よしだの偏愛②たにんを知る編

あいさつ


どうもこんにちは、よしだじゅんやです。
前回に引き続いて、僕の偏愛しているもの「他人を知りたい」について深堀りしていきます。
どうやら自分のこととなると、無限に筆を走らせてしまう傾向があるので、なるべく完結に綴ろうと思います。
余計なことを言う男は、女の子にモテないと人生で学んできたので。

話すこと


実を言うと、他人を知りたいの中にも2つのテーマがあります。

  1. 他人(プロ)を知りたい

  2. 他人(素人)を知りたい

それぞれに対して、なんで僕は過剰に偏愛しているのか。そのきっかけは?というところを見て行きます。

プロを知りたい


「プロ」と書いていますが、より詳細に説明すると、何かしらのアウトプットを制作して発信し、それによって飯を食べている人たちのことを指します。
小説家とか、音楽家とか、そういった人たちのことですね。
まずは、僕の大好きな村上春樹を起点にして考えて行きます。

村上春樹の何が好きなんだろう?


僕は村上春樹が大好きで、上司にハルキストとよく小馬鹿にされています。
で、冷静に考えると、僕はあまり彼の長編・短編小説は繰り返し読んでいないのですね。
村上春樹の小説よりも、エッセイが好きなんです。
年に5回くらいは読み返しているものがこちら(読み飽きて英訳版と交互に読んでいます)

エッセイが好きな理由は、一言で「プロの為人」が分かるからです。
僕は作品の良し悪しではなく「なんでこの人はこれを書いたのか」に最も興味があります。

なんで為人が好きなんだろう?


理由は大きく分けて3つあります

  1. 自分との共通点を見つけて、自分の本心を知りたいから

  2. 文脈が形成されるそのプロセスを楽しんでいるから

  3. 自分も作品を作れる人間になりたいから

①に関しては前の記事に記した通りです。

文脈が形成されるプロセス


作家の為人を知ると、作品と作品の間に文脈が生まれてきます。

  • 村上春樹はレイモンドチャンドラーが好きなんだ→だからこのモチーフ扱うのね。

  • あ、これって先週ラジオで話してた内容じゃん。

  • ランニングという習慣があるからこの文体になるんだね。

という感じです。
僕たちは知らない間にたくさん文脈を形成しているような気がしています。
その際たる例がオタク(ギーク)と呼ばれる人たちだと思います。
知的好奇心にしたがって、ガンガン好きなものを掘り下げる人たちですね。

単体のコンテンツを楽しむだけではなく、その背景まで掘り下げていく。
すると、なにか新しいコンテンツを見つける。
コンテンツとコンテンツの間に文脈が生まれる。
その過程がとても心地がいいものです。

そして、1つのコンテンツを掘り下げると、芋づる式に消費するべきコンテンツが発生します。これを繰り返していくと、知る楽しみが永久に続いていきます。
僕はかってに文脈消費と名付けてそれらを楽しんでいます。

自分も作品を作れる人間になりたいから


どこか、自分でも何か価値のある作品を生み出せるんじゃないかと信じていました。
けど、村上春樹のような文章を書けるかといったらそうじゃありません。
そこには、大きな壁が立ち塞がっています。技術だけならまだしも、才能が絡み出すと厄介です。

けど、僕は「まだ村上春樹になれんじゃないか」と諦めきれなかったです。
彼が毎日10キロ走るのであればランニングをするし、
彼が読む本がわかったら全て読みます。
為人を知れば、それを真似ることができます。
それが才能がない人間の、残念ながら建設的な努力なのだと思います。


プロを知りたいから、素人を知りたいへのシフト


先ほど書いた通り、僕は何者かになりたいと願っていました。
大学生の頃まで、映画監督になりたいし、音楽家になりたいし、作家にもなりたかった。
そしてそのまま就職の時期を迎えます。その時、めちゃくちゃ悶えました。

  • ビジネスマンになるのはクリエイティブじゃない。絶対働きたくない

  • けど何者かになるほど僕には技術もなければ才能もない

今思い返すと、何を馬鹿なこと言ってるんだと思いますが、当時の僕はどうしても納得ができず、休学することを決めました。

休学中に


休学をしていて、あまりに暇なので毎日文章を書くことにしました。
とはいえ技術もなければ才能もない人間なので、自分は「正直」で「切実」に赤裸々に語ろうと決めました。それがこの投稿になります。

そしてら不思議なことに、
「よしだの文章読んでる」という人が現れ、
さらに「私も書きたい」という人がちらほら現れ始めました。
実際に書いてもらったのですが、本当に素晴らしくて感動したのでした。

素人を知りたい


ということがあり、僕は素人に傾倒していきます。

なんで素人を知りたいのか?


A:素人には素人だからこその価値があり、普遍的なものだと思った。

「切実」で「正直」で、かつ継続して書き続けたら、そこに「素人の為人」が見えてきます。
素人の為人なんて誰が嬉しいんだ?と思っていたのですが、
実は「プロの為人」と違って圧倒的に共感することがわかりました。
同じ素人だからこそ深く結びつきを感じる部分があります。
それは僕だけに留まらず、誰でも味わえる価値だと実感しました。

とはいえなんでそんな素人にこだわるの?


A:唯一、社会に貢献できるポイントだと思ったから

確かに素人のアウトプットはとても良いです。けどそれだけじゃただの消費だし継続しません。
もっと掘り下げると、自分にとって切実なニーズがあったからです。

技術も才能もない自分でも環境を生み出せることがなんとなくわかりました。

  • 他人の面白さを引き出して形にする

  • それを他人に届けて、面白いと思ってもらう

  • その人もつられてアウトプットを作り始める

この能力というのは、もしかしたら社会に貢献できるポイントなんじゃないか?
もっと切実な話をすると、飯を食べることができる唯一の手段なんじゃないか?と思いました。
ので、必死に食らいついていこうと決意しました。

これを芝生の上でふっと気がついたことです。
「俺、働いていいかも」と考えた瞬間です。

仕事の話:根本的なWILL


  • 素人の生み出すアウトプットが、社会にポジティブな影響を与えられるようにしたい

  • 素人もアウトプットする過程で救われてほしい

  • それを運営する企業の課題が解決される。結果儲かってほしい。

  • 自分の力で上の環境を生み出してなんとか飯を食べたい

改めて考えると、今こんなWILLを持って働いている気がします。
ありがたいことに飯もたべられています。

仕事の話:ちょっとHOWのはなし


僕はいま、リテール業界の新規事業を企画する仕事をしています。
細々とした話はスキップしますが、物やサービス、体験を売るという行為は、主導権が小売からどんどん素人の手に渡っています。
これは、僕のWILLにめちゃ合致した事業環境だなと思っております。

いまだからこそ、社会・企業・素人そして僕がみんな心地よいサービスを生み出したいというのが僅々の想いです。

自分の偏愛が仕事に紐づいていることが書いていてわかってきました笑

最後に:人生を通してこの偏愛をどうしたいか


きっとこの偏愛も変えようがないものだと思います。
僕は根本的に何かを成し遂げたいという想いがないように思います。
それよりも、周りにはうんと面白い素人がたくさんいるので、勝手に素人が手土産を持って遊びにきてくれるのが理想です。
そのためなら頑張れる気がします。

と、なると長く生きれば生きるほど手土産の数が増えるので、KPIが長生きすることなのでしょうね。

今日も読んでくれてありがとうございます。そんな理由で最近断食を始めました。

代わりにカンボジアに募金します。