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30年前、母から教わった「ジェントルマンの流儀」が、3世代に渡ってぼくらを変えていく。

母の手の中で、ご飯のかたまりがキレイな三角形へと変わっていく。

熱いご飯で火傷しないよう冷水に手をひたし、塩を手にふりかけ、母はギュッギュッとおにぎりをリズミカルに握りながら、手の中で転がしている。

それは、まるで魔法のようだった。

当時、ぼくは小学校1年生か2年生だったと思う。

母の腰くらいの身長しかなかったぼくは、器用におにぎりを握る母を下から見上げていた。

「ねぇ、おかあさん、どうやって、おにぎりってつくるの?」

ぼくがそう尋ねると、母は一瞬、戸惑ったように動きを止め、そして、ぼくにおにぎりの握り方を優しく教えてくれた。

右手の手のひらでおにぎりを平らにし、左手を折り曲げ三角形を作り、おにぎりの頂点を作る。

そして、おにぎりの向きを変えながら、丁寧に形を整えていく。

その日から、ぼくはおにぎり作りに夢中になった。

母からお願いされれば、いくらでもおにぎりを握るようになった。

母はぼくを褒めるのがうまく、上手に乗せられたぼくはいつの間にか、家族の中で「おにぎり担当」になっていた。

あれから30年が経ち、ぼくにも自分の息子におにぎりの握り方を教える日がやってきた。

それは、いつもの朝のことだった。

炊き立てのご飯をボウルに盛り、ぼくがキッチンで醤油鰹節おにぎりを握っていると、今年から小学生になったばかりの長男がステップに乗って、ぼくの手の中のおにぎりを覗き込んできた。

「ぼくもやりたい!」

長男は好奇心旺盛で、落ち着きがなく、おさるのジョージのようにいつもせわしなく動き回っている。

ぼくは広げたサランラップにご飯を入れ、ちょっと丸めて長男に渡した。

だけど、6歳の子どもの手のひらではうまくおにぎりが作れず、でこぼこになってしまったおにぎりを悲しい目で見つめながら、長男はぼくに言った。

「ねぇ、パパ、おにぎりってどうやって作るの?」

「おにぎりは丸めるんじゃなっくて、こうやって右手の手のひらでギュッギュッとご飯をたいらにするんだよ。それで、左手でこうやって三角形を作って、これでおにぎりのさきっちょを作るの。それで、こうやってくるくる動かして、他のさきっちょも作っていくんだよ」

長男におにぎりの握り方を教えながら、ぼくは30年前に母から同じように、おにぎりの握り方を教えてもらったことを思い出していた。

ぼくが母におにぎりの握り方を聞いたとき、母の動きは一瞬止まっていた。

それは戸惑いだったのか、それとも嬉しさだったのか、今となっては分からないし、本人も覚えていないかもしれない。

でも、長男におにぎりの握り方を尋ねられたとき、ぼくの胸の中に広がっていったもの、それは母への感謝だった。

あのとき、母が面倒くさがらずにぼくにおにぎりの握り方を教えてくれたから、男の子だから料理を教えないという選択をせずに、ぼくに積極的におにぎりの握り方を教えてくれたおかげで、ぼくは、今、こうやって、2021年を生きる6歳の男の子に、おにぎりの握り方を教えることができている。

そして、これは、単なるおにぎりの話ではないんだ。

「男だから」、「女だから」という理由で、「何をすべきか」、「何をしなくていいか」という固定概念の呪いの話なんだ。

ぼくの母は、ぼくが物心ついた頃から、口癖のように「あなたをジェントルマンにする」とぼくに語っていた。

彼女にとっての「ジェントルマン」の定義は曖昧だったけれど、それは「人の目を見て挨拶をする」「女性に親切にする」、そして「料理ができること」だった。

「ジェントルマン」が好きすぎて、母は飼っていたハムスターにも「ジェントル」という名前をつけていた。

ぼくは、小学生の頃、母のご飯作りを手伝う機会が多く、いつの間にか、包丁を使ったりんごの皮むきを覚え、ご飯の炊き方を覚え、カレーや焼きそばやお好み焼きといった簡単な料理を覚え、フワフワのスクランブルエッグの作り方を覚えていった。

たぶん、ぼくがちょっとでも興味を示した瞬間を、母は逃さなかったんだと思う。

ぼくは一切「やらされている感」を感じることはなかったし、母や祖母から褒められて、どんどん自分から料理をするようになっていった。

特にリンゴの皮むきは大好きだった。

するするときれいにリンゴの皮が途切れることなく剥かれていく様子は、芸術的ですらあり、ぼくはそのリンゴの皮が決して途中で途切れることのないように、いつも集中して皮むきをしていた。

高校の家庭科の授業でリンゴの皮むきをする機会があったのだけど、ぼくがするすると綺麗にリンゴの皮むきをすると、クラスのみんなが驚いていた。

ぼくとしては、(高校生だし、こんなことみんなできるだろう)と思っていたので、逆に驚いたのをよく覚えている。

もっと驚いたのは、炊飯器でご飯を炊く方法を知らない男子がいたことだ。

お米を研いで水を入れて、炊飯器のスイッチを入れるだけなのに、その米の研ぎ方が分からないというのだからびっくりした。

母とは思春期に何度も喧嘩をした。当時のぼくは、母にとって「望ましい息子」ではなかったのだと思う。そして、母が望んでいた「ジェントルマン」でもなかったのだろう。

だけど、母から教わった「ジェントルマンの流儀」は、ぼくの中に確かに生きている。

人の目を見て挨拶をする癖のおかげで、多くの人から好感を持たれるようになったし、女性に親切にする習慣のおかげで、プライベートや仕事で多くの女性から助けてもらった。

そして、簡単ではあるけれど「料理ができること」「料理が好きであること」のおかげで、妻の負担を減らし、感謝もされるようになった。

そしてなにより、ぼくは、自分の息子におにぎりの握り方を教えることができた。

きっと、ぼくの中に息づいている「ジェントルマン」の流儀は、3人の息子たちにも引き継がれるのだと思う。おにぎりの握り方のような、何気ない日常の中の小さな行動を通して。

というより、引き継がせるつもりだ。

30年前に母から受け継いだ「ジェントルマンの流儀」は、ぼくが「世間の常識」「性別による役割の押し付け」を疑う力になった。

今度は、ぼくが、自分の息子たちに「世間の常識」「男女の固定概念」を疑い、自分の頭で考え、恥ずかしがらずに行動できるよう、ジェントルマンの流儀を授けようと思う。

今年の夏、ワクチン接種が終わった母と、2年ぶりにやっと会える。

母からぼくへ、ぼくから息子たちへ。

母の「ジェントルマンの流儀」が、三世代に渡って継承されようとしていることを、今年の夏、母に伝えようと思う。

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