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#38 ほつれる、からまる
剛と知多、内田は椅子に座って、すっかり冷めたコーヒーを飲んでいた。
「…どうやって暮らしているんだ?未成年だと、部屋も借りられないだろ?」
「それは…身分証明書の年齢を変えれば、借りられますよ」
「……それ…犯罪だぞ」
「まぁ、それは冗談で泉さんの好意で」
「え?あのおばさん?」
「桜と一緒に名古屋に行ったけど、一カ月くらい前にこっちに戻ってきて、泉さんに住まわせてもらっている」
「一カ月前にこっちに居たのに、なんで、連絡してこなかったんだ?」
「それは…何度か連絡しようと思って、意を決して学校に行ったんですが…剛様が彩世さんと一緒に居るのを見て僕の入る隙間はないなと思って…」
「そうか…」
剛は、内田に言われて一瞬苦い顔をした。
「え?僕…なんか、おかしいこと言いました?」
剛は、内田の不思議そうな顔を見て、すぐに目を反らした。
「……彩世さんは、他に好きな人ができたんだ…」と呟いた。彩世が好きになった相手が、自分の兄であることは言いたくなかった。
「じゃあ…その胸にある痕はなんですか?」
内田は、剛のシャツを掴むと、剛の胸にある赤紫色の痕が露わになった。
「勝手に見るな…放せよ!」
剛は内田の手を振り解き、シャツのボタンを上まで締めた。剛は、その痕を見られることで、自分の傷を抉られたような気持がした。椅子を立ち上がり、ベランダに続く窓を開けようとした。その瞬間に剛は腕を強く引っ張られ、その反動で後ろに転んだ。剛が目を開けると、内田の顔があった。剛は起き上がろうとしたが、両手を内田に抑えられていて、身動きが取れない。
「おい。起き上がれないだろ。放せよ!」
「…僕が忘れさせてあげます」と内田は言い、剛のシャツを力いっぱいに引っ張ると、シャツのボタンが取れた。
「バカ、何を考えてるんだよ」
剛は内田を振りほどこうと抵抗するが、全く振りほどけない。
「知多ぁ」と剛は知多に助けを求めた。
剛の目に知多の姿が見えたが、完全に顔が強張っている。
「つぅ…」
剛は胸に刺す痛みを感じて、思わず声を上げた。
「っ…やめろっ」
剛は内田の腹を足で思い切り蹴った。
内田はよろめいて力を抜いた。その瞬間に剛は起き上がり、知多に駆け寄った。剛が知多の肩をつかむと、手の感触から知多が震えているのが分かった。剛は、知多を抱きしめた。
「剛様…」
「出ていけ」と剛は怒りを込めて内田に言った。
「お前は、俺だけでなく、知多も傷付けた。…お前が俺を好きだったとしても、やってはいけないことがあるんだよ」
内田は、剛に言われるままに知多の家を後にした。
剛は、知多の背中や腕を撫でて、自分の感情を抑えるために深呼吸をし始めた。
「知多。息を深く吸うと楽になると思うから、俺と合わせて」
剛の言葉に合わせて、知多も呼吸を繰り返し、次第に震えも治まった。
「ごめんな。俺のせいで辛いことを思い出させてしまって」
「剛のせいじゃないよ。大丈夫」
剛は返事の代わりに知多の頭を撫でた。
「剛…お願いがあるんだけど」
「何?」
「心臓の音を聞かせて」
「え?」
知多の思いもよらない要望に剛は戸惑った。
「俺…どうすればいい?」
「横になって」
剛は知多に言われるままに床に寝転んだ。
「…これでいいか?」
知多は剛の左胸に耳を当てる形で、剛に覆いかぶさった。剛は知多の取った行動に戸惑いを隠せない。
「ごめんね。…人の心音を聞くと落ち着くから」
「それは、俺も分かる」
剛は、手持ち無沙汰になり、目をつむった。
目をつむると、先程の情景が浮かんでくる。剛にとって、内田に力で負けたことは男としてのプライドを傷付けられただけでなく、それを親しい間柄の人に見られたという羞恥心の方が勝っていた。自分が頼りなくて情けなくて、そんな姿をこれ以上さらしたくなかった。
「俺…情けないところばっかり、お前に見られているな」
「そんなことないよ」
「いや…そんなことあるだろ」
知多が動いたのを感じ取り、剛は目を開けた。目の前に知多の顔があった。
「…剛が情けないと思うことでも、私は好きだよ」
剛のおでこにやわらかなものが触れるのを感じた。
「え?」
剛は、起き上がり、知多を見た。知多は、いつも通り無表情で変わらなかった。
「結局、内田に相談する機会を失っちゃったね」
「…仕方ないよ。これからどうするかは、考えよう」