妻から受けた傷は妻にしか癒せない。夫から受けた傷も夫にしか癒せない。
自分がパートナーに精神的な傷を負わせた場合、その傷に向き合い続けなければいけない。
これは思っているよりもハードな道のりだ。
初めは罪悪感や贖罪の気持ちから向き合えるが、数ヶ月もすればどんなタフな人間だって疲れてくる。
この懺悔はいつまで続くのか?そもそも自分の心の問題なのだから自分でなんとかしてほしい。自分の機嫌は自分で取るものではないのか?
そんな思いが海流のように渦巻き、パートナーへのネガティブな感情へと変化していく。
たとえ、自分が不倫したという過ちを犯したとしても、謝り続ける日々は茨の道だ。
どうすればその茨の道を歩めるのか?詳しく書きたいと思う。
◇
ぼくのところには不倫相談がよく舞い込んでくる。
夫が不倫した。妻が不倫した。再構築したいと二人とも思っているが、その道は荒れ果てており、永遠に続くように思える。
この苦しみはいったいいつ終わるのか、と。
結論から言うとその道に終わりはない。二人の関係性というダイナミクスから生まれた葛藤は、二人のいずれかが、もしくは片方が墓に入るその日まで続いていく。
だが希望もある。
トラウマとも呼べる心の傷は消すことはできないが、やわらげることができる。
その方法が、傷を負わせた側からの寄り添いだ。
不倫行為をした側がされた側に寄り添い続ける。
例えば妻が不倫した場合、妻の洋服、下着、コロンの香り、そういったすべてのものがフラッシュバックの引き金となる。
夫が不倫した場合も、密会に使われたホテル、待ち合わせに使われた駅、彼らが隠れて通ったカフェ、それらすべてがフラッシュバックの引き金となり、された側を長い間苦しめ続ける。
だが、した側はこう言うのだ。
「もう、終わったことだ」
「前を向いていこう」
「過去には戻れない」
確かにそれは「終わった」ことだろう。不貞行為に終止符は打たれ、場合によっては慰謝料をともなう示談によって話し合いは終結している。
だが、された側にとってはどうだろう?
信頼していた人間の裏切りは心に大きな傷をつくり、目の前のパートナーがまったくの他人に思えてくる。
家に帰れば心に傷を負わせた加害者がそこにいる。これは性加害者と同居するくらいの異常環境だ。
そして、その加害者はあなたにこういうのだ。
「もう終わったことだ」
だが、された側にとってはどれだけ月日が流れようと「過去」のものにならない。
ショッキングな出来事により記憶は断片化されているため、ふとしたきっかけでトラウマが再燃し取り乱してしまう。
それは自分の意思とはまったく関係のない反射行為なのだ。
この傷はどうすれば薄まるのか?楽になる日はくるのか?
その方法はただひとつ。
した側からされた側への寄り添いだ。
傷を負わされた側がどういった気持ちをどのように感じていたのか。
そこに好奇心と寛容さを持って理解と共感を寄せていくのだ。
ときには寄り添いに辛さを感じることもあるだろう。夫婦というのは個々の独立した存在ではなく、それぞれがお互いに強い影響を与え合っている存在だ。
不倫という大きな課題であっても、その裏にはした側が抱える葛藤もあるだろう。その葛藤を含めた気持ちの共有と受け止め合いがもっとも望ましい。
だが、いつもそううまくはいかないだろう。そんな時は自分に思いやりを向けてみよう。
自分を責めるのではなく、過去の行為を無理やり正当化するのでもなく、自分に理解と共感を寄せるのだ。
(そうなってしまった背景にはこういった事情があったんだな。他にも同じような葛藤を抱えた人はいるだろう。パートナーに共感をしめすのが難しいのも当然かもしれない)
だからといって問題に向き合わないわけではない。自分への思いやりを満たしながら、パートナーへの思いやりを実践するのだ。
夫婦間の理解と共感は橋作りに似ている。
濁流あふれる川を想像してほしい。二人は両岸で向かい合っている。
お互いの姿は見えるが声は届かない。川に足を踏み入れる。水は冷たく、川幅は広い。そこに足場を組み、向こう岸に向けて橋をかけるのだ。
向こうにいるパートナーは動こうとしないかもしれない。それでもあなたは橋をかけるのだ。ときに激しい夫婦喧嘩によって橋が流れることもあるだろう。
それでも橋を作り続けるのだ。自分への思いやり、相手への好奇心、そして寛容さを忘れずに。その橋こそが理解と共感だ。
心の傷が薄まり、橋作りの必要性を認識してくれればパートナーも向こう岸から橋を作り始めてくれるだろう。
心の傷をひとりで乗り越えることは「自分の機嫌を取ること」とは別次元の話だ。
一人で乗り越えることは、激しい奔流に負けじと歩いて川を渡ることに近い。当然、川の流れに負け溺れてしまう。
毎年悲しい事故により川遊びで亡くなる人が絶えないように、夫婦の葛藤を力ずくで乗り越えようとすると別れることになる。
力ずくでは夫婦の溝は埋まらない。お互いに理解と共感を寄せ合うことで構築する橋が、ふたりの距離を縮めるのだ。
お互いの気持ちを素直に伝え合い、同じ感覚を感じれるまで共感をよせていく。それは恐怖に近い体験だろう。自分が与えた傷に向き合うには勇気が必要だ。
だが、理解し、気持ちを寄り添わせることで癒しが始まるのだ。
あなたがパートナーに負わせた傷は、パートナーにしか癒せない。
パートナーがあなたに負わせた傷はパートナーにしか癒せない。
橋を作り終えたとき、やっと二人の心の声が相手に届くようになる。そのときに親密感が生まれるのだ。
傷が消えることはない。だが、二人が同じ橋を歩くことでその傷を薄くすることはできる。
夫婦の旅に終わりはないのだ。終わりなき度を歩き続けるためのヒントは内発的動機(やりたいからやる)だ。
自分と相手への思いやりを習慣化できれば、内発的動機は自然と生まれてくる。
ぼくもあなたも、どんな人間であっても、夫婦の旅はでこぼこだらけだ。
どうか、そんなでこぼこだらけの道を好奇心と寛容さを持って楽しみながら歩いてほしい。
少しでも参考になれば幸いです。
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