見出し画像

呉服屋で学んだ"女性の気持ち"を理解するヒント

ぼくは「呉服屋」と「商社」で働いたことがあるんですが、このふたつの業界で働く男たちには明確な違いがあったんです。

そして、その違いは”妻を理解すること”において、とっても重要だなって考えているです。

その明確な違いというのは、”人を自分の枠に落とし込むかどうか”です。

どういうことかというと、誰かと会話をしていてその人の性格や置かれた立場を考えるときに、商社の男たちは”自分の体験”をもとにした言葉を選ぶんですね。

自分の体験から得られたフレームワーク”の中に、話し相手を落とし込んで、(この人はこういうことを言っているに違いない。この人はこういう人なんだろう)と認識しようとするんです。

これって理解は早いんですが、自分のフレームワークから外れた人たちのことは理解できないんですよね。

もっと言うなら、わからない人のことは”理解しようとしない”傾向があったなって思うんです。

(この人は自分の認識の外にいるな。どういう人なんだろう?)

と深く考えようとせずに、(ちょっと、こいつよくわかんないな)と切り捨てる人が多かったなって思っています。

たぶん、自分とはまったく違う人間性を知ろうとすることってロジカルじゃない行為だから、苦手な男性が多いのかもしれないですね。

その人の性格とか人間性って、理屈に落とし込んで理解するのが難しいですもんね。ましてや、自分と違う常識を持った人間だと自分の中にその常識がないので、よけい難しいんだと思うんです。

呉服屋から商社に転職したぼくは、同僚から宇宙人のように見られていましたから。

では、その呉服屋の男たちはどうだったかというと、ロジカルに考えるのは苦手なんですが感情に敏感な人がたくさんいたんですね。

自分とは違う考えを持っている人と出会っても、(あ、そういう考えもあるんだな)とスッと自分の心のなかにその人の居場所を作る人が多かったんです。

呉服の販売って、いろんな女性と話をすることになるので、自分の常識から外れた人ばかりなんですね。

しかもぼくら男性は20代30代で、お客さまは若くても40代、メインは50代から60代でしたので、世代のギャップもとても大きいんです。

性別も世代も違うので、普通に考えたら話なんて合わないんですよ。

でも、その”普通に考える”というのが、”自分の枠のなかに相手を落とし込む”ということなんだと、ぼくは思うんです。

自分の中の小さな枠に入れ込もうとしても、どうしてもはみ出てしまうんですよね。呉服屋の店員とお客さまとでは置かれた環境がぜんぜん違うので。

だから、ぼくらはその人を理解(自分の枠におさめる)しようとせずに、”その人を感じよう”としていたんです。

頭で理解しようとしてもできないので、ありのままのその人の存在を心で感じて、(おもしろい人だな、楽しい人だな、優しい人だな)などと、その人を感覚でとらえるようにしていたんです。

ありのままのその人と自分を同化させるように、その人の感情に寄り添って、そういう考えもあるのかと思えるようになると、自分のなかに枠がどんどん増えていくんですね。

商社の男たちが自分の枠を増やすことはせず、自分のなかにあるフレームワークに人を落とし込んでむりやり理解しようとしていたのは、自分の常識から外れた人と出会う経験が少なかったからなのかもしれないなって、今では思うんです。

同年代や自分より年配の男性としか仕事はしないし、決まりきった商習慣があるので、その枠から外れる人はいないですよね。

呉服屋のように話し相手が欲しくて毎日お茶を飲みにくる人もいないし、何十着も猫の絵柄の着物だけを買い続ける人もいないですよね。

ひとつの世界にずっといると、他の世界のことを非常識と感じるようになって、新しい枠を自分のなかに作ることがなくなるのかもしれないなって思うんです。

そして、それが”夫が妻を理解しようとしない”原因なんじゃないのかなって思うんです。

自分とは違う人間(妻)の感覚が自分のなかにはなく、その人の居場所を自分のなかに作ろうとしないので、”わからない”と認識してしまっているんじゃないのかなって思うんです。

妻が自分とは違う人間であることは間違いないので、今の自分では”理解できない”のはしょうがないと思うんです。

でも、たとえわからなくても、その人を否定せずに自分のなかにいったんすべて受け入れて、(こういう人もいるのか)ととらえて、対話を重ねることで、新しいフレームワークができてくると思うんです。

受け入れて、フレームワークを増やしていくことで、妻を理解できるようになるし、妻から(わかってくれている)と思われることで信頼関係も構築できるようになるなって、ぼくは感じています。

”妻のことがわからない”と切り捨てることは、自分のなかに新しい考えを増やそうとする柔軟性に欠けているということなのかもしれないなと、ぼくは思うんです。

自分のなかに異なる考えを入れるというのは、体に異物を注入するようなものなので、自分のアイデンティティが壊れるような怖さを感じるんです。

でも、その怖さを乗り越えることで、硬直している夫婦関係がちょっと変わるんじゃないのかなって思うんです。

すべてを受け入れて同調するんじゃなくて、(そういう考えもあるのか)と認めるだけでも、ちょっと楽になるのかもしれないなって。

ポッドキャストでもこの話を違った視点から話しているので、聴いていただけると嬉しいです。


いいなと思ったら応援しよう!