見出し画像

私の原点 〜心と農〜

日本のみなさん、こんにちは!
前回の記事では、僕と漫画家さんで創る放牧型観光農園『DAIRY GARDEN デアリィ•ガーデン』についてお話しました。

今回の記事はAtomicottaの原点に立ち返ろうと思っています。というのもAtomicottaの構想は漫画家さんと出会う前からあったという事を先にお伝えしていたかと思います。

最初に私がやりたいと願っていたことは何だったのか、Atomicottaの名前の由来など当時の思いを振り返ってみようと思う。


空白の時間

個人事業主としてし今の事業をやる前、私は何をしていたのかと言うと、何もしてませんでした。空白の時間とも言いますか、心を壊してしまっていて、病院に通いながら自分の人生と向き合う時間を過ごしておりました。

もちろん今も常に自分の人生のことを考えていますが、あの時の自分と比べたら、それはもう比にならないくらい前向きで、悩んでいる暇さえなく、とにかく前に進むことしか考えていません。

心を壊す前は地元の病院でリハビリの仕事をしていたんです。病院の院長をはじめ、多くのスタッフや仲間にはすごく支えられてきました。特に院長先生は長年地域の医療介護を支えておられ、本当に人徳のあるお方です。

親身になって相談にものってくれ、助けられたこともあります。お礼も言えずに、僕は辞めてしまったんですが、その選択には今も後悔だけが残っています。

元気のあるうちに、あの時に受けた温情に対してお礼と感謝の気持ちを伝えたい。

何も言えず退いてしまった事を謝りたい。

本当に僕を助けてくれたから。

あの時は何も考えられず、プツンと何か自分を支える糸が切れたような感覚で動く事も出来なかった。


心は農にある

病院を退いてからの空白の数年間は何もしていなかったわけではなく、最低限生活する為のお金は作らないといけませんので、病院に通いながら父の知人の畑作農家さんのところでバイトをしていたんです。

ここが農業と私のはじめての接点になります。

そこでは食用の芋や種芋をメインに栽培しておりまして、砂糖の原料であるビートも作っています。僕はトラクターに乗ったり、食用となる芋を手拾いしたり、手選別したりと色々と経験させてもらいました。

今でもピンチの時は駆けつけて手伝います。

トラクターに乗る為には大型特殊免許や牽引免許が必要になってきますが、大型特殊免許は家の除雪のために普通免許と一緒に既に取得しておりました。牽引免許はなかったのでバイトしながらすぐに取りに行きました。

トラクターやタイヤショベルの操作に関しては、子供の頃から除雪する時に父に教えてもらっていたので、ある程度操作には慣れてはいました。まさか自分がこれに乗って起業するとは思いもしなかったです。

ビート掘り
種芋収穫畑

この空白の期間は農業の手伝いをがむしゃらにしてました。芋の手拾いなんかは今の時代には珍しいでしょうけど、炎天下の中、高齢の出面さん(日雇い労働者)の方達が掘り起こされた芋を手で拾い集めるんです。

これはかなりキツイですよ。

畑を長靴で約2万8000歩は歩きますから。

80歳に近い方達がそれをやるんです。
はじめてやった時は脱帽しましたね。
彼らの体力と根性に。

出面さん達からは多くの事を教えてもらいました。芋の切り方、芋の選別方法、ロープの結び方など手取り足取り教えてくれます。

そして僕が若いという事もあってか、「お兄ちゃーん」と呼んでお菓子をくれたり、一緒にご飯を食べたりと、とにかく可愛がってくれましたね。

僕も彼らに辛い事はさせまいと率先して力仕事はやっていました。

「お兄ちゃんがいると助かる」という言葉が嬉しくて。

そんな日々を過ごして、いつの間にか自分の心が癒されて病院にも行かなくなりました。

農業を通して人の優しさに触れ、自然の中でがむしゃらに身体を動かし、仲間と共に食を支える。

これが一番心に効いた。


はじまりの種

ひたすら働いて、家に帰り、疲れて眠る。この生活を繰り返していく中で、心に余裕が生まれた時にある事を強く思うようになりました。

「こんなに大変なのに芋って安いよなぁ」

①芋切りから始まり、②植え付け、③畑の管理(防除)、④収穫、⑤研磨(芋を綺麗にする)、⑥選別(サイズ別、ハネもの、腐れなど)、⑦袋詰め、⑧出荷

食べる芋を売るためにこれだけの工程があります。そこには多くの労力、時間、お金がかかるんです。尚且つ天気勝負ですから、なりの良し悪しがその年の天候に左右されます。

大きな会社なら自動化して人手も削減できるでしょうし、機械も大型化し大量生産するでしょう。個人農家にはそれを用意するお金がない。
導入したからといって正直、食用の芋は儲かるものでもないです。やるなら食用芋をやめるか他の作物を栽培した方がずっといい。

これって国が悪いのか?

国が補助金を出して設備を大きくしたところで、どうなんでしょう?

日本は品質重視。

「大きすぎ」
「小さすぎ」
「形が歪」
「ちょっと傷がある」
「皮が剥けてる」

選別してる時にこのような芋は食用にはなりません。でんぷん行きです。

でんぷん行きといっても、食用の芋はでんぷん価が低いですから引き取り値段は下がる。

「こんなに頑張ったのに」

「ぜんぜん食べれるのに」

こんな風に思うようになって、それがだんだん強い思いに変わっていきました。

「訳アリってなんだよ」

「大きい芋、小さい芋でいいじゃん」

レッドムーンっていう品種の芋があります。
これは甘くて僕は一番好きなんですが、たまにハート🤍形に変形したものが取れるんですよ。

「お兄ちゃーん、ハート取れたよ」

僕はこうした変形や大きすぎる芋を貰って帰りますが、美味ですよ。

そしてある時思ったんです。

「訳アリなんて言葉なくしてやる」

じいちゃん、ばあちゃん達と一緒に頑張って作ったどんな芋も食用芋として売ってやりたい。

「ハート形なんて付加価値だろう」

漁業における競りでよくTVで見るマグロのご祝儀相場を農業にも持ち込みたいなと。

話は変わりますが、ここで働きたい人は田舎ですが探せばいるんですよ。

働きたい人はいる!

ただ、時給が安く労力に見合ってない。
これが現実かなと思います。

親方ともよく話しますが、親方は来てくれる出面さんの賃金をできるなら上げたいけど、経営的に上げられないと葛藤しています。

その分、仕事を長期に渡ってあげれる様に努力しています。普通は植え付けや収穫の忙しい時期だけ人を雇うのが多いと思いますが、地元のスーパーと連携して箱詰めや袋詰めの仕事を作るなどして出面さんに稼がせるということをしています。

はっきり言って赤字です。
人がいいにも程がある。
自分の首を絞めてでもやっています。

出面さんの生活を守る気持ちが強い。

僕も出面さんを守りたい。
お金で縁を切ってほしくない。

周りからはやめれと言われ、バカにもされたりしてます。大きな組織にも。

それが悔しくて悔しくてたまらない。

だから僕は出面さんや親方の為に売り込もう!
と思ったのです。

消費者もすべて巻き込んで芋の価値を再認識させたいと。

それがAtomicottaの原点。

はじまりの種です。


Atomicottaの名前の由来

僕は何かを変える為にはみんなを巻き込む必要があるとまず考えました。

生産者も消費者もすべて。

デモの様な主張をしてもダメだ。
嘆いても変わらない。
無駄に終わるだけ。

『道徳的な価値観が共通する人達と塊となって言論を主張する』

『善いものは同志を集めて民間から変えていく』

そうしてみんなで成功モデルを作って社会、ひいては国に提示しようじゃないかと思うのです。

Atomicottaには思いやりの心とこの国を愛する心を持った方が集まって欲しい。

そのような個々の集まりが変革の大きな力になると信じて、『個性』を表すギリシャ語からAtomicotta(アトミコッタ)という名前をつけました。

本当はatomicotita(アトミコティタ)らしいんですが、ティタは言いづらいから”i”を抜いてやろうと思いまして、atomicotta(アトミコッタ)にしました。

※Atomicotta(アトミコッタ)は現在商標出願中。


Atomicottaのロゴ

ロゴ原案

Atomicottaのロゴは『イチョウの葉と種』を表しています。これはあくまで原案です。

Atomicottaのコミュニティの和がもし広がるならば、

「ずっと長く続いてほしい」

「未来の種を現代に生きる私たちが守り育てる」

この思いを込めて『イチョウ』をモチーフにロゴを考えました。


そして芽がでる

Atomicottaの名前もロゴもなんとなく考えながら過ごしていた時に漫画家さんと出会いました。

一緒に仕事をしながら彼の価値観に触れ、燻っていた僕の心にようやく火がつき、Atomicottaをスタートさせました。

まず最初の取っ掛かりとしては漫画家さんとの放牧型観光酪農園に取り組んでいきますが、原点は忘れていません。

観光酪農園で私が手伝いに行く畑作農家さんの芋を並べて売りたい。

僕には頑張っていても報われない、助けたい人がたくさんいる、、、。

やるしかない!

ご一読ありがとうございました!

いいなと思ったら応援しよう!

atomicotta
サポートはAtomicottaの活動費として無駄なく使わせて頂きます!