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Konica

「今回も異常なし」
この言葉を聞くたびに安心するがまた4週間この言葉をまた聞けるのか怯えながら生活しなければならない。

この約21年生きてきて幸せや楽しい時間、心地良い時間というのはどうしても短く過ぎ去ってしまうものだと実感している。
実際に、病院を出てすぐ近くにある薬局に行って薬をもらうために待っているとすぐ怯えてしまう。

悪いのは医学的な頭だけではない。

小学生4年か5年のとき。
放課後、母が小学校に通っていたやってきて一緒に市役所に向かっていったことがある。
いくら勉強ができないクソガキであってもなんとなく違和感を感じた。
はっきりとした部署名は覚えていないが教育課のような部署だったことに間違いない。
そこから僕はある授業だけ、その授業だけ小学校の特別支援クラスで授業を受けることになった。
そして2週間に1回市役所の教育部のような部署でカウンセリングを受けるようになった。
僕は精神的に不安定な人間だ、だからみんなに迷惑をかけないように隔離されているんだ、と思った。

朝登校すると机に「〇時間目に来てください」とメモ用紙が貼ってあった。
僕はそれがとても惨めに思えた。
みんなと違う教室で、みんなと遅れをとって、にもかかわらず同じテストを受ける。 
だから、いつもそのメモをすぐに机から剥がしくしゃくしゃにした。

それで、と先生は言い
「どうしたの、何か聞きたいことあるんでしょう」

あのー、と言うと先生は看護師さんにカルテルを渡して僕の方を見る。

「先生の異常なしっていうのを聞くまでずっとドキドキしてるんです」
一瞬戸惑ったような表情をするがいつもの穏やかな顔に戻る。
それをみて僕は続けた。
「どうせならドキドキして怯えずに、やりたいことやって急にうっ、ってなった方がまだマシなんです。
別に死ぬわけじゃないけど、この延命感が息苦しくて」

なるほど、と言って先生は座り直し
「やりたいことはあるの?」

わざわざ言うことじゃないんですけど、と前置きをした。
「なんと言うか、もう学生も終わってしまいます。学生のときしかできないこととか、、学生だから感じることとか、、そういうことをちゃんとやりたいと思って」

いいことだよ、と先生は相槌を打ってくれた。
「じゃあ、今度はそのやりたいことリストで達成できたものを伝えるために来てもらおうかな・人に興味を持たせといてどれくらいどんなリストなのかを教えないのは罪だよ」
やはり大人には、いや頭の良い大人には勝てない。
私にも教えてくれるんですよね、と先ほどの看護師さんが言う。

それはどうですかね、と言い診察室を後にする。

「思い出は忘れなくなくても忘れてしまうからこうしておくの」
今度からこれを口実にしよう。
忘れないように。
忘れてしまってもあの思い出した瞬間に、記憶が鮮明になった瞬間のあのなんとも言えない感情のために。


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