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ep.3 あなたは誰だ?

今、空港のカフェでこの文章を書いている。

バンクーバーに到着した日も、ここでパソコンを広げていた。まだ着いたばかりで英語も全く聞き取れないし、Uberを呼べるかも不安。
あぁ、Simカード変えなきゃ。スマホの充電も足りない。1人で海外に来た時の不安と期待が入り混じった気持ちと、異国に着いた時の独特の匂いと空気。

「なぜ私はここに来たんだ?」
行く前に考えるべきそもそも論を自問自答しながら、固い椅子に座ってランチを食べていた、2週間前の自分を思い返す。

あの日から、私は何か変わったのだろうか?

相変わらず、店員さんの英語もうまく聞き取れない。朝食を食べたいなと思って「ベジタブルラップだろう」と思って何かを注文したら、熱々の揚げ餃子が出てきた。これからロングフライトだというのに、ニンニクまみれになった。


英語もろくに話せるようにならない。何しにきたんだか。そんな思いが頭をよぎる。そうやって自分を否定することは簡単だ。
でも、私はそんなことがしたいんじゃない。そもそもこの旅に目的なんてなかったはずだ。ただ、旅がしたいと思った。「弟がいるから会いに行こう」という気持ちだけで始まった、特に目的のないバンクーバーの旅だ。いいじゃないか、別に。とりあえず熱々の揚げ餃子を頬張った。うん、美味い。


最初は7日間の予定だった。ぶっちゃけ「カナダにそんなに用はないだろう」と鷹を括っていた。7日間のカナダの旅を終えたら、メキシコにでも行くか!いや、バリに寄ろうかな?なんて、むちゃくちゃ適当なことを考えていたのである。

しかし実際蓋を開けてみれば、カナダは私が想像していた場所とは全く違い、不思議な力に溢れていた。多分、ほとんどの日本人がそうであるように、私もメープルシロップのイメージしか持っていなかったのだが(!)

カナダは移民が多い国だと、ここへ来てから知った。欧米人からアジア人、アフリカ人までとにかくいろんな人がいる。様々な国からここへやってきた人で溢れかえっている。
(特にバンクーバーがそうなのかも?)
人種のるつぼ“って、こういうことを言うのだろう。

私が10日間で会っただけでも、日本、中国、韓国、アメリカ、イギリス、インド、パキスタン、イラン、ガーナ、チェコ、ギリシャ、ニュージランド…など、様々なオリジンを持つ人でひしめき合っていた。国籍もビザなども様々、もちろんLGBTQという面でも、様々なバックグラウンドを持つ人がここに滞在している。

つまり、日本ではあまり考えられないような「理由」を持った人が、ここに集っているのだ。そしてそれが、特に違和感がなく交差しあっているのが、カナダの凄いところだと感じた。

私が今まで訪れた国は、大体において現地人と旅行者という図式で成り立っていた。当然ながら私はどこに行っても旅行者で、現地の人から「タクシー!タクシー!!」と客引きにあい、「日本人!写真を撮って!」と言われたり、常に珍しい者としてそこに存在していた。もちろん、その国にも移民はいるだろうし、長期滞在の沈没者とかもいたはずだ。だが、カナダのそれとは何かが違った。

バンクーバーは、そこに降り立った瞬間から、「あなたは何年住んでるの?」という空気。ここに住んでいることが当たり前の会話が成り立つような感じだ。私も例外なく、滞在2日目から近くのバス停の場所をマダムに聞かれるなどした。そういう意味で、カナダはとても稀な国だと感じた。あまりにも色々な人がメチャクチャに混ざり合っているのに、それでいて、堂々とそこに存在していた。

ここに居る"理由"

つまり、カナダにいる多くの人が、もう1つの故郷やhomeと呼べるような場所を持ちながら、何かしらの"理由"を持ってここにいた。(もちろん生まれも育ちも純粋なカナディアンもたくさんいるけど)つまり、裏を返せば”理由”がないとここにいることは少し難しいようにも思えた。
実際、ここにいる日本人は留学やワーホリなど、何かの理由を持って来ている人が多い。同じように、勉強だけでなく経済面や仕事、家族や自国の安全面、もしくは法律やルール、生きやすさの面からここにいる人もいるだろう。

人間が生きるのに理由はいらないが、
そこに居るのには理由があるのかもしれない。

Remember your roots.

少し話が逸れるが、バンクーバーの街には様々なカフェがあり、私はMacを持ってさまざまなカフェに入った。
もちろん、どこもFree-Wifiを提供している。Wifiのパスワードは店によって個性があり様々!その中でふと入ったカフェのパスワードに、私は目を奪われた。
そこには「remember your roots」と書かれていて、実にバンクーバーらしいなと感じた。

ルーツとは、物事の根元、起源。
要するに自分の祖先や家系、原点となるようなものだ。確かに、これだけあらゆるものが混ざりあっていたら、自分のルーツを意識して軸をはっきりと持っていないと、多様性の渦の中に流されてしまうだろう。自分が何者かわからなくもなるだろう。
しかし、それゆえに自然と自分のルーツやアイデンティティについて考えたり、話し合う機会も多いのかもしれないと思う。

“私はどこから来て、どこへ向かうのか。”

それは少し、旅に似ていると感じた。


日本人は、きっと大多数が日本在住・日本人の両親から生まれているのではないかと思う。(もちろん色々な人がいることは前提の上で)私だって、神奈川と埼玉のハーフである。そして、それを疑問に思うことも、深く考えることもない。

つまり「私はどこから来たのか」「私は誰なのか」「どこへ向かうのか」という自分の“そもそも”について考えなくとも、日本で生きていくことは十分可能なのだと思う。

「なぜここに居るのか」「何のために」
…こんな問いを繰り返さずとも、寝床はあるし、暮らしていけるし、言語で困ることもない。人種差別をされることもないし、仕事も家族も、パスポートを必要としない“手の届く範囲”にある。
大前提として「ここに居てもいい」と許されている環境がある。それは非常に恵まれていることだが、同時に自身のルーツについて深く考える行為から遠ざかることを意味するのだと思う。

バンクーバーから感じた今の日本

たった2週間海外に行っていただけで日本について語るのも烏滸がましいのではないかという気持ちもあるが、意外と外に出てみると感じられることもあるので、戯言にもう少しお付き合いいただけたらと思う。

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