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#32 対峙する兄弟と選択

 剛は授業が終わり、カバンを持って教室を出た。ズボンのポケットから携帯を取り出し、受信ボックスを開くと、彩世からメールが来ていた。
『昨日は電話に出れなくてごめん。何かあったか?』
「何かあったのを隠してるのは、彩世さんでしょ?」と剛は独り言を呟きながら、『昨日は急に電話してごめんなさい。声が聞きたくなったので、電話してしまいました。また連絡します。』とメールを返信した。メールを返信して、すぐに電話がかかってきた。剛は躊躇いながら電話に出た。
「もしもし」
「剛か。昨日はごめんな。電話に出られなくて」
「いえ、大丈夫ですよ。仕事中だったんですよね?」
「悪い。しばらく仕事続きで休めそうにないんだ。また連絡する。じゃあな」
「はい。また」
剛は電話を切って、ため息をついた。
「大丈夫?」
剛は後ろから声を掛けられ、あやうく携帯を落としそうになった。
「知多。驚かすなよ」
「驚かすつもりはなかったんだけど。今の電話、彩世さん?」
「そうだよ。…いつからいた?」
「何かあったのを隠しているのは彩世さんでしょ?ってところから」
「ほぼ最初から居たんだな」
「彩世さんは何を隠してるの?」
「いや、なんでもない。大丈夫だから」
「私じゃ、剛の力にはなれない?」
「…」
「剛はいつも私を助けてくれるのに、私には何も言ってくれないんだ」
「知多…」
剛は知多の目を見つめた。剛を真っ直ぐと見据えるその目に抗うことができず、剛は話し始めた。
「彩世さん…兄さんと二人で会ってたみたいなんだ。俺には言ってくれなくて」
「心配かけたくなかったからじゃないの?」
「一度じゃなくて、何度か会ったらしい」
「それは諭さんに聞いたの?」
「ああ。昨日、兄さんに送ってもらった時に聞いた」
「そう。じゃあ、昨日は諭さん、剛の家に泊まったの?」
「え?いや。どうして?」
「昨日の夜、諭さん、帰ってこなかったから」
知多の言葉に、剛は一瞬で何が起きているのかを悟った。
「……もう手遅れなのかもな」
「え?」
「兄さんに…彩世さんを恋愛対象として見てるって言われた」
「諭さんが?どうして?」
「それは俺が聞きたいよ」
剛は携帯の画面を見た。時間の表示は12時50分を指している。
「知多…頼みがあるんだけど、彩世さんの家まで一緒に来てくれないか?」
「いいよ」
剛と知多は一緒に学校を後にして、彩世のマンションへと向かった。


 彩世は剛との電話を切った後、受信ボックスを確認して一つずつメールの返事を打っていた。
「大丈夫か?」と諭が聞き、机にコーヒーを置いた。
「ありがと。大丈夫じゃないかも」
彩世は諭の顔を見た。
「あ、特に急ぎの対応とかはないから、大丈夫だ。メールを返すことは、いつもやっていることなのに、こんなに億劫になったことがない。変だよな」
「そういう時もあるだろ?」
「あんた、人を診ている時に億劫になったことある?」
「億劫というよりは怖いっていう気持ちはあるよ。人の命を預かっているからな」
「なんで、わざわざそんな仕事を選んだんだ?」
「うーん…そうだなぁ、社会に対しての償いかもしれない。俺のせいで一人の男が社会的地位を失くしてしまったし、親にも結果的に迷惑をかけてしまったしな」
「その教師が最初に手を出してきたんだから、あんたは悪くないよ。それに、あんたの親があんたを見限ったんだろ?負い目を感じる必要ないと思うけど」
「俺がお前を元気づけようと思ったのに…。ありがとな」
「何も感謝されるようなことはできてないから」
その時、玄関のドアが開く音が聞こえた。
「鍵、閉めてなかったのか?」
「いや、閉めていたはずだけど」
彩世は玄関に向かうと、剛と知多が立っていた。彩世は一瞬戸惑ったものの、すぐに平静さを装った。
「剛…どうしたんだ?そんなに早く俺に会いたかったか?」
「彩世さん。兄さんがここにいるんでしょ?」
剛の確信めいた言葉と眼差しに、彩世はこれ以上に隠すことができないと理解した。
「ああ、いるよ。」
「なんで、俺に兄さんと会っていることを言ってくれなかったんですか?」
彩世は剛の高揚とした顔をしばし見つめた。その時、彩世の後ろから声がした。
「俺が剛には言わないように頼んだ」
「どうして?兄さんは彩世さんのこと、嫌いだったのに、なんで会おうとしたの?」
剛は、彩世から諭に怒りの矛先を向けた。
「お前が彩世に騙されてるんじゃないかと思って、確かめようと思った」と諭は冷静に穏やかな声で答えた。
剛は、諭の態度に腹が立ち、声を荒げて「じゃあ…なんで、彩世さんを好きになったんだよ⁉」と言った。
「…それについては悪いと思っている。すまない」
「謝れば済む話じゃない!彩世さんはどうなの?兄さんと…俺、どっちが好きなの?」
剛から向けられる視線に彩世は言葉に詰まった。剛のことは好きだけど、それ以上に諭を好きになっている自分に気付いていた。諭は両方と付き合う選択肢も残してくれたが、自分が二人を同等に愛せるとは思えなかった。どうすれば、剛を傷付けずに伝えられるかと、考えを巡らせる。時間だけが、刻々と過ぎ、彩世はようやっとの思いで、剛の問いに答えた。
「お前のことは好きだけど、俺は諭と一緒に居たいと思っている。俺がお前にした行為は許せないと思うし、許してほしいとは言わない」
彩世の言葉は予測ができていたものの、改めて目の前で彩世の口から聞くと、剛はみじめな気持ちになった。剛はなんとか平静な気持ちを保ち、声を絞り出した。
「なんで…なんで、たくさんの人がいる中で、よりによって兄さんなの?人の気持ちに絶対なんてないけど、彩世さんが好きになる人が兄さん以外だったら良かったのに」
剛の目に涙が浮かぶ。彩世は剛に触れようとしたが、剛はその手を振り払った。
「俺を一番に選んでくれないのに優しくしようとしないで」
剛はドアを開けて、駆け出していく。知多がその後を追うように出て行った。
「……俺を選んで良かったのか?」と諭が彩世に聞いた。
「これまでの俺だったら複数の人と付き合っていたと思う。でも、今はそれができそうにない」
「そうか。俺はお前が思うよりもひどい奴かもしれないぞ」
「それってどういう意味?」
諭は彩世の問いに対して答える代わりに彩世に深く口付けた。彩世の耳に水音が響き、彩世の脳内を刺激する。彩世が目をうっすらと開けると諭と目が合った。諭の熱っぽい眼差しを受け、彩世は足の力が抜けて倒れそうになった。諭は彩世の腰を抱きかかえ、その場に倒れこみ、彩世のシャツのボタンに手をかけ、脱がし始める。諭の手が自分の肌に触れるたび、自分の体が熱を帯びるのを感じた。先ほど聞いた質問に対しての回答は無かったが、彩世は諭が自分を求めてくれることに心地よさを感じていた。

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