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敷かれた布団を目にし、妻が涙ぐんだ話

「あー!もう嬉しい!泣きそう!」

妻は旅館の部屋に敷かれた布団に寝転ぶと、涙ぐみながらそう言った。

「ふかふかー!」

8歳になった長男次男と、もうすぐ4歳の三男も、敷かれた布団の上をコロコロと転げ回った。

地元の食材をふんだんに使った夕食でお腹いっぱいになったぼくらを出迎えてくれたのは、洗い立てのシーツに包まれた五つの布団だった。

シミひとつないシーツ、枕カバーも真っ白だ。掛け布団もふわっふわだった。

子どもたちの布団が三つ並べられ、ぼくら夫婦の布団は子どもたちとはちょっと離れた場所に敷かれていた。その配慮も嬉しかった。

二泊三日の旅行のハイライトは、この瞬間だったと妻は言う。

夕食後に部屋に戻ったら、綺麗に敷かれている布団が視界に広がっていたその瞬間が。

ぼくにとっても、この瞬間は旅のハイライトのひとつだったと言える。

妻のそのリアクションを見たとき、ぼくはぼくらの旅の本当の目的がちょっとだけわかったような気がした。

ぼくらはただ旅行をしたかったわけじゃないんだ。

ぼくらは、誰かから大切にされる体験をしたかったのだと思う。

その旅は上の子たち(小学校2年生の双子の男の子)の誕生日のお祝いでもあったんです。

妻のママ友からの評価が高い水族館がちょっと遠くにあるのですが、ちょうど子どもたちが好きな危険生物を展示しているということと、子どもたちが乗りたい!とずっと言っていた新幹線に乗せてあげたいなという思いがあり、二泊三日の旅行に行ってきたんです。

旅行自体はすごく子どもたちも喜んでくれて、初めて見る憧れの危険生物を怖がりながらも興味津々に眺めていました。

不安だった電車移動も意外にみんな大人しく乗ってくれて、子どもたちの成長をじんわりと感じた旅だったんです。

ただ、8歳の男の子ふたりと、3歳の男の子ひとりを連れた旅行は色々と大変なことも多いんですよね。

トイレのタイミングがバラバラだと、駅や水族館でなんどもトイレに行くことになるし、水族館では子どもたちが見たいものがそれぞれ異なると、別行動になってしまうんですが、大人2人とこども3人だと、大人の数が足りなくて別行動がけっこうむずかしいんです。

どうしても、まだ言うことを聞いてくれない下の子を優先させてしまうので、上の子のうち一人の希望が叶わないことが増えてしまうんです。これは普段の生活でもそうですが。

そんな小さな不満がたまっていくと、子どもたちがぐずりやすくなったり、それにつられて大人のぼくらもイライラしやすくなったりと、よくない連鎖が起こってしまうんですよね……。

夕食は別室で会席料理だったのですが、上の子たちは子ども用にアレンジされた料理であっても、基本的には大人向けの料理のアレンジなので、なかなか食べてくれなかったりするんです。

そういった降り積もる小さなストレスを抱えて、夕食後に部屋に戻ると、洗い立ての真っ白なシーツに包まれたふかふかのお布団が出迎えてくれた。

子育てをされている人ならわかってくれる思うんですが、この時の感動と言ったらないですよね。

「わー!お布団だー!」

と、みんなで布団にゴロゴロと横になり、ふと隣を見ると、妻が涙ぐんでいたんです。

なせ、敷かれた布団にぼくらは強く感激してしまったのか。

それは、子どもを育てる親であるぼくらは、周りから大切にされる体験が少ないからじゃないのかなって思うんです。

この記事のように、ぼくら夫婦は子どもたちに対して、ほぼ一方的なケアをしています。

だからといって、子どもたちから見返りを求めているわけじゃなくて、十分な愛を感じているわけですが、ケアのかたよりは精神的に悪い影響も出ると思うんです。

誰かを思いやるばかりで、誰かから思いやられる経験が少ないと、自分の中の情緒的なモノの貯金はどんどん減っていきますよね。

どこかで、それを補充する必要はあると思うんです。

子育てをするぼくらにとって、その補充は夫婦がお互いにすることができるし、それはやるべきだなって感じてます。

だけど、家庭外においてもその貯金は減っていくんですよね。

子どもが生まれる前は時間を気にせず働いていましたが、子どもが生まれてからはそうはいかなくて、夕方の家事育児のために早めに仕事を切り上げたりします。

それ自体はなにも悪いことじゃないし、仕事が効率的になっていいと思うんですが、そういった働き方をしている人が少ない環境だと、周りに気をつかってしまうんですよね。なにも悪いことはしてないんですが。

電車の中でも、子どもたちがちょっとでも騒いだら迷惑がかかるんじゃないかと不安になったりするんです。

電車って子どもが本当に少ないんですよね。都会は特にそうで、ただ子どもと電車に乗るだけで居心地が悪くなることもあります。

子どもに「シー!静かに!」と小声で叱っている他の親を見ていると、なんだか気の毒な気持ちにもなってきます。

(迷惑になるかも)と、自分たちが勝手にとらわれているだけなのかもしれませんが、そう思っていたとしても、やっぱりこういったことは少しづつストレスとして心に降り積もっていくんです。

誰かに気をつかってばかり。

誰かをケアしてばかり。

そんな毎日を生きていると、ふとした瞬間に訪れる「大切にされた経験」が、涙を流すほどうれしく感じるんです。

自分たちが泊まった旅館の部屋に布団が敷いてあったという、ただそれだけのことに、妻は涙を流した。

誰かに気を使ってばかり、誰かをケアしてばかりの毎日を、ぼくらはちょっと見直してもいいのかもしれない。

そんなことを感じた旅の夜でした。

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