私が経験してきたカミングアウト
6月はプライド月間(Pride Month)ですね。
世界各地で性的マイノリティに関する啓発活動が行われる月間です。
私もマイノリティ当事者の一員として、滑り込みですが記事を投稿しようと思います。テーマはタイトルの通り、カミングアウトについて。
私は性別違和があり、性別が大体同じ(少なくとも身体は同性)のパートナーがいます。性自認は選ぶのであればXジェンダー、性的指向は選ぶのであればパンセクシャルです。
私の自分自身のSOGIに関する自認・言語化は常に同じだったわけではなくて、以下のような遍歴を辿ってきています。
(詳しくはこの記事で書いています)
*
■1.バイセクシャルである(好きになる相手は男性だけじゃないなあ)
■2.心の性別(性自認)って考えたことなかったけど、Xジェンダーというのは自分にも当てはまるのかもしれない
■3.性別違和がある、っていう言い方のほうがしっくりくるかも
■4.パートナーができて、性的指向の存在感が自分の中で小さくなり、パートナーの性別が同じ、好きになる性別が決まっていないという言い方をすることが増える
(「どの性別が好き」<「誰が好き」の方が大切で、「どの性別が好き」はアイデンティティとして示される必要が薄くなった)。
*
そして1~4のフェーズ、特に1と4において、それぞれカミングアウトの経験があります。
相手は大学サークルの同期や先輩の一部、高校部活の同期や一部の後輩、大学卒論ゼミの友人たち、職場の同期や先輩の一部、それから家族など。
Twitterのフォロワーなんかは当たり前に知ってたりするので、Instagramの「親しい友達」は付き合っていることを知っている相手にストーリーズを流すときに使っていますが、今46人いるらしいです。
少なくとも私がマイノリティであることを知っている相手は対面で会ったことがある人だけでも60人以上いるのでしょう。
(Twitterのフォロワーも長い付き合いで会いたいから会ったりオタク現場で会ったりしている人はカウントしています)
さて、そんな私がこれまでどんな相手に、どんな形でカミングアウトをしてきたのか、どんな反応をもらってどう感じたのか等を、この記事では書いていこうと思います。
目次が長くてウッとさせたらすみません、、、
1万字ほどで、適度に画像を挟んで文字ばかりになることを避けた記事です(必死)。
ぜひ読んでいっていただけると嬉しいです。
■どんな相手にカミングアウトしてきたか(大学時代=2013~2017年)
・なぜしようと思ったか
正直はっきりと覚えているわけではないのですが、カミングアウトをし始めた当初は、受け入れてくれる人がいることを確かめたかったから、受け入れてくれた人がいるという実績がほしかったから、というのが主な目的だった気がします。
私の自分がバイかもしれない(当時)という自覚はものすごく緩やかに濃くなっていって、本や漫画もよく読むほうだったので、マイノリティに対する抵抗はなかったと思っていますし、自分がそうだと自認しても自己嫌悪のようなものはなかったように思います。
だからかもしれませんが、これっておかしくないよね? 私が信頼している友達であれば同じような感覚だよね? ということを確かめたかったのかもしれません。
受け入れてくれた人がいるという実績がほしかった、というのは明確にそう思っていたことを覚えていて、いつか理不尽な反応に打ちのめされそうになったときに支えてもらうための実績がほしかったのだと思います。
あとは、私自身はいわゆる恋愛体質とかではなくて、自分がバイセクシャルであるということが自分の中で存在感を訴えてくる瞬間というのはそんなに多くなかったんですね。
バイであるというアイデンティティは、自分の持つ要素の中では特殊な要素だけど、特別≒重大な要素ではない、と感じていました。
それよりも当時(大学前半とか)であれは、体育会に入りたかった未練を抱えていたこと、語学が好きでやっぱり得意なんだという自負が生まれたこと、自分の大学に入れてよかったこと、とかそういう新しく自我を形成するようになった自覚=アイデンティティの方が大切で、自分が性的マイノリティであるというアイデンティティは、そのうちのひとつでした。重大に捉えていなかったからこそカミングアウトに至れたのかもしれません。
・どんな相手ならしてもよいと思ったか
これはシンプルで、「カミングアウトによって私=バイだと印象が上書きされない相手」でした。
ある程度自分のことを知っていて、このことを話しても「そういう一面もあるんだね」と受け止めてくれそうな相手です。
・カミングアウトに対してもらった反応
「そうなんだね」的な反応が多かったように思います。「今の時代偏見も減ってるしね」とかコメントを足されることもあったかな。時代にまつわるコメントは言い方次第でちょっとモヤるけど、ここで例に出した言い方はモヤらない言い方です。今は認められてきたから大丈夫だよね、みたいな言い方だと、いつだって認められるべきだろ、って思っちゃうけど。
当時はバイ自認だったので、「好きになれる対象が多いじゃん」っていいじゃん的なニュアンスで言われたこともあります。これも言い方が前向きだったので気にならなかったけど、実際は母数が増えたところでone and onlyと思える人に出会える確率はどうなんだろうと思ったりもしますが。笑
それは違くない? と明確に思ったのは、「知ってたよ」と言われたときで、そのサークルの先輩にカミングアウトしたことはなかったので、知ってるはずはないんですよね。何にしても知ってたよって言われて安心できる理由は何もない。
中性的なイメージやスキンシップ多めな振る舞いからそう判断してたよ、って言っちゃうのは、ステレオタイプで決めつけてたよってことだからまずいし、誰かから聞いたならアウティングだからそれもまずいし。
まあそこで深く突っ込む気合いは当時の私にはなかったわけですが。
まあでもね、アウティングはされちゃったことあります。ていうか私が軽く話しており、その相手も偏見が全くないからこそ言ってしまったことなので、強く責める気にもならなかったっていうか、適度な怒りを適切に表明する術を知らなかったというのが正しいのかもしれない。
今だったら「お前それアウティングだからね! 私はそこまでクローズドじゃないしこのコミュニティなら大丈夫だろうけど、軽々しく多分自分経由だって言っちゃえるようなことじゃないよ!」って言えるかもしれない。どうかな。
■どんな相手にカミングアウトしているか(社会人編=2018年以降)
・なぜしようと思うか
大学生のときは、「受け入れてくれる人がいることを確かめたかったから、受け入れてくれた人がいるという実績がほしかったから」という理由でカミングアウトをしていましたが、今はそこまでその理由を必要としていない気がします。これらはもう達成できているから。
なので、今、カミングアウトをするタイミングは、
①「話さないでいるのがめんどくさくなったとき」と、
②「こういう人間もいるのだと表明したいとき」かなと思います。
正直①の理由の方が圧倒的に多いです。
彼氏いるの~とか聞かれたときに、私はたいてい「付き合ってる人いるよ」という嘘にならない言葉で質問をすげ替えて答えますが(まあ相手にとっては同義なことがほとんど)、それでも具体的に聞かれてくると無理が出てくることがあります。
だから途中で「いや性別が同じだから答えがあれなんだけど」と言うこともあれば、例えば過去にバイであったことをカムア済の友達であれば「付き合ってる人はいるんだけど、性別が同じで」と先に言うこともあります。
あとは「友達兼パートナーみたいな人がいて」とか話すこともあるかしら。これは将来2人暮らししたいみたいな話のときに使うフレーズ。
②の理由で話したときは、そうですね、「彼氏いるの?」の質問で相手があまりにも男性前提なときに、(いや、必ずしもそのスタンスは通らないと思いますよ……)という気持ちになってしまったのは、こっちに含まれるでしょうか。
あとはね、転職したとき、新卒+第二新卒が同じ新人研修を受ける会社でコロナ真っ盛り(?)で、初めの頃に女子だけでビデオ通話したときに恋バナになって、それで相手がいるかどうかはともかくとして、1人ずつなれそめを言っていくみたいになっちゃって、そのときも同じような気持ちで言っちゃったので、こちらかもしれませんね。
それから、性別違和があること(性自認)のカミングアウトは、性的指向や同性パートナーについてと比べて圧倒的に機会が少ないです。
じゃあどういうときに言うかというと、まず性別が同じパートナーがいることを詳しく話したり、セクシャリティ自体の話をしたりしたときに「自分の性別に違和感があって」「あまり自分が女性であることに確信が持てないというか」と言うことがあります。
あとは、これは当時すごく迷いましたが、職場で採用サイトの一環として若手社員座談会みたいのが開かれたとき、編集結果として若手ではなく「女性社員座談会」みたいに変えられていたことがあって、そのときはカミングアウトとともに、初めからそういうタイトルであれば引き受けませんでした、と柔らかく拒否したことがあります(謝罪とともに修正いただきました)。
私は性表現(※)も中性的なので、それで敢えてこちらから発信せずともボーイッシュな人、中性的な人、と見られていると思います。服は好きなので、おしゃれな人、服がかわいい人、職場にもジャージを着てくる人、とかかもしれない。後者の方が嬉しいんですけど。
今のところ、敢えて女性ではないです、と表明する機会は、そうしなければいけない場面でしかしていないので、いや私はXジェンダーっていう性自認なので女性扱いはやめてください、と言う必要のない友人関係・職場環境にいることは恵まれているのかもしれません。
・どんな相手ならしてもよいと思うか
「カミングアウトによって私=バイだと印象が上書きされない相手」という条件は変わっていませんが、仕事相手だと結局仕事ぶりのほうが相手にとっても大事である・大事になること、会社という組織の中にこういう人間もいるんだと知ってほしい気持ちもあって、職場の人に対してはプライベートの友人よりはハードルが低いかもしれません。
「友達兼パートナーみたいな人がいて」は余程信頼してなかったり恋バナが好きそうだったりしない限りは言えるから、以前よりはだいぶハードル下がってるかも。
何というか、性的指向のカミングアウトより、パートナーがどんな人かというカミングアウトの方が圧倒的にしやすいですね、私の場合。
・カミングアウトに対してもらった反応
付き合っている人がいる、性別が同じなんだけど、に対しては、圧倒的に祝福が多かったです。まあパートナーができたということの方が、相手の性別より、私の知り合いにとっては大事だと言えるかもしれない。
(まあ、ただ同性であることに素敵だねって言われたりすると、キラキラ偏見的なものをおぼえなくもないんですけど……。)
あとは、パートナーは一番の友達でもあるからinstagramとかにもたまに写っている写真を投稿していて、「インスタでよく一緒にいる子?」って聞かれたり、「特別すぎるなとは思ってたけど」とか言われたりもしますね。これが一番多いかもしれない。でもそうなったら私にとって気楽だから敢えてそうしている側面もあるっちゃあるので、これはこれで良し。
ちょっと面白かったのは、「付き合ってる人ができた」に対して「男? 女?」って即、率直に聞いてきた友達とか。笑
そして年齢が上がったからか、私からのカミングアウトが初めてのカミングアウトではない人や、オープンにしている知り合いがいる人もいて、そこまで大仰な反応は示されていない印象です。
たまーに、覚えてる限りは最近では一人ですが、「初めてそういう人に会った」と言われたことがあって、そういうときはやんわりと「こうやってカミングアウトしちゃうような人は初めてかもですね」と言ってみたりしました(ちょっと動揺してたので、この言葉がどこまで届いてるかはわかりませんが、、、)。
ちなみに「初めて会った」に対するもやもやは以下の記事にも書いたことがあります。
家族へのカミングアウト
2個下の妹と両親の4人家族です。結果から言うとうちはたいへん恵まれておりました。
1.大学1年生の後半くらいに、大学のセクシャルマイノリティサークルに入ることを母に伝える。
このときは「自分がそうかなって思うことがあって、クエスチョニングの人も受け入れてるから~」みたいな言い方をした気がします。
母はとても驚いていましたが、そうなんだね、わかった、みたいな感じ? あんまりよく覚えてないですが、否定とかよりとにかくびっくりされた印象が残ってます。
「このまま男の人と恋愛をしていくものだと思ってたから……」みたいなことを言われた覚えがある。「このまま」って何だ、と思ったのでそれはよく覚えてます。
当時は実家暮らしで、イベントとか飲み会で帰りが遅くなるときに嘘つくのが嫌だったんですよね。
2.付き合って2年くらい、妹にほぼ誘導尋問でカミングアウト
私が一人暮らしで当時妹は実家暮らしだったのであまり会う機会はなくて、でもたまの雑談で妹には仲良しな友達がいてどんな子か、名前とか含め話してた状態でした。
ある2人で出かけた日、「彼氏いるの?」って聞かれたから、ちょっと黙ったのちに「彼氏ではない……」と言ったら(これもう答えてるじゃんね)、「パートナー?」「(頷く)」「○○ちゃん?」って正解当てられちゃいました。
私は仲良しな友達との仲良しっぷりを人に話すタイプなんですけど(妹はもっとそのタイプ)、この日の会話で「○○ちゃんは彼氏いないの? えーでもお互いパートナーできたら寂しいねっ。そのときは私が遊んであげる! ○○ちゃんにも言っておいて!」て言ってたような明るい妹です。笑 もうこの時点でそうかなって思ってたのかな。
でもめっちゃ祝福してもらいました。そうなんだ~ってふんふん楽しげに頷いて、「おめでとう~まあもう2年前だけど!笑」って言ってくれた。いいやつなんです。
3.付き合って3年、お母さんにカミングアウト→お父さんにも伝わる
母へのカミングアウトは、そこからちょうど1年後くらい。
逆流性食道炎のめっちゃ痛いやつで、一人暮らし宅に来てもらってたときでした(実家が横浜で都内住みなので車出してもらえる)。
少し回復してきて、私がベッドで休みつつ、若干熱があったので病院から何時間後に来てくださいって待ち時間が発生してしまったとき、付き合ってる人いるんだって伝えたら、めちゃ嬉しそうな笑顔で振り向かれて、「○○ちゃん?」って聞かれました。友達に対するカミングアウトもそうだけど、さすがに仲良しすぎって思われてたのかな。でも「じゃあ今幸せなんだね~」ってすっごく嬉しそうに満面の笑みで言われて、本当に、祝福をしてもらった気持ちでした。
「結婚はしなくてもいいけど、あなたは案外寂しがり屋だから、一緒に生きる誰かはいてほしいな」というのはその結構前に言われたことがあって、支えてくれる人がいるというのを本当に嬉しく思ってくれたようです。
そのまま「お父さんにも言っていい?」と聞かれて、「お母さんから言ってくれるなら……」とお願いしたら、「仲良くしてるカメラの子?(※一緒に私のミラーレス選びに行ってもらったのと、向こうも趣味で仕事) いいと思うよ。オレがいいって言うようなことじゃないかもだけど」という反応だったそうで、この後半の「オレが良いって言うようなことじゃない」という感覚まで備わっているとは……! と、父とはね、本当に一時期折り合いが悪かったんですけど、この件に関してはこの父で良かったなと思った出来事でした。
職場のLGBTQ研修e-learningで感じたこと
※あ、この見出しは割と愚痴ゾーンです。飛ばしてもよいです。
職場でね、e-learning(動画見てアンケート答えるやつ)のLGBT研修があったんですよ。
でもなんか……なんか……私にとっては、自分の実感とは溝を感じる研修でしたし、初めて勉強する人がこれで分かった気になったり、「LGBT」に対するイメージが固まったりするのすごくやだなって思っちゃった。
やだなと思ったのは主に2点でした。
先にそれはないだろ! とシンプルに怒りが沸き起こった1点目を説明すると、アンケートが無記名ではなかったことです。
そしてこの研修を受けてどう変化しましたか? みたいな複数選択可の設問は、当事者もこの研修を受けることを想定していないような選択肢。
そもそも研修の趣旨からして、「昨今話題にあがっている~」みたいな文言を見つけたときから私はがっくりでしたよ。時代の問題にするな。やっとないことにされない時代になってきただけなんだよ、と。
まあそんな杜撰さが見えたのがやだった1点目。
2点目は、研修の内容は広告代理店に勤めていたゲイ男性が仕事をやめ、海外でカミングアウトをして「I see.」という一言をもらったことがどれだけ嬉しかったか、本当の自分を抑えつけて飲み会の恋バナに乗ったりマッチョな会話に乗ったりする必要がなくなったことでどれだけ心が解放されたか、みたいな内容でした。
私が違和感をおぼえたのは、1人の体験談をLGBT研修のメインに据えること。時間も限られてるのでしょうが、1人に時間を割くということは具体的な、その人個人に紐づく印象や感覚もクローズアップされるということです。それが「LGBT研修」であって、「上層部も受けて好評を博した研修です」とか言われてたのが本当にやめてくれって感じ。
特に私個人と感覚が違うなと思ったのは、カミングアウトをしないことは本当の自分を抑圧していることではない、という点でした。
マッチョな価値観や恋愛至上主義的な価値観が強いコミュニティに所属していて、自分に嘘をつく機会が多かったら、それはコミュニティから離れたり、カミングアウトしたりしない限り状況を打破できないのかもしれません。
でも私の場合、自分の周りにはマッチョな価値観を持っている人はもうあまりいないし、親しい人間同士でも突っ込んだ恋愛話をするのは少し遠慮するような友人が多いです。
エコーチェンバーという、類友的な言葉も知っていますし、先人の戦いがあってこそ少しずつ生きやすい世の中になってきているのだとは思いますが(あと恋愛以外の娯楽が増えたとかそういう話もありますしね)、でも……でも、あのLGBT研修はすごく納得がいかなかったなあ。
ちょっと棘のあるアンケート送っちゃいました。改善されているとよいのですが。
■私にとってのカミングアウト
・オープン/クローゼットのスタンス
ざっくりですが、パブリックにカミングアウトしているかどうかの用語としてオープン、クローゼットという言葉があります。(参考:クローゼット | Magazine for LGBTQ+Ally - PRIDE JAPAN (outjapan.co.jp))
私は自分の性的マイノリティであるというアイデンティティに対しては、「隠すほどじゃないけど、言うほどではない」というスタンスです。
カミングアウトした方が楽だったり、自分がそうすべきだと思ったりしたタイミングでのカミングアウトへの自分の中でのハードルは、この10年弱?でだいぶ低くなったと思います。
でも私がこうしてカミングアウトに躊躇いを持たずに済んでいるのって、自分たちはここにいる、マイノリティをいないことにするな、と戦ってきたひとたちのおかげだなという気持ちが年々強くなってきていて、何か世間に対して返したい、という気持ちが最近はあります。
「自分が性的マイノリティであるという要素は、様々なアイデンティティの中のひとつ」という感覚は変わりなく、むしろSOGI関連のことを自分の中で大きな?メインの?活動にしてしまうと自分の中でバランスが崩れる感覚があって、大きなアクションを起こすのは私にとっては難しいのが今の感覚です。
でも、カミングアウトできる場面があれば、カミングアウトを通して自分の周りの世界を変えられるんじゃないか、みたいなことを考えることがあって、だからハードルはこれからも高すぎないままでいたいな、と思います。
これは余談ですが、同性カップルも出てくる『違国日記』という漫画があって、その中で世界を変えることに関する場面があるんですよね。すごく好きなので引用させていただこう。
・カミングアウトのときに気を付けていること
これはアウティング防止も兼ねてるというか、相手に秘密を背負わせたくないというエゴ(でもカミングアウトはやめないのだから本当にエゴ)なんですが、「複数人に対して」もしくは「○○さんにも話したことがあるんだけど」と、相手がカミングアウトの内容を一人で受け止めなくても済むようにしています。
このエゴに対しても――漫画を引用させてください。
真正面から同性愛を扱った、そして登場人物同士がものすごくしっかり「対話」をする漫画、『青のフラッグ』より。
私がカミングアウトするときに気を遣うことをエゴだと今思っているのは、この漫画の影響が大きいです。結局自分がどうにかできる問題ではないから。
伝えたあとの相手の受け止め方は、自分が抱える問題ではない。
それは私から肩の荷をひとつ下ろしてくれた言葉でした。
だけどせめて、相手が1人で私の伝えたことを抱えることになってほしくはないな、汐月さんってパートナーが同性なんだね、Xジェンダーなんだね、と言える相手がいた方がいいんじゃないかな、と思うし、まあその方が「世界が変わる」かもしれないと思うから、かもしれません。
・私にとってのカミングアウト
なんだかんだ1万字ほどの記事になってしまいました。
漫画分もあったので、ここまで読んでくださったあなたに本当に感謝しています。
私にとってカミングアウトとは、自分の一部を隠さずにいること、嘘をつかずにいること、なのだと思います。敢えて私はここにいるんだ! と大声で叫ぶのは、私の他の大切にしていることとのバランスが崩れてしまいそうだけど、話題が流れてきたときに、私は隠さないし嘘をつかない、そうする必要はないと思っている、なぜなら受け入れてくれた人たちがたくさんいて、その人たちが私を支えてくれているし、どんな自分であれ自分を肯定したいから。
I’m proud of myself.
語学は好きで翻訳も楽しむことのひとつですが、英語でproudと使うときのカジュアルさは「誇りに思う」では訳しきれないなと思います。
I'm proud of myself.
そのことを改めて確かめる記事のひとつになりました。
そしてセクシャリティに関する感覚は流動的なので、2023年6月に考えていたことを記録することができてよかったです。
もう一度、ここまで読んでくださったあなたに感謝です!
それでは。
*SOGI関連の記事は以下マガジンにまとめています!
この記事でまだ6本目です。たまにしか書かないので時期を追うにつれて少しずつ考え方や感覚の違いなんかもあります。