セックスがなければ"愛されていない"ということなのか?
”妻から愛されている気がしないんです。
なんというか、その、セックスがあればまたぼくらは愛し合うことができると思うんです。
でも、誘ってもあからさまに嫌な顔をされ、とっても傷ついているんです。
妻はきっと、もうぼくのことを愛していないんだと思うんです。
セックスができれば、この苦しい気持ちはなくなると思うんです…。”
以前、ぼくはこんなことを考えていました。
そして、ぼくに夫婦関係のご相談をされる男性もまた、同じような悩みを抱えています。
夫婦間に性的な問題が起こると、ぼくらはつい「愛があるならセックスができるはずだ」「セックスがあれば幸せになれる」と思ってしまいますよね。
でも、本当にそうでしょうか?
ぼくは性と愛は関係がないんじゃないかなと、最近考えています。
性と愛は関係がない
「愛しているからセックスができる」という論理は恋愛中の二人にだけ成立すると思うんです。
恋愛をしている時って、とっても気持ちが高揚しますよね。こんなにこの人のことを好きだなんて、きっとこれが愛に違いないと思ってしまうこともありますよね。
そしてセックスもしたくなりますが、これは生物として繁殖活動を行うためのスイッチとして「恋愛感情」がプログラムされているからじゃないかなと思っています。
恋愛感情はプログラムでしかなく、さらにいうなら以前の記事で書いたように「幻覚」なんだと思うんです。
恋愛が幻覚ならセックスは一体なんなのか?それはホルモンによって引き起こされる行動でしかないと思っています。
排卵周期によって発生するホルモンによる情動の高まり、それが性欲の正体であり、愛とは関係がないんです。
さらに言うと、事故などで性行為ができなくなったカップルがいたとして、彼らはセックスができないから愛し合っていないということになるのでしょうか?
二人がこれから一緒に生きていこうと固く心に誓い合い、強い絆で結ばれているとしても、「セックスができないなら愛し合っていない」と言えるのでしょうか?
そんなことははないと思うんですね。
きっと、セックスがなくても二人は愛し合っていることになると思うんです。
でも、「やっぱり、セックスをするときに愛を感じる」というのならば、それは性行為中に分泌されるオキシトシンの効果であったり、もしかしたら文化的な影響も強いんじゃないかなって思うんです。
恋愛映画では恋に落ちた二人がセックスをするシーンがよくありますよね。
恋に落ちたからこそ、愛し合っているからこそ性的なコミュニケーションが発生するんだと、それを見てぼくらは学習してしまっているんじゃないかなって思うんです。
そして、セックスが発生しない現状は「妻から愛されていない」ということだと結論づけてしまっているんじゃないかなと思うんです。
そうやって、ぼくらは性と愛を同一視して苦しんでいるんだと思うんです。
セックスがなければ愛されていないのではなく、本当に欲しているものは「愛されている実感」だと思うんです。
ぼくも、ぼくに相談される男性たちも、最終的に求めていたものは「セックス」ではなく「愛し愛されている実感」だということに途中で気がつくんです。
夫婦間における性的コミュニケーションの問題を解決しようと、自分の心を突き詰めていくとそういった結論に至るんです。
「愛しているから」ではなく「愛されているから」
「愛されている実感」を感じることができれば、性的な触れ合いが少なくても問題はないんです。
性的な触れ合いは、「愛されている実感」を感じるための手段の一つでしかないので。
そして、ぼくら男性が妻から「愛されている実感」を求めているように、妻もまた「愛されている実感」を求めているんじゃないのかなって思うんです。
「愛されている実感」「大切にされている実感」がないからこそ、触れて欲しくないと思っているんじゃないのかなって思うんです。
女性は男性と違って、性行為におけるリスクが高いですよね。妊娠をする可能性があり、出産をすれば子どもを育てないといけない。
この人の子どもを妊娠しても大丈夫なのか?という意識が、無意識に働いているんじゃないのかなって思うんです。
(この人はわたしを愛していない、大切にしてくれない)と感じるからこそ、触れて欲しくないと思うのかなと。
「愛しているならセックスができるはずだ」ではなく、「愛されているからセックスをしてもいい」というのが、女性の本音なんじゃないのかなってぼくは思うんです。
あなたの妻が"したくない"と言うのならば、必要なのはあなたからの"愛されている実感"なのかもしれません。
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