単純で、「女性の悲しみと怒りの感情を利用して、自分が注目される」ことなのだ。

(もちろん、単純に男性の家事育児参画を増やしたいという意図を持った投稿もあるが、ここでいう”オレやってる投稿”とは分けて考えて欲しい)

女性の苦しみや怒りや劣等感を知った上で、それらの感情を利用し、みずからの承認欲求を満たす行為。

ぼくら男性にはそうとしか見えず、これらの投稿には不信感がつのるばかりで、なんなら自分の妻がよくわからない怪しい男にたぶらかされているのではという不信感と劣等感で混乱した気持ちになる人もいるだろう。

女性の怒りの感情を刺激し、男性の劣等感を掘り下げる「オレやってる」投稿は、両者の分断を生むばかりで、男女が分かり合えるようになる発信ではないと、ぼくは強く感じている。

そもそも、男性が家事育児をする目的はなんなんだろうか?

SNSで称賛を得るため?

自分の小さな承認欲求を満たすため?

そんなことではないことは確かなのに、誰もがその罪に加担してしまっている。

男性が家事育児をする目的に明白な答えはないと思っている。

なぜなら、どの夫婦もどの家庭も異なっているので、父親に求められる役割が違うからだ。

共働き家庭ならば、「ふたりの家庭」だから家事育児を男もするのが当たり前という人もいる。

妻が専業主婦かパートならば、妻にだけ家事育児の負担をかけさせてはいけない。妻のケアをしなければという思いで家事育児をする人もいる。

また、専業主婦であろうが、共働きであろうが、そんなこと関係ないという人もいる。

男性に求められる家事育児の負担率や業務内容は、「妻が夫になにを望んでいるのか?」によって変わってくる。

頼まれもしないのに、出産後に毎日フレンチ料理を作る必要なんてない。

妻が望んでもいないのに、毎日保育園に送り迎えに行く必要もない。

妻が望んでもいないのに、寝かしつけを男性だけでやる必要もない。

妻が反対しているのに、無理やりそんなことをしてもありがた迷惑なだけで、逆に(この人は私の気持ちをわかってくれていない)と反発を受けるだけだ。

大切なことは、「妻がなにを望んでいるのか?」を対話の中で拾い上げ、妻が毎日幸せを感じて暮らせるように、生活を調整していくことだとぼくは思う。

その調整の中に、保育園の送り迎えや、料理や、寝かしつけが含まれているのかもしれない。

ぼくは以前、こういったすべての家事を男性がやれば、夫婦仲が改善すると思っていた。

だけど、妻との関係に悩む男性の話を聞き、彼らが夫婦関係を修復していく様子を見る中で、それは過ちであることに気がついた。

大切なことは”対話”だったんだ。

妻が何に困っているのか?

妻は何に幸せを感じるのか?

妻は夫に何をして欲しいと思っているのか?

こういったことは普段の生活の中では気軽に出てこない。なぜなら、自分の心を開き、相手に見せることはとてつもない恐怖だからだ。

以前、夫に傷つけられた経験があるなら、なおさら心を開くことは難しいだろう。

自分の柔らかな心を相手に差し出すことは賭けだからだ。

自分の心を夫はまた傷つけるかもしれない。でも一方で、優しく受け止めてくれるかもしれない。

そんなせめぎ合いの中で、妻は夫を憎んだり許したりを繰り返す。

ぼくら夫が、妻の”心の揺らぎ”に気がつくことができ、揺らぎを意識しながら、妻との対話を行うことが大切なんだ。

妻との対話の中で出てくる言葉は、妻にとってとても大切なもののはずだ。

夫にお願いしたいと思っていたけど、遠慮してなかなか言えなかったこと。

悪いと思って夫に言えなかったこと。

夫を傷つけると思って言えなかったこと。

夫から大切にして欲しいと望むからこそ言えなかったこと。

妻との誠実な対話の中から出てきた言葉を、自分の小さな承認欲求を満たすためにSNSの海に投げ込むなんて、きっとできないはずだ。

自分の胸の中にそっと閉まっておきたい大切な言葉のはずだ。

自分にとって”大切な存在である妻”からもらった”大切な言葉”。

そんな大切な言葉を餌に、みずからの承認欲求を満たすためだけに、女性たちから共感と怒りを引き出すなんて、ぼくには到底できない。

夫と妻の分断の解消は、ふたりが壊れそうな心を震えながら持ち寄り、相手に傷つけられる恐怖に打ち勝つところから始まるのだと、ぼくは思う。




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