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妻から恋愛感情が消えると、なぜぼくらは傷つくのか?

「あなたには恋愛感情をもう感じてないの」

妻からそう言われるとショックですよね。

そして、だいたいこの言葉の後にはこんな言葉が続きます。

「家族としては好きだから」

「家族としての愛はあるから」

(家族としての愛はあるから大丈夫)という意味がここには含まれていると思うんですが、なぜかぼくら男はそう言われても(ちょっと意味が分からない…。)と混乱してしまいますよね。

「好きじゃない(恋愛感情はない)のに、(家族としては)好き」ってどういうこと?

どうすればいいの?

って悩んでしまうと思うんです。

今日は「なぜぼくら男は、妻から恋愛感情がないと言われるとショックを受けるのか」について考えてみようと思います。

なぜ、男は「恋愛感情がない」と言われることがショックなのか?

こないだの記事でも書いたように、ぼくら男は昔付き合った女性たちがいまだに自分のことを好きでいてくれていると思っていますよね。

実際はきれいさっぱり忘れられているんですが。

過去の女性に対してですらそうなので、自分の妻に対してはよりそういう感情が強いんだと思うんです。

妻が自分のことを好きじゃないはずがない。だって夫婦なんだから。恋愛で言えば付き合っていると同じなんだから。って思っているんですよね。

でも、「恋愛における付き合っている状態」と「夫婦でいる状態」って、ちょっと違いますよね。

恋愛をしていてマンネリ化してきたら別れればいいけど、夫婦が男女としてマンネリ化してきても別れることは簡単じゃないですよね。

簡単に別れることができない夫婦という関係性だからこそ、愛が冷めるわけがないという幻想を抱きやすいのかなって思うんです。

特別な努力を続けなくても、妻は自分のことを好きでいてくれるはず。だって夫婦なんだからという幻想を抱いているのかなって思うんです。ぼくもそう思ってました。

知らないオスの子どもを育てる恐怖

あと、生物としての感覚的な恐怖もある気がしています。

ゴリラはハーレムを作ることで有名ですが、オスゴリラが他のハーレムを乗っ取るときは、そのハーレムのメスの子どもたちを殺すそうなんです。

自分の子どもでない子どもはみんな殺して、自分の子どもしか育てないようにするんですね。

そうやって、ハーレムのメスたちの子どもを殺したあとに、自分の子どもを産ませるそうなんです。

生物が生きる目的は「子孫を残すこと」だとよく言われますよね。

ぼくら人間は高度に発達した社会を生きてはいるけれど、生物という原始的なカテゴリーでくくった場合、アメンボや蚊と同じで「子孫を残すこと」が生きる目的であることは変わらないと思うんです。

妻から「もうあなたに対して恋愛感情はない」を言われたときに、もしかしたら、生物としての根源的な目的が阻害されてしまうことへの警報が鳴っているのかなって思うんです。

自分は子孫を残すことができない。つまり生きる目的を達成させることができない。生きる意味がない。

さらに言うなら、妻が他のオスの子どもを身篭る可能性への恐怖を感じているのかなって思うんです。

妻から恋愛感情がないと言われた男性の多くは、妻の浮気を疑うようになるんですが、それは自分以外のオスの子どもを妻が身篭ることへの恐怖感のあらわれなんじゃないのかなって思うんです。

人によっては「生きる意味がない」とすら言う人もいます。

ぼくら人間が野生のゴリラのような原始的な生活をしていたならば、他のオスの遺伝子が入った子どもを殺すのかもしれないですよね。ちょっと残酷すぎて想像したくないですが、野生のゴリラがやっていることはそういうことなんですよね。

でも、社会的な生活を送る現代のぼくらはそんなことはできないですよね。妻が他の男性の子どもを妊娠したときに、その男や子どもを殺すことはできないですよね。(中絶という選択肢はありますが、もしそうなったら夫婦関係の改善は難しそうです)

そこに苦しさを感じるのかもしれないなって思うんです。

ぼくらの脳はサバンナ脳と呼ばれるくらい、何万年も進化していませんが、ぼくらが暮らす社会はどんどん進化しています。

恋愛感情という原始的な感情にぼくらが振り回される瞬間というのは、「高度に社会化された生活」の中で「何万年も進化していない原始的な脳」が悲鳴を上げる瞬間なのかなって思うんです。

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