立法学入門コラム 法律とソーセージ
アメリカの立法に関する文献を読んでいると、ソーセージという言葉が出てくることがあるので、不思議に思っていた。
たとえば、ヴィクトリア・F・ノース&ジェーン・S・シャクター「立法立案の政治学:連邦議会の事例研究」(Victoria F. Nourse & Jane S. Schacter, The Politics of Legislative Drafting: A Congressional Case Study, N.Y.U.L.Rev., vol.77, No.3, 575 (2002) )p575には、次のような個所がある。太字は引用者。
また、エリザベス・ギャレット「法と政治を教えること」(Elizabeth Garrett, Teaching Law And Politics, 7 N.Y.U. J. Legis. & Pub. Pol’y 11 (2003))pp17-18でも次のような個所がある。太字は引用者
トビアス・A・ドーシー『法律立案者デスクブック 実務ガイド』(Tobias A. Dorsey LEGISLATIVE DRAFTER’S DESKBOOK A PRACTICAL GUIDE, The Capitol Net, 2006)p18を読んでいて謎が解けた。"Laws are like sausages, it is better not to see them being made."という言葉があるらしい。訳すと、「法律はソーセージに似ている、どちらも作っているところを見ないほうがいい。」とでもなるのだろうか。同書によれば、ビスマルクの言葉ともマーク・トゥェインの言葉ともされているとのことである。ビスマルクの言葉については、Wikiquoteによると、出典の間違いとして「ソーセージと法律の作り方に無知であるほど、その人はよく眠ることだろう。/Je weniger die Leute darüber wissen, wie Würste und Gesetze gemacht werden, desto besser schlafen sie nachts.」や「ソーセージと法律の作り方を知る人は、もはや安眠することが出来ない。/Wer weiß, wie Gesetze und Würste zustande kommen, der kann nachts nicht mehr ruhig schlafen.」など法律とソーセージに関する言及がビスマルクの言葉だとされているが、正しくはJohn Godfrey Saxeの言葉で、University Chronicle. University of Michigan (27 March 1869)にあるとのことである。しかし、それではなぜドイツ語でのビスマルクの言葉があるのか疑問なのだが、この点についてはよく分からなかった。
この比喩は不当だという声もある。2010年12月5日付のニューヨーク・タイムズにロバート・ピア記者が書いた「法律がソーセージに似ているだけなら」”If Only Laws Were Like Sausages”は、この法律とソーセージについての言葉をめぐる記事であるが、その中で、シンプリー・ソーセージ社社長のスタンリー・A・フェダー氏が「立法がソーセージ作りのようだと言われると、とても侮辱されているように思います」といっていると報じている。フェダー氏は、CIAを退職した後ソーセージ作りを始めたという人だが、一方で政治学者でもある(凄いね、この経歴)。フェダー氏は、「立法については,何百人ものコック—連邦議会の議員,ロビイスト,連邦機関の官僚,州の官僚―がいるということができます。ソーセージ作りでは,通常,ヴルストマイスター〔wurstmeister〕というその仕事を運営し,決定を行う人が1人いるだけです」と話した上で、ソーセージの製造事業について、品質管理や衛生管理をしっかり行っているというのである。また、同記事で、アラン・ローゼンソール教授(ラトガーズ大学)は、ソーセージの比喩が従来より適当ではなくなったとし、「現実のソーセージ工場では、誰もが同じチームに所属しています。そして,ブラートヴルストやクナックブルストを作ろうと頑張ります.立法というソーセージ工場では,少なくとも半分の人は,ソーセージを作りたくない.あるいは,異なる種類のものを作りたいと思っています.この2,3年,共和党は,「我々がレシピをコントロールしない限り,ソーセージを作らない」と言っていたのです.」と述べたとしている。
機会があったら、ソーセージ作りをしてみようと思っている。