夫婦の「性格の不一致」はどう対応したらいいのか?
「三十路越えパーティやるから」
もうすぐ30歳になるというある日のこと、妻は突然そう言った。
30歳という節目を迎えるにあたって、自分の不安やらなんやらを吹き飛ばすために友達をたくさん呼んで誕生日パーティをするということらしい。
妻はものすごく外交的でやたら友達が多く、子どもが生まれるまではしょっちゅう友達とのバーベキューなどのイベントを仕切っていた。
「三十路越えパーティ」のようなイベントもよく主催していて、本当に活動的だった。
一方、ぼくはというと、人と会うより本を読んだり映画を観るのが好きで、図書館と映画館が何よりも落ち着くという、妻とは真逆の内向的な人間です。
普通なら気が合わなそうなぼくらだけど、結婚から10年を迎えても、気が合わないということはあまりない。
一方で、「性格が合わない」とか「価値観が合わない」と悩む夫婦もいる。
なぜ、真反対の性格のぼくらは気が合うのか?
なぜ、お互い好きあって結婚したはずなのに、「価値観の違い」で悩む人がいるのか?
今日はそのことについて、考えてみたいと思う。
相手が持っているものに惹かれている
ぼくは妻と出会ってから、色んなところに連れて行かれたんです。
山登りや、友達とのバーベキューや、友達とのスノーボードや、友達とのキャンプや、それになぜか、妻の友達の結婚式の余興でダンスを踊ったこともあります。
どれもこれも、ぼくが1人だったら絶対にやらなかったようなことばかりなんですよね。
本音を言うと、妻のイベントに参加するまではちょっと不安だったりしたこともあったんですが、実際にその日がやってくると心から楽しめたんです。
妻の友達は妻と同じように、おしゃべりが好きで元気な人ばかりでした。ぼくから見たら眩しすぎて普段なら直視ができないのですが、同じ場所に「仲間」として迎えてくれているせいか、いつも最終的にはとても楽しむことができたんです。
たぶん、ぼくは憧れていたんですよね。
自分が思っていることを大きな声で発言することができて、楽しい時は大きな声で笑うことができて、遠慮せずに冗談を言い合えて、そんな人たちに憧れていたんだと思います。
ぼくは大勢で集まってなにかを楽しむことが苦手だし、思っていることを誰かに大きな声で伝えることも苦手だし、冗談を気軽に言えるような人間じゃなかったんです。今でもそういう気質の方が強いけど、当時はもっと強かったんです。
だから、妻に惹かれたんだと思うんです。
妻はいつも明るい太陽のように元気いっぱいで、嫌なことは嫌、楽しいことは楽しいとはっきり言う人なんです。
妻が持っている明るい面に惹かれ、そっち側になにがあるのかなーってすごく気になってたんですよね。
妻も同じだったそうです。自分とは反対の人間、本をたくさん読んでいたり、色んなことを知っていたり、知識欲が貪欲で静かな人に憧れがあったそうです。
ぼくらは自分にないものに憧れがあり、その憧れを相手に求めていたんだろうなって思うんです。
まだ、子どもが生まれる前、小さな2Kのアパートで2人で暮らしていた頃、週末に妻が「今日はどこに行こうか?」と言うので、いつも出かけてばかりでちょっと疲れていたぼくは「美味しいお菓子を買って、お茶を飲みながら、コタツに入って本を読まない?」と提案したんですね。
「つまんない」と反対されるかなと思ったんですが、意外なことに妻は「面白そう!」と乗ってくれて、ぼくらは二匹の寒がりの猫みたいにコタツに入って、ぬくぬくと本を読む一日を過ごしました。
この日のことはよく覚えているんですが、なぜ覚えているかというと、ぼくの「世界」に妻が入ってきてくれたことに対する喜びを感じたからなんですよね。
たぶん、妻もぼくをバーベキューや山登りに誘うたびに不安な気持ちになっていて、実際にぼくが楽しんでいるのを見て安心していたのかもしれませんね。
ぼくのサプライズパーティを妻が何度かしてくれたことがあるのですが、ぼくが嫌な気持ちになってなかったか、後で気にかけていることもありました。
ぼくらは全然違う世界に住んでいて、全然違う世界が好きだったわけだけど、お互いの世界に対する憧れがあったんです。
妻はぼくらの価値観の違いを「パーティ族」「静か族」と呼んでいました。
ぼくは「パーティ族」に憧れ、妻は「静か族」に憧れていた。
そして、お互いの世界を行き来することによって、その憧れに対する渇望を満たしていったのかもしれません。
「自分」からはみ出す
妻の友だち4~5人と一緒に初めてスノーボードに行った日のこともよく覚えていて、ぼくは4~5人で雪山に泊まりに行くのも、スノーボードをするのも初めてだったんです。
(なんとかなるだろ)と思って、みんなと一緒にリフトで山の上へと上がると、ものすごく斜面が急で、(こんなとこ降りれんの...?もう戻りたい...)とビクビクしていました。若干吹雪いているし。
でも、意を決して(えいや!)とその急な斜面を滑り降りていったんです。
止まり方は分かんないけどなんとかるなるだろと思って、勢いよく滑ったんですが、なんともなんないんですよね。
勢いがつきすぎて曲がることもできず(そもそも曲がり方を知らない)、100メートルくらい超スピードで滑ったあとはゴロゴロゴロと盛大に転げ回り、世界が真っ白になりました。木に突っ込まなかっただけでもラッキーでした。
「あっちゃんが消えた!!」
と、突然超スピードで消えたぼくをみんな心配していたそうですが、ぼくもまさか雪だるまのように転げ落ちるとは思いませんでした。
そのあとは、妻から手取り足取り、丁寧に滑り方や止まり方を教えてもらって、翌日の帰るころには、ちょっとはましな滑り方ができるようになっていました。
この時のような「吹雪いている急斜面を超スピードで落ちる感覚」って、ぼくはすごく好きなんですね。
というか、もしかしたらこの時に好きになったのかもしれません。
自分の価値観から超スピードで抜け出し、新しい価値観に突っ込んでいくような感覚。
それって、現状の自分から「はみ出す」ことなのかなとも思うんですね。
今の自分からいったん離れて、他の世界に飛び込んでみる。
そこでは嫌な思いをすることもあるけど、それ以上に今までの自分では決して出会うことができない感情と出会うこともできるんですよね。
「自分」に戻る
でも、最終的にはぼくはぼくの世界に帰っていくわけです。
引き伸ばされたゴムが元のサイズに戻ろうとするように、元の自分の世界に戻っていくわけです。
静かで、少人数で、自分が深く興味を持つ地面をひたすら深く掘っていくような世界に。
でも、その世界に帰ってきたとき、ぼくは今までの自分とはちょっと違っているんです。なにかが変わっているんですよね。
妻と出会って、妻に連れ回され、色んな場所に行き、色んな経験をし、色んな人に出会ったけれど、そのたびにぼくの中の核のようなものを少しずつ形を変えていくんです。
「静か族」というコアやハード面は変わらないんだけど、ソフト面でなにかが変わっているんですよね。
「お互いの価値観が合わない」って確かにあると思うんですが、思い切って相手の世界に飛び込んでみると、(意外に悪くないじゃん)ってことがあると思うんですよね。
もしくは、今までな毛嫌いしてたけど、嫌いとか苦手って感情はなくなったなとか。
その世界に永住したいとは思うようにはならないけれど、だけど相手の世界に飛び込むことは「相手を知る」ことだと思うんですよね。
その作業の繰り返しが、「価値観の違い」をなくしてくれるわけじゃないけど、相手を受け入れることや、相手への好奇心につながっていって、少しづつ(まぁ、こういう世界もあるのか)という理解へとつながっていくのかなと思うんです。
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