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自分らしく生きるのをやめる。



夏が終わりを迎えようとしている。


今年の夏も新たな思考革命が行われた。


レオン史における思考革命はここ数年で大きく進んできた。まずは高校3年生後期から大学1年生前期あたりだっただろうか。他人の目を気にするのではなく「自分らしく」生きることで考え方の転換を図ろうとした。

この時に、自分らしさって何だろうという旅への大きな一歩を踏み出した。

「自分らしさ」の意識を持つことで性別に結びつけられた普通や社会的身分に結びつけられた普通に対する疑問や憤りを持つようになった。

それによって今まで苦しめられてきた男らしさや学生らしさという呪縛から少しずつ解き放たれるきっかけにもなった。


自分らしさを追い求めることで、より自由に、より幸せになれると思っていた。


しかし皮肉なことに昨年あたりから「自分らしさ」に苦しめられているのではないかという疑問が浮かんできた。

今までと違う行動をしようとすると、これは自分らしくないのでは?と思いなかなかその一歩が踏み出せなかった。

noteを書き続けていた時期にも苦しめられた。今まで書いてきた内容に囚われて新たな興味関心について、これは自分らしくないからなあ〜と思い、なかなか書けないことがあった。

自分らしさを求めた結果、自分自身を「らしさ」の箱に閉じ込めてしまったのだ。

世間の普通という箱からやっと抜け出せたと思っていたら、自分らしさという箱に閉じ込められて身動きが取れなくなっていたのだ。

そんなことに気づいた頃から思考革命に向けて動き始めていた。


まずは自分らしさについて改めて考えてみた。


自分らしさとは過去の行動や考え方をもとに自分を分析した結果作り上げた自分像であると仮定した。

その自分像は現在の私に対する取扱説明書である必要もないし、未来の私を作り上げる設計図でもない。

だから「自分らしさ」と「現在の自分」が完全に一致するわけでもないし、ましてやその自分像が未来の自分を作り上げているわけでもないのだ。

今まで打ってきた経験や価値観という名の数多くの点を繋げて描いた円が自分らしさなのかもしれない。その円の中に無理やり現在の自分を閉じ込めようとしていた。現在の自分はその円の中にも外にも新たに点を打ってもいいはずなのに。


自分らしさを求めることは結果的に自分自身の可能性や未来を広げる妨げになっていたと思う。


だからもっと「自分自身に誠実に生きたい」という感情が芽生えてきた。


自分自身に誠実に生きることは、過去でも未来でもなく現在の私に意識の焦点を当てたい想いから生まれた。

男らしく生きるのでもなく、大学生らしく生きるのでもなく、自分らしく生きるのでもない。

本当にしたいことがあった時にらしさの枠にとらわれて行動できない自分を変えたかった。

私にとっては、らしく生きることは人生の目的を達成する手段として適していなかった。

自分自身を生きることは単純に過去の私の行動や考え方によって作り上げた自分像に自分自身を押し込めることではない。より自由に、より幸せになるために自分自身を生きたいのだ。

他人や過去の自分に現在の私を不自由にさせたくない。

他人と比べていた私から抜け出すために起こした「自分らしく生きる」という思考革命。

過去の自分に囚われていた私から抜け出すために起こした「自分自身に誠実に生きる」という思考革命。

これによって全てがすぐに変わるわけでもないし、「自分自身に誠実に生きる」ことに対する障壁がこれから出てくるかもしれない。

より自由に、より幸せになるためにこれからも自分自身と向き合っていきたい。


革命は終わりではなく始まりである。


革命を起こしてどうなりたいのか?
自由になってどうしたいのか?


今までは「箱の中から出て自由になりたい」と考えていたが、そろそろ「自由になって何がしたいか」考え始める時なのかもしれない。



これはあくまで私の生き方に対する考え方なので、自分らしく生きている方を否定する意図はありません。



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レオン
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