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よしだの偏愛① じぶんを知る編

あいさつ


どうもこんにちは。よしだじゅんやです。
蒙古タンメンの北極と、サイゼリアのマグナムボトルが大好きな28歳独身です。
先日、流石に食が荒れているなと思い、断食を始めました。

さて、今日は僕の大好きなものについて、「なんで好きなんだろうね?」というのを深掘って考えてみたいと思います。

きっかけ


先日、偏愛マップなるものを書いて、僕が愛して止まないものを一筆書きで紙にざっと書いていったのです。
ちなみに「偏愛」について村上龍のとっても良い言葉があります。

偏愛は、過剰さと欠落の隙間に発生する。

お洒落と無縁に生きる

この言葉の良いところは、「根本的な好き」って決して綺麗事では語れないというところにあります。何かしらの欠落があって、人は初めて熱狂できるのですね。
原体験に基づいた、根本的な欲求を見出す、というのが今回の記事の目的となります。

実際に、僕が書いた偏愛マップがこちらになります。
自分でもとても驚いたのですが、「偏愛」と聞いて無意識に書いたのは、趣味とか好きな食べ物とかじゃなくて、すごく抽象的な言葉でした。

  1. 自分を知ること

  2. 他人を知ること

この根源的な欲求に対して、どこから発生しているのかを明らかにするため、今回は「WHY」を繰り返し自分に問い続けていく形をとります。

今回の記事について


この記事では、まず「自分を知りたい」を扱っていきます。
「他人を知りたい」編はこちらになりますので、よければご覧になってくださいね。

「自分を知りたい」のとっかかりとして、僕が愛してやまない「芝生」を起点にWHYを重ねていきたいと思います。

WHY①:なんで芝生が好きなの?


A:集中したいから

僕は死ぬほど芝生が好きです。僕は名古屋大学という学校に通っていたのですが、冗談を抜きに週4くらいは通っていました。
流石に自分でもなんでか不思議になってこのような文章を書いていたりします。

名古屋大学の芝生の特徴的なポイントは2つあります。
1、傾斜があること(用途に制限がある)
2、対面に交通量の多い道路がある

上記の記事にも書いてありますが、このポイントによって、めちゃくちゃ集中ができるのですね。大好きな音楽を聞いたり、酒を飲みながら夜風に当たっていると、どんどん意識が内側に向かっていることを感じ取れます。

WHY②:なんでそんな集中したいの?


A:自分の本心を汲み取れるようになるから

じゃあ、芝生でどんなことを考えているかと言いますと、実は何も考えていなかったりします。僕はサウナも大好きなのですが、みんな「ととのった!」と言いますよね。あれに近い体験が芝生でも起こります。
本気でぼんやーりしていると、だんだん自分の欲求が見えてくることがあります。
・俺はいま、めちゃくちゃカニクリームコロッケが食べたいのだな
・実は、あの時の体験はめちゃくちゃ悲しかったんだな
とか。
この、あらゆる雑念というしがらみから解放された自分の本心がとっても僕は知りたいのです。

なんで本心を知りたいの?


A:納得をして重要な選択をしたいから

いきなり飛びましたね。すみません。もう少しお付き合いください。
これはマジのマジなのですが、僕は人生の重要な決断をほとんど芝生とサウナでしてきました。

僕は、納得ができないと、本当に「意思決定」でできない人間なんです。
大学4年になり就職するの?院に行くの?という決断を迫られた時に、僕がとった行動は、「よく分からないから休学する」でした。
世の中の多くの人は、何かしらの目的があって休学するのかと思いますが、僕はただただ意思決定を先延ばしにしたいだけで長期の休学に入りました。
よく人に説明するとドンびかれるのですが、2年間ただ引きこもりをしていました。

で、芝生の話になります。
ある時芝生で寝そべってビールを飲んでいたら、
「あ、働いてもいいかもしれないな」とふっと思ったのですね。
その内容については「他人を知る」編で詳しく書こうと思います。

てな感じで、芝生は僕に納得して意思決定を促してくれる場なのでした。

WHY④:なんで僕は意思決定できないんだろう


A①:技術を身につけてこなかった(他人に任せてきた)
A②:後回しにするのも気持ちがいいから

A①について:
原体験を語っていきます。
僕は幼少期から父母に溺愛されて育てられました。実家が写真屋をしていて、僕は長男に当たるのですが、全く長男という責任を求められてこなかった。
溺愛する父母というのは、いま思い返すとある意味残酷な存在だなと思います。いくらでも好きなものは買ってくれるし、怒られたりはしないのですが、逆に良かれと思って、全て親が意思決定をしていくのですね。
そんな感じで、僕は家に大量にあるレコードや漫画を読みあさってぼんやりと大人になって行きました。意思決定する力を身につけずに。

A②について:
原体験を語っていきます。
意思決定を「あえてしない」良さに気がついたきっかけとして、めっちゃ好きな女の子が小学校の頃にできたという体験があります。
これも人に話すとよくドンびかれるのですが、小学生から大学生まで片思いをしていました。高校も大学も、彼女と同じ空間に存在したいという欲求だけで進学しました(ゆめちゃんはとっても頭が良かったので、死ぬほど勉強しました)
なんで僕は10年間も告白しなかったんだろう?と不思議に思います。
よく、告白したら振られてしまうからというリスクに負けたと想像されます。が、僕の場合だと、片思いの方が楽しかったから、というのが正確な理由です。
10年間片思いってしたことありますか?
実際してみると、ほぼほぼ生身のゆめちゃんには興味がなくなっていくのですね。オタク学では「女神化」と呼ばれたりしますが、どんどんゆめちゃんが概念化して行きます。
勉強ができて、運動もできて、可愛くて、人に尊敬されるゆめちゃんは何て素敵な人間なんだろう。女神様だ。もう彼女と同じ時代に生きているだけで幸せ。
みたいな感じです。

ここまでくると、楽しくて仕方ないのですね。なんのリスクも犯さずにただただ好きなものを愛でていられる。そんな快楽を小学生の頃に味わってしまったので、きっと今でもあえて意思決定しないという行動をしてしまうのかなあと思います。

最後に:これを受けて、僕はどう思うか。


A:もう変わりようがない。けど悪いことばかりじゃない。

もう、一朝一夕でなんとかならないと確信しています。
その一方で、僕は人よりも「本心を掘り下げる力」であったり、自分を言い聞かせる力は高いと思っています。このスキルは割と普遍的でかつみんなかなり困っていたりするな。と日々感じています。その手助けなら、きっとお役に立てるはずです。

今日も読んでくれてありがとう。やっぱり、欠落があって過剰さが生まれるようです。

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よしだじゅんや
代わりにカンボジアに募金します。