なぜ、女は恋愛を求め、男はセックスを求めるのか?
不倫をしている女性の話を聞くと、セックスそのものではなく、不倫相手との恋愛感情を求めていることが多いです。
一方で、不倫をしている男性はセックスそのものを求めているケースが多い。
もちろん、人それぞれだとは思うけど、そんなパターンをよく見聞きするんです。
この違いはどこから来るんでしょう?
恋愛を求める女性心理を理解することで、ぼくら男性はもうちょっとだけ、自分の妻との心理的距離を縮められると思うのです。
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結婚し、子どもが生まれると生活が一変しますよね。男も女も今までの自分と同じではいられなくなります。
自分のことより子どもが優先となり、時間もお金も自分に使えなくなりますよね。
乳児期はミルク代やオムツ代にお金がかかり、幼児期には保育料にお金がかかり、学童期には習い事や学費にお金がかかります。
時間もそうです。乳児期には睡眠時間を削って授乳と寝かしつけをし、幼児期と学童期には仕事時間以外、休日も含めすべて子どもの相手で潰れます。
うちは4歳、8歳、8歳の元気すぎる男の子たちがいるので、よくわかります。
夫婦で協力し合わないと、自分の時間は1分たりとも取れず、自分のためにお金を使うこともありません。
子育てとは自己犠牲だなとつくづく感じるんです。
親が自分のほぼ全ての時間を子どもに捧げるから、子どもが心理的に健康に育つ。
いくつもの途上国の貧困層にマイクロファイナンスの信用組合を作っている慎 泰俊さんはnoteにこう書いています。
また、こうも書いている。
自分は大切にされていると実感することで、自分は社会に生きている意味があると感じられる。
これは、親子だけじゃなくて、夫婦でも同じなんです。
自己を犠牲にすることって普通にハードじゃないですか?心理的にも肉体的にも無理をすることになります。
それを子どもが生まれてから10年以上も続けるためには、夫婦が支え合う必要があるんです。
支え合うことで、気が狂うことなく、子どもへの自己犠牲を続けられるんです。
子どもへの無償の愛とは、夫婦がお互いに協力し合うという前提条件が付帯するものだと、ぼくは思うんです。
夫が自己犠牲をせず、出産前と同じ生活を続けている一方で、妻は20代から30代、もしくは30代から40代のおよそ15年間を、すべて子どものために捧げた場合、何が起こるか?
自己犠牲のバランスが大きく崩れてますよね?
そうすると、妻の自己肯定感は大きく下がり、犠牲にし続ける自己を回復させるための癒しを必要とします。
その癒しが、大切にされているという実感です。
自分は大事に扱われている。大切に扱われている。自分はこの世界で意味のある存在なんだ。生きている意味はあるんだ。
そういう実感を求めるようになり、夫以外との恋愛と結びつくようになります。
不倫の一歩手前にいる女性はアイドルにハマります。主にジャニーズが多いようです。
スマホの画面越しに、テレビの液晶越しに、そしてライブ会場で、彼らからの愛情(という名の商売ですが)を身体中で感じ、自己肯定感を取り戻していきます。
アイドルで満足する女性もいれば、その先(婚外恋愛)に足を踏み入れる方もいます。
彼女たちは、自分の行為を不倫とは呼ばず、婚外「恋愛」と呼びます。
なぜなら、不倫は暗く湿った影を帯び、犯罪の香りがし、社会的に認められないイメージをまとっていますが、「恋愛」と呼べば急に明るいイメージになるからです。
婚外恋愛は、夫が与えることができない「恋愛感情」を求めての行動ではないんです。
夫が与えてくれることのなかった「大切にされているという実感」、一言で言うならば「ケア」を求めての行動です。
それは、自己犠牲の果てに疲弊し切った体を潤す、オアシスの水のようなもの。
水分が乾いた身体中に行き渡り、生きている実感を激しく感じる。あぁ、生きている。自分は生きているんだ。
そんな生の実感を感じられる。
その源泉が「大切にされている実感」なんです。
恋愛期間中はお互いに強く求め合い、大切にし合いますよね。
ぼくは、女性が恋愛を求める理由は、誰かから大切にされたいからなんじゃないのかなって思っています。
そして、男性がセックスを求めてしまう理由は、同じく「大切にされている実感を感じたい」のだけど、セックス以外でそういった親密性を感じられる方法を知らないからなのかもしれません。
「もっと大切にして欲しい」と、妻が夫の心に届く言葉で伝え、夫は「大切にし合うこと」が男女の親密性の源泉であることを理解すれば、もっと違った未来が開かれるんじゃないのかなと、ぼくは思っています。
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