迷いと葛藤。希望と喜びの10年。これからも、東松島とロラン島、日本とデンマークとともに。

画像1 2012年3月、東松島市役所と東北大学のみなさんとのリアルでの初会合。ここから一歩ずつ、ロラン市と東松島市の復興連携の歩みが始まった。
画像2 2012年3月、初めて訪れた東松島はまだ瓦礫の山があちこちに。瓦礫と一言で片付けられない、すべてが、かつてはすべての人にとって大切だった何か…。
画像3 2012年3月。まだ津波の水が引いていない場所が広範囲に渡って広がっていた。
画像4 2013年3月。行き先表示も無残に津波が去ったあとの大地に横たわる。
画像5 2015年3月、東松島市の中学生がロラン島にやってきて、初めての学生交流。
画像6 2015年、栽培を再開して初収穫した東松島の有機米をデンマーク王室のフレデリック皇太子に献上
画像7 2016年11月。東松島のスマート防災エコタウン。デンマークの知見をベースに、まちの復興が進む。
画像8 2016年11月。旧野蒜駅が、復興伝承館に。津波の到達地点が記されている。
画像9 2012年10月。デンマークのソウンデール外相、リデゴ−気候エネルギー大臣他が東松島市と福島市を訪問。
画像10 2012年10月。東松島市にて復興協力のための会合。故ニコルさんの姿も。
画像11 2017年、日本デンマーク外構樹立150周年記念のアマリエンボー宮殿特別展示。
画像12 2017年12月。震災以降ずっと連絡を取り続け、お世話になり続けている高橋宗也さんと石垣亨さん。立場や役職は変わっても、気持ちのつながりは変わらない。大好きな親方のいる「ちゃんこ 萩乃井」で、親方と海苔漁師の相澤太さんが開発したのりうどんに舌鼓。
画像13 2017年12月、まちんどの大番頭、太田将司くんと牡蠣漁師の木村幸喜さんに会いに。最高の牡蠣の素晴らしさとおいしさを教えてくれる。息子のホルがも、何度となく連れて行っている東松島が大好きに。
画像14 2017年12月。牡蠣剥きを見学。すぐ傍らで牡蠣を蒸してもらって、そのおいしさに驚く。
画像15 2017年12月。再び市民代表デンマーク視察団の仲間と再会。楽しいひととき。
画像16 2018年3月11日。念願かなって、伊藤健人さんが始めた青い鯉のぼりプロジェクトに参加。石垣亨さんが連れて行ってくれて、感謝。このあと、慰霊碑でお参り。やっと3月11日に東松島に来れた。
画像17 2015年。再開された仙石線に乗って、新しくなった野蒜駅へ。電車で野蒜までこれることになった感慨と、電車から見る景色に、涙が溢れる。
画像18 2015年12月。東松島市内のまちの復興が進む様子を視察。市役所の同志、石垣亨さんにご案内いただく。
画像19 2015年12月。東松島市のディスカバリーセンターにて、ロラン島からインスピレーションを得て設置されたScience On a Sphereを前に。大変お世話になっている橋本ファミリーと。
画像20 2018年8月。東松島の海苔漁師、相澤太さんにロラン島に来てもらい、海藻養殖の可能性を探る。
画像21 2019年1月、東松島への学生交流事業ツアーを前に、ロラン市の学校で家族を招いて日本食体験とツアー説明会。
画像22 2019年2月、東松島市とロラン市の学生交流事業で、茶道体験をする、ロラン市の中学生。振り袖も着せてもらい、艶やか。
画像23 2019年2月、東松島市とロラン市の学生交流事業で、ロラン市からの参加者は着物を着る体験をさせてもらい、大喜び。日本文化に大いに触れ、驚き、楽しむ機会となった。
画像24 2019年2月、学生交流事業で、東京のデンマーク大使公邸にスヴェーネ大使(当時)とリセ夫人を表敬訪。問。
画像25 2019年2月、東松島市にて同市とロラン市の学生交流事業のフェアウェルパーティー。
画像26 2017年1月、市民交流事業で東松島市からロラン市へ視察団をお迎えし、ロラン市やデンマークの再生可能エネルギーや持続可能な社会づくりの取り組みについて学ぶ。
画像27 2019年2月、学生交流事業での東松島市、ロラン市の学生、先生、関係者と集合写真。
画像28 2018年1月、東松島市の渥美市長や内閣官房から、2020オリンピック・パラリンピックの復興ありがとうホストタウン事業の連携でデンマーク視察、会談。
画像29 2018年1月、在デンマーク日本大使公邸にて、渥美市長を中心とした東松島市視察団と鈴木大使(当時)との意見交換のための会食。
画像30 2018年1月、東松島市渥美市長と視察団が、ロラン市のラスムセン市長を表敬訪問、意見交換。

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ニールセン北村朋子
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