家事外注における心理的障壁の正体とは?
こんにちは。
昨日の記事に書いたように、うちではシルバー人材センターから派遣された方に、夕方の家事をまるっとお願いしています。
ちょろっとこの記事でも書いたのでですが、家事を他の人でやってもらうことって、自分でも不思議だったんですが、どうしても居心地の悪さを感じるんです。
だからと言って、家事の外注をやめるというわけではないのですが、この罪悪感とでも呼ぶべきものが、家事外注の心理的障壁になっているのだろうなぁと感じています。
今回は、この「家事外注における居心地の悪さ」について書いてみたいと思います。
なぜ、人に家事をしてもらうと居心地が悪いのか?
まず前提として、シルバーさんに平日毎日夕方来ていただいて、食器洗い、風呂掃除、トイレ掃除をしていただき、しかもめちゃくちゃ綺麗にしていただいて、ものすごく感謝していますし、これからもお願いすると思います。
その気持ちは変わりません。
ですが、どうしても居心地の悪さを感じてしまうため、そのことについて自分なりに考えてみようと思います。
まず、「自分ができることを人にやってもらっている罪悪感」これですね。
食器洗ったり風呂掃除したりって、ぼくもやれば普通にできるんですよ。
今までもやってましたし。
それを「疲れるから誰か他の人にやってもらいたい」という理由で、家事をやらないっていいのかな?って思っちゃうんですよね。どうしても。
まず、これが1つ目の居心地の悪さです。
次は、「ダメな親なんじゃないかという不安感」ですね。
1つ目の理由と似ていますが、「家事が疲れるから他の人に依頼するって、自分はダメな親なんじゃないか?」という思考の流れです。
「そもそも家事をやらない親って、なんかダメじゃない?」
という気持ちがあるので、ぼく自身も家事をやらないパパを脱したくて、3ヶ月の育休を取ったり、積極的に家事や育児に関わってきたので、「ここで家事を自分がやらないで外注するってどうなんだ?」という軽い葛藤がありました。
次に、「この人(シルバーさん)からどう思われているんだろう?という居心地の悪さ」ですね。
72歳のシルバーさんが一生懸命リビングの掃除をしているときに、ぼくは1歳の三男を膝に乗せて、無印の人をダメにするソファに座ってテレビでアンパンマンを見ているわけですよ。
(この人、自分でやればいいのに)って思われてないかな?という不安感があるんですよね。
妻もそれを感じてて、やたら絵本を三男に読み聞かせするようになりました。
ぼくも、小学館の科学の実験の本を無駄に引っ張り出して、「こないだこれ作りたいって言ってたじゃん。どの材料買いに行く?」なんて急に長男次男に話しかけるのですが、二人はスウィッチで釣りスピリッツをやってて全然話を聞いてくれません。
では、どう捉えればいいのか?
では、どうしたらいいかですが、妻が言っていたんですが「人に頼ってもいいんだ」という開き直しというか、そういう気持ちが大事なんだと思います。
ぼくは最初、(こんなことして、子どもたちが大人になった時に家事をやらない男になったらどうしよう・・・)と思っていたのですが、妻は逆で「辛い時には誰かに頼ってもいいんだということを学んで欲しいのよね」と言っていました。
それを聞いた時に、ぼくが(そうか、そういう考えもあるのか、確かに・・・)と心から納得しました。
辛かったんですよ。毎日毎日3人の子どもにご飯を食べさせるのに1時間以上かかって、風呂に入れればふざけてなかなか出ないし、かと思ったら脱衣所で裸で喧嘩して泣き叫んでるし、寝る前にも散々騒いで喧嘩するし。
毎日毎日辛かったんですよ。ぼくは。
「こんな辛い時には、誰か他の人に頼ってもいいんだ。」
ということを、ぼくはもっと早く誰かに教えてもらいたかったし、そういう思考回路で育ちたかったんですよ。
辛かったら他の人を頼ればいい。
そういう考えを自分に許すことで、この問題にはケリがつくような気がしています。慣れるまでは時間がかかりそうだけど。
時間を買っていると思い、なるべく有意義な時間を過ごそうと思っています。
今日の日記
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