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夫婦がお互いの”安全基地”になるということ

こんにちは。

まだまだ、うちの三男はイヤイヤ期絶好調で、最近ついに2語(2つの単語をつなげて発すること)を話した!と思ったら「ママ、あっぷぅ!(あっぷぅは三男の言葉で嫌だという意味)」でした。

妻と一緒に笑ってしまいましたが、まだまだイヤイヤ期は終わりそうもありません。

ぼくら夫婦が三男にかまってばかりなので、長男次男がやや愛情不足になっているようで、そちらも心配な毎日です。

どうにもならないことはならないので、やるべきことをやる毎日ですが、まだまだ楽にはなれそうもありません・・・

まぁ、こんな時期もいっときなので、親業を粛々とがんばりたいと思います。

さて、今日の本題ですが、前回の記事のために、色々と調べものをしていた時に気になる言葉を見つけました。

自分のことを何でも話せる人との出会いというものが、愛着障害の克服において、極めて重要になる。そういう人が安全基地として機能しているならば、語ること自体から、大きな癒しが生じるだけでなく、後から見ていくように、語ることによって、それまで断片的にバラバラだったものが、統合され、傷や歪みが修復されていくプロセスが始まるのである。(出典:愛着障害

この本からの引用です。

養育者との愛着の絆がうまく気づけず大人になった人は、すべてを話せる相手を見つけられると生きやすくなるということで、そのような存在を「安全基地」と筆者は表現しています。

他の愛着障害に関する本でも、「安全基地」という表現がされていたので、認知行動療法や心療内科の中では、よく知られている言葉なのでしょうね。

調べてみたら、アメリカの心理学者メアリー・エインスワースが1982年に提唱した概念とのことでした。

ぼくは、この「安全基地」という言葉がすごく気になりました。

なぜなら、ぼくにとって、妻がまさに「安全基地」だからであり、ぼくもそうでありたいと思っているからです。

なぜ、ぼくにとって妻が「安全基地」なのか?

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本書「愛着障害~子ども時代を引きずる人々~」の中にこんなエピソードが出てきます。

子どもの頃、親が厳しくテレビを見ることなどを強く禁じられていたため、不満や欲求が強く残り、愛着障害が発生した方が、大人になってから飽きるほどテレビを見まくったり、子どもの頃に禁じられていた遊びを死ぬほどすることで、「こんなものか。もういっかな」と、気持ちに踏ん切りを付けられたという話です。

この話を読んだ時に、ぼくはあることを思い出しました。

ぼくは子どもの頃、絵を描くのが大好きで、そこそこ上手い方でした。

もっと上手い友人もいましたが、それでも絵を描くこと自体が喜びであったので、止めることはしませんでした。

美術の成績はいつも高評価で、文化祭などがある時は、教室の装飾やポスターなどを頼まれたり、自分から率先して作成したりしていました。

中学三年生の時にもっとも絵を描いていました。

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ですが、両親は認めてくれず「あなたは、まぁまぁ上手いけど才能がないね」と言われ、どんなに懇願してもデッサン教室に通わせてもらえませんでした。

当時の実家は完全なる縦社会であり、親の言うことには絶対に逆らえませんでした。

また、母は実母(ぼくにとっての祖母)との関係が悪く、祖母はいわゆる毒親と呼ばれる存在で、ぼくの母と父を召使のように家庭内で扱っていました。

そのため、母のメンタルは不安定なところが多く、父もいつも苛立ってばかりいました。

そんな2人に逆らえば、さらに彼らにストレスを与えることになり、そのストレスの発散の矛先はぼくと妹にくるわけで、それもあって、ぼくは自分の主張を強く押し付けることはしませんでした。

(後から知りましたが、実は、母も父も絵を描くことが好きで、アートに興味があったのですが、「稼げるものではない」という理由でアートの道を諦めた過去がありました。さらに、祖父も絵が好きで、画家を目指そうと思う時期もあったそうな。)

その後、自分がもっとも好きなものを封じ込められ(デッサンに使っていた映画のポスターを母にビリビリに破かれたこともありました)、ぼくは情熱を持てるものが見つけられず、ギリギリの成績で高校と大学を卒業することになります。

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その後もアートに関しては未練があり、機会があれば触れたいと思っていたのですが、「あなたには才能がない」という母の言葉に縛られていたのか、独り立ちしてからも、なかなか自分からそっちの道に進もうという気持ちが生まれませんでした。

そして、29歳か30歳の頃、広告代理店業界に転職し、仕事上で色々な商品企画のデッサンを描かざるを得ない環境になりました。

バッグや雑貨の簡単なスケッチや、展開図(バッグのデザインを落とし込むための版下と呼ばれるもの)といった本当にささいなものでしたが、当時の情熱がちょっとだけ戻ってきました。

その頃は、毎日終電まで仕事で、週に1回から2回は徹夜があるという超絶ブラック企業勤めだったのですが、かつての情熱に火が着き始めたぼくは、妻に相談し、毎週土曜日に自宅近くの美術教室にデッサンを習いにいくことになりました。

お金も時間もない時期だったのですが、妻は快くぼくを送り出してくれました。

それから、ぼくの子どもの頃の話も聞いてくれました。自分の家庭のこと、両親のこと、どういう育てられ方をしたのか、どういう育てられ方をして欲しかったのか。

思えば、このような話を「うんうん」とただ聞いてくれた妻のおかげで、ぼくの心はちょっとずつ楽になっていったような気がしています。

そして、デッサン教室の話ですが、3回くらい通ってぼくの心は十分に満たされました。

正直なところ、最初は楽しかったのですが、透明なビール瓶の光の描写とか、ラベルの細かい文字を描いているうちに

(これは、超絶めんどくさい・・・)

と思うようになったんですよね。

15歳の頃に持っていた情熱は、すっかり消え去っていたんです。

消え去ってはいたんですが、当時の不満だけが積もり、その不満がぼくに「これは本当はやりたいことなんだ」と思わせていたわけです。

キリンビールの中瓶を描き切ったら、もうぼくはすっかり満足していました。そして(もう、こんなめんどうなことはやらない)と心に決めていました。

そう、かつての憧れを潰すことで、ぼくは満足したんです。

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こんなことは他にもあって、他の記事に書こうと思いますが、その度に妻は毎回ぼくの話を聞いてくれて、やりたいことをやらせてくれました。

妻はぼくの話を否定せずに、いつも最後まで聴いてくれます。

話しながら泣いてしまうこともありました。

ダメな自分や最低な自分も、すべて受けいれてくれる存在をぼくは求めていたのかもしれません。

妻のおかげで、ぼくはダメダメな自分を見せることができて、ぼくにとって妻という存在は、「これからどうするか?」をゆっくり考えるための「安全基地」になっているのだと思います。

ぼくもできる限り、妻の話を否定せずに聴こうと思っていて、ぼくら夫婦がお互いの「安全基地」になっているのかもしれないなと、考えています。

もしかしたら、そういった「安全基地」としての存在が、お互いに言いたいことを言いやすくし、家庭内のことも改善をしやすい土壌が生まれているのかもしれません。

ふと、そんなことを思ったので、思い出しながら書いてみました。

あなたにとっての「安全基地」はありますか?

よろしければ教えてください。

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