いいじゃない。たまには子どもを置いて家出したって。
うちの妻はよく家出をする。
「もう、出てく!」
そう叫ぶと、スマホを握りしめ、野生の虎のように荒々しく玄関から出ていく。
以前は、バタン!と扉が閉まる大きな音に子どもたちは茫然としていたけれど、今じゃ「行っちゃったね」なんて言って平然としている。
子どもを置いて家を出るなんて、ひどい母親だと思うだろうか?
ぼくはまったく思わない。
丸一日帰ってこないわけじゃないし、せいぜい30分だ。
近所のコンビニでアイスを食べたり、からあげクンを食べて気持ちを落ち着かせて帰ってくる。
妻が家出するタイミングは、だいたい、子どもたちが言うことを聞かなくてイライラしているときだ。
このままだと頭がおかしくなりそう。子どもたちに暴力をふるう可能性だってあるかもしれない。
そんな恐怖を感じた妻は、とっさに家を出る。
長男次男が3歳になるまでは、夫婦喧嘩が原因で家出することもあった。
ぼくらの話が平行線のまま分かり合えなかったり、お互いに感情的にヒートアップしてしまったときなど。
妻は気持ちを落ち着かせるために、あえて家から出ていく。
コンビニまでの15分、アイスを食べながら帰路に着く15分。
妻は自分と向き合う。
残されたぼくも、急に静かになった家のなかで、自分と向き合う。
帰ってきた妻はいつも冷静だ。
ぼくの言葉や子どもたちの行動など、なにが原因でイライラしてしまったのか、なぜ、自分がそれらに強いストレスを感じたのかを、客観的に語ってくれる。
そこにぼくに対する攻撃性はなく、あるのは自分の気持ちに対する落ち着いたまなざしだ。
牙をむいた虎のようだった妻は、借りてきた猫のようにおとなしくなり、一生懸命、心のうちに潜んでいたモヤモヤをぼくにさらけだす。
そこにあるのは綺麗なものばかりじゃない。
劣等感や恥など、ネガティブな感情だってある。ぼくだったら怖くて認められない感情もある。
勇気を出しておのれと向き合った妻にリスペクトを感じ、ぼくも少しだけ自分のいたらなさを見つめる勇気をもらえる。
妻の感情の渦に飲み込まれ、一緒に涙を流すこともある。
毛づくろいをし合う二匹の猫のように、ぼくらは抱き合い、「ごめんね」「ありがとう」と言葉をかけ合う。
夜風で冷たくなった妻の体が、少しずつ温まる。30分前よりも、ぼくらの心の距離は、確実に近づく。
思い通りにならない子育て、ままならないキャリア、埋まることのない劣等感、嵐のように過ぎ去るあわただしい毎日を、ぼくらは必死で生きている。
いいじゃない。たまには家出したって。
気ままな猫のように、しっぽを振りながら夜風に吹かれたって。
ぼくらに必要なのは、自分を見つめる時間、自分の素直な思いを受け止める誠実さ、そして、その柔らかな思いを、誰よりも大切なパートナーに伝える勇気なのだから。