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恋愛感情がなくなれば、夫婦の愛は消えるのか?
「もう、恋愛感情はないの」
妻からそう言われ、とても動揺しています。
ぼくとしては以前と同じように妻のことを愛しており、とても大切に思っていて恋愛感情はあるのですが、妻の方はもうないようなんです。
性を連想させるような触れ合いを避けられるようになり、妻はそういう雰囲気を少しでも感じると、サッといなくなってしまいます。
恋愛感情がなくなった妻と、この先どうやって接していけばいいのか…。
そんな経験はないでしょうか?
ぼくは何人かの男性から、こういった相談を受けたことがあります。
夫婦に恋愛感情がもうないということは、愛していないということなのか?
もう、二度と性的な触れ合いはしたくないということなのか?
いったいどうすればいいのか、悩んでしまいますよね。
今日は「妻から消えた恋愛感情」問題について考えたいと思います。
恋愛感情とはなんなのか?
そもそも、恋愛感情っていったいなんなんでしょうね?
その人が好きで好きでたまらなくて、寝ても冷めてもその人のことを考えてしまう。
この恋愛感情は、ぼくらのこの関係は、きっと永遠に続くに違いない。
そう信じて疑わなかった経験が、きっと誰にもあると思うんですね。
でも、どんな恋愛にもいつかは終わりがきますよね。
「愛を伝える5つの方法」という本の中ではこう書かれています。
心理学者ドロシー・テノフ博士は、恋愛という現象において長期にわたる研究を行いました。多数の恋愛カップルについて調査研究した結果、恋愛から来る執着心の平均寿命は二年である、という結論を出しました。
さらに本書ではこう書かれています。
本物だと思った恋愛体験に、一体どんな変化が起こってしまったのでしょうか。実は、悲しいことに、もともと幻覚に過ぎなかったのです。
恋愛が幻覚?
どういうことかと言うと、恋愛中の高揚感や幸福感が永遠に続くと思っていることが幻覚ということなんです。
男性の多くは(ぼくもそうですが)、過去の恋人がいつまでも自分のことを好きでいてくれると勘違いしているし、過去の恋人への気持ちもよっぽどひどい別れ方をしたのでなければ、ずっと引きずってたりします。
もしくは、きれいな思い出としていつまでも心にしまっていますよね。ぼくも忘れられない思い出がいくつかあります。
では、相手(女性)はどう思っているかというと、きれいさっぱりぼくのことなんか忘れていると思うんですね。
東日本大震災があったときに、3年前に付き合っていた女性から「私のこと覚えていますか?ご実家は大丈夫ですか?」と心配のメールをもらったことがあったのですが
「私のことを覚えています?」から文章がはじまっていることにびっくりしたんですね。ぼくは彼女のことをはっきり覚えていたので。
彼女としては、テレビで倒壊した街並みを見て(そういえば、あの辺に実家があるヤツがいたな…誰だっけかな?あっ!思い出した!)みたいな感じだったんだと思うんです。
話を戻しまして、恋愛感情とはそもそもなんなのかというと、ぼくは単なる生殖のためのプログラムでしかないんじゃないのかなって思うことがあります。
繁殖適齢期に達したヒトが、子孫を残すために遺伝的にマッチする異性を探し、生殖活動をする。そのための発動プログラムとしての恋愛感情。
だから、子孫ができたあと(子どもが生まれたあと)は、そのパートナーとの間に恋愛感情は必要なくなりますよね。
だから、人は2年くらいで同じ相手に飽きるんじゃないのかなって思うんです。
愛とはなんなのか?
とはいえ、いつまでも仲良しな夫婦もいますよね。
この違いはなんなのかというと、「恋愛」から「愛着」へと関係性が変わったからじゃないのかなって思うんです。
愛着って、相手のことを慈しむように大切に思う感情のことですが、親が子どもに対して抱く感情がそれに近いと思います。
子どもに対して恋愛感情って抱かないですよね?だけど大切に思っているし、愛を感じていると思うんです。
いつまでもギュッと抱きしめてあげたくなって、この子に何かが起こったらいつでもどこでも駆けつける。
そんな気持ちを感じたことってありますよね?
それが愛着なんです。
夫婦間でも、この愛着感情をお互いに感じられるようになったら、いつまでもお互いを大切に感じ合う関係性が持続するなぁって、思うんです。
でも、それって性的な結びつきには不向きなんじゃないの?
家族としてしか見れないってやつだよね?
と、思われる方もいると思うんですね。
でも「家族としてしか見れない」って感情は、夫や妻のことを「お世話の対象者」として見てるんじゃないのかなって思うんです。
「お世話する人・される人」じゃなくて、「一緒に生きていく人」という認識に変わった時に、愛着関係は生まれるのかなって思うんです。
相手の心の柔らかな部分の存在を受け止めてあげて、自分も心の奥の柔らかな部分をさらけ出す。
お互いがお互いを心から理解できるようになって、支え合えるようになると、愛着関係は深まっていくんじゃないのかなって思うんです。
そうなると、性的な結びつきの問題は問題ではなくなるなって、ぼく自身を振り返っても、他の方のお話を聞いていても、そう感じるんです。
「恋愛」にはそもそも愛は存在しなかった
恋愛感情がもうないからといって、愛が消えたわけじゃない。
むしろ、「恋愛」の中には「愛」がなかったんだとぼくは思うんです。
生物としての本能に突き動かされるまま、出会い、付き合う。
その渦中にいるぼくらは、お互いに相手のことを心から大切な存在であり、愛しているとさえ思っていた。
だけど、それが単なる生殖プログラムのための発動感情だったならば?
それって、愛と呼べるんでしょうか?
単なる欲情でしかないんじゃないでしょうか?
夫婦の愛は、お互いの心の柔らかな部分の存在を認識し、それを受け止めることから始まり、相手を大切に思うことで育っていくんじゃないのかなって、ぼくは思うんです。
妻に恋愛感情がもうないのならば、次は二人の愛着を育てるタイミングになったってことなんだと思います。
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