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vol.2「やりたい」に言い訳して諦めないためのロールモデルの存在の大きさ
前にも書いたのだが、私の生き方のロールモデルは「高橋歩さん」
今のタイミングで歩さんに出会っていなければ、私はまだ自分の「やりたい」を思考の癖で他人軸に合わせていた気がする。
少し長いけど、私がやりたいを諦める癖がついた経緯
小学校1年生の頃、「剣道をやりたい!」そう母に伝えた。
「えっ!やってみたいの!?」と驚いた顔をしながらも、物品を揃えて剣道を習える場所へ連れて行ってくれた。
で、実際にやってみると、「なんか違う」そう思った私。
何度か習いに通ったと思うが、多分早々に行かなくなった気がする。
何で剣道をやりたいと思ったのか、その理由すら覚えていないのだけど、
「やりたい!」を口に出し、母がそれを受け止めてくれ、通わせてくれた。
でも「なんか思っていたのと違う」「面白くない」そう思い、またそのことを母に伝えたのだと思う。
でも、母に怒られたとか、無理に通わせられたとかそういったネガティブな記憶がないので、すんなりやめたのだと思う。
実家のクローゼットの奥に立てかけてある竹刀を見る度に、
「一度やってみたんだよな。でもなんか違うって思ったんだよね」
その言葉が、脳裏に浮かぶ。
でも、高校受験の時期になってからは、親にとことん私の「やりたい」を否定された記憶ばかり残っている。
英語の授業が大好きで、「英語で世界中の人と話ができたらどんなに自分の視野が広がるんだろう!」と想像しただけでワクワクしていたのを、今でもはっきりと覚えている。
だから英語を習得するための近道はと探し、隣の市の「国際科」がある高校に行ったらいいじゃん!そう思ったので、素直に母に伝えた。
でもそこから降ってくる否定の言葉の嵐。
「国際科にいって、もしやりたいことが変わったらどうするの?」
「地元にある“普通科”の高校に行きなさい」
「地元の高校にしか行かせてあげれないの。余裕がないんだから」
自分のやりたいこと、なぜ英語を学びたいのかをきちんと伝えたと思う(記憶はないけど)
でも母は折れなかった。
で、そこからしばらくの間親や受験に対してストライキ状態で過ごした。
そして受験日の3日前、地元の高校に落ちる夢をみて「地元の高校も落ちたらまずい…」その恐怖に近い焦りで勉強したのだけは覚えている。
次は、高校三年生の進路選択の時。
やはり英語を学びたい気持ちが消えていなかった私。
「英語が話せるようになってCAになったら、芸能人にも会えるし、世界中の国に行けて楽しそう!」(ワクワク)
「字幕翻訳の仕事も良いな~、エンドロールに私の名前が流れるんだよ!ハリウッド俳優にも会えたりして!」(ワクワク)
未だに覚えている、あの時のワクワクした感情!
今こうして書いているだけでも、テンションが上がるこの感覚!
また、勇気を出して母に伝えた。
「外国語大学に行きたい。CAになりたいと思っている」
すると、
「CA?そんな若いときしかできない仕事なんかしない方が良い!長く続けれる仕事を考えなさい!」
「英語なんて先がない!看護学科に行きなさい!」
「???(なんでここで看護学科???)」
また父も「大学に活かせる余裕はない」と、必死で進学を諦めるように説得してきた気がする。
それから両親は私のやりたいを応援してくれることはなくなった。
言うことを聞かない我儘な娘だからなのかな、
絶対止めにかかってくる。
「子どもを産みたい」と言った時もそう。
3.11のボランティアに行きたいと言った時もそう。
声を荒げて私の存在を否定までしてきたり、穏やかに考え直せと説得してきたり、生半可な気持ちで言うなとかもね。
ま、今となれば笑い話にできる余裕もできたから、これも私にとって必然な出来事だったんだと思う。
そそてお陰様で、今は否定されるといったことはない。
むしろ逆で、全面的に応援してくれているのだから、人って変わるものだ。
それも理由がいくつかあって、一番大きなものとしては私の体調が本格的に崩れ働けなくなってしまった時。
勇気を振り絞って「看護師として働きたくない」そう父に伝えた。
「自分のやりたいことがあるんなら、そうしたらいい」
そう言ってもらえた瞬間に、一気に肩が軽くなった感覚があった。
そこからようやく自分に目を向けて動けだせるようになった。
(その時は37か38歳くらいだったかな)
さて、ようやくロールモデルの話に戻ります
今読んでいる高橋歩さんの本「自由人の脳みそ」
その中に書いていある言葉で、「そっか!」と気付いたことがあった。
物事は大小問わず、「やりたい→すぐに調べる→行動する」みたいに、自分の中で完璧にパターン化している。
そういうノリで生きていると、「類は友を呼ぶ」という言葉があるように、そういう思考の奴らがどんどんまわりに集まってくる。だから自分ももっと行動的な人間になっていくし、どんどん世界が開けていく。
私はやりたいことがあるのに、「いつも一人で前に進まない」「仲間がいたらな」という思いが常にあった。
何でこんなに孤独なんだろう
何で「一緒にやってみよう!」と言ってくれる人が周りにはいないのだろう
とりあえずやりたいことに似ていることをしている場所(既に出来上がった場所)に顔を出してはみるものの、私が入れるスペースがないと勝手に感じていた。
それは多分、私自身がまた本気になれていなかったからかも、そう思う。
自分に本当に自信がないし、口にはしてみるものの勢いがなかった気もする。
だって、もう否定されたくないから。
十分と言っていい程、否定されてきたからまた同じ思いをするくらいなら、本気にならない方が良い、そう無意識で思っていたんじゃないかな。
だけど、高橋歩さんの言葉から、そうすればいいんだ!そう素直に思えている今なら大丈夫。
私もやりたいを叶えることができる、仲間を見つける事ができる!
そう思う。
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