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夫が妻に共感できないのは”妻の収入が低いから”なのか?

「夫の妻への共感能力は、妻の経済力によって変わる」

こないだ読んだ本にこんなことが書いてあったんです。

男性は妻の収入が自分(夫)と同じになると、妻の言葉に共感をしめすようになるそうです。

逆に、妻の収入が自分より低いと、妻の話を聞こうとしない。

ひどい話だなと思うかもしれませんが、ちょっとわかるような気もするんです。

でも、妻への共感性が生まれる要素は、収入面以外にもあるとぼくは思うんです。

どうすれば、ぼくら男性は妻への共感能力を鍛えることができるのか?

今日はこのことについて考えてみたいと思います。

何を言ったかではなく、誰が言ったかが大事な男の世界

男性の共感性は相手の経済力次第というのは、男性社会特有の現象に注目するとわかりやすいです。

仕事のなかで、同じことを言っているのに"誰が"言うかによって、まわりの態度がぜんぜん違うことってありますよね?

役職の低い人間が発言してもきちんと受け止められないけど、同じ発言を役職の高い人間が言うと、みんなきちんと話を聞く。

そんな経験ってありますよね。

偉い人間の言うことだからしかたなく聞くと言うのもあると思いますが、それだけじゃなくて、その人が持つ権威性に影響されてしまうことがあると思うんです。

以前、仕事である提案を上の人間にしたことがあったのですが、ぼくの話は聞いてもらえないことがわかっていた(わかってもらうにしても時間がかかる)ので、別の人間を巻き込んだことがありました。

ぼくが提案をしたい人がさからえない別な人間を味方につけ、その人から同じ提案をすることで、すんなりと承認されたことがあったんです。

根回しとはちょっと違くて、権威性の利用という方が近いかもしれません。

呉服屋で働いているときは、こんな面倒なことは必要なかったのですが、サラリーマンとして企業で働き出したとたんに急に増えたんです。

男性は関わる人間を序列づけるクセがあって、誰が上か下かを無意識に考えているんですよね。

その序列づけのおかげで、男性だらけの職場では変に反対する人間が減って、仕事がスムーズに進むんです。

個人的には好きなやり方ではないんですが、女性が少ない職場ではそうなりやすいなと感じていて、そこにさからうよりも利用してしまった方が得なことがあるんですよね。

ただ弊害もあって、”なにを言ったか”ではなく、”誰が言ったか”という思考を知らぬ間に家庭にも持ち込んでしまっているから、妻への共感能力も影響されてしまっているんだと思うんです。

男にとっての幸福の価値観は経済力

ぼくら男性は、何を言ったかではなく、誰が言ったかという世界に生きている。

"誰が"を規定するのは、経済力です。

その人がどれだけ稼いでいるかに、ぼくら男性は強く影響されます。

なぜなら、ぼくら男性が幸福を感じる基準が"収入の高さ"だからです。稼ぎが少なければ不幸を感じ、稼ぎが多ければ幸福感を感じる。

女性の幸福度にもっとも関わる指標は夫婦関係だそうですが、男性の場合は収入の高さなんだそうです。

男性は、自分が幸せを感じることができる"経済力"で、目の前の相手への評価を変えるんです。

会ったこともないイーロン・マスクやスティーブ・ジョブズのことは高く評価しますが、毎日顔を合わせているパートの妻のことは低く評価する。

"自分が幸せを感じることができる収入"がその人にそんなにあるのなら、きっと優れた人間であるに違いないと勘違いしてしまうんです。

なぜなら、経済力というのは自分にとっての大きな幸福の尺度であり、計測がとても簡単だからです。

でも、夫から妻への共感能力を上げるために必要なことは、"妻の経済力"だけではないと思うんです。

男性が"経済力"を評価の対象として使うのは、収入が高い人ならば人間的にも能力的にも優れているに違いないと思っているからです。

ならば、収入面以外において、妻が人間的にも能力的にも優れていることがわかれば、妻を高く評価し、共感性が上がっていくはずですよね。

収入面以外の妻のリスペクトポイント

妻の仕事内容や、家庭内外での活動など、自分ではとてもできないことを妻がしている場合、シンプルに尊敬の念を抱くことがぼくはあるんです。

うちの妻はさまざまな人の相談にのることが多い仕事をしているのですが、他の人が面倒がってやりだからないことも、"その人のため"に泥臭く粘り強く仕事を積み重ねる人なんです。

話を聞いていても、(ぼくならくじけそうだな……。)というような体験をいくつもしていて、本当にすごいなといつも感じるんです。

それから、子どもが地域コミュニティでうまくやっていけるように、"がんばって"ママ友と仲良くしているという話を聞いたときもびっくりしました。

ただ、話をするのが好きなだけだと思っていたのですが、そうじゃなくて子どものためにあえてママ友の輪に飛び込んでいたそうなんです。

それから、ぼくは子どもたちに甘くて、寝かしつけも一緒に寝てしまって、子どもが寝たあとに自分の寝室に戻るものだから、子どもが深夜にぼくの部屋に入ってくることがあるんですよね。

昨夜も深夜3時半にぼくらの寝室にもぐり込んできました。

そんなことが続くと寝不足になるんですが、うちの妻は「はい!もう寝るよ!」とビシッっと言い聞かせて、子どもたちがぜんぜんぐずらないんですよね。

妻のおかげで、ぼくら夫婦は子どもたちと別な部屋で寝ることができているんです。

それから、トイレットペーパーやティッシュやおしり拭きや、そのほか色んなストック品の管理も妻がしっかりやっていて、足りなくならないようにいつもチェックしているんですよね。

リモートワークが減って、ぼくが家に帰る時間が遅くなったんですが、それまでに妻は夕飯を準備して、子どもたちに食べさせて、ふたりの子どもたちの宿題のチェックをして、3才の三男をお風呂に入れることまでしてしまうんですよ。

上の子たちは小2になり、人間関係での悩みも出てきて、お話を聞いてあげることで心理的なケアもする必要があるんですね。

そういった妻の姿を見ていると、単純にリスペクトしかないんですよね。

どれだけ稼いでいるとかそんなことじゃなくて、ぼくにできないことがこの人にはできる。

その積み重ねが、妻への人間的かつ能力的なリスペクトへとつながっていったんだと思うんです。

そして、妻へのそのリスペクトが、(妻の話に耳を傾けよう)という意識へとつながっていくんだと思うんです。

ただ、妻のことを知る時間がぼくにはあるからできるのかもしれないとも思うんです。

妻とふたりで会話をする時間がなければ、こういった妻の行動や、妻の心理を知ることはできなかったと思うんですね。

夫婦関係がこじれてしまった方のお話を聞いていて、毎回のように出てくる言葉が「夫婦の会話がなかった」です。

夫婦の会話がないから妻のことを知る機会がなかった。

夫婦の会話がないから、夫のことを知る機会がなかった。

あたりまえのように一緒に暮らしているけれど、もっとも距離が近い人だけれど、実はどういう人なのか、なにを考えているのか、よくわかっていなかった。

そんなことって本当に多いんです。

ぼくら男性が”妻への共感能力”を上げるには、妻のことを知る時間を作ることと、妻のことを知ろうとする謙虚な態度が、まずは必要なのかもしれませんね。

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