感謝できる幸せ
先日、50代の女性から相談を受けた。
「私は28歳の時から統合失調症の治療を受けています。30年近く、主治医からは11種類の薬を処方され、その量もこれ以上は出せませんといわれる。入院もしたけどよくはならないし、発作が起きるのではないかと思うと風呂に入ることもトイレに行くこともできない。外出先で発作が起きたらと思うと、友達と約束することもできない。・・・・」と延々と1時間くらい話が止まらず、自分の苦しみを訴え続ける。「先生、何とかなりませんか」何度も同じ言葉を繰り返しながら、悲鳴というか、叫びというか、ただ聞いているだけでもこちらもつらくなってきた。彼女の苦しみはあらゆるものを否定する思考を導いていた。想像しがたい苦痛が30年も続けば、誰だって根をあげるにちがいない。忍耐という言葉があるが「痛み」だけは忍耐では乗り越えられない。だから、鎮痛剤が存在するのだ。麻酔のようなものまで含めて、鎮痛剤を服用すれば、痛みは一時的に和らぐ。
しかし、心の痛みにはどうやってアプローチしたらいいか、これはなかなか高いハードルを越えなくてはならないように思う。正確に痛みの正体をつかむのが難しいからだ。
彼女は続けて「薬はもう出さないと先生は言うんです。ものの見方を変えるようにしていく努力も必要ですよ・・・なんて言うんですよ。」
話を聞きながら、少し考えてみた。
「良くなる(はず)から薬を飲む」のに「薬を飲んでも良くならなかった」30年。本来効くであろう薬を医師の処方通り飲んだら、痛みはやわらぎ、苦しみからは解放されるはず、だとすれば、薬はなぜ効かないのか。
「幸せだから感謝するのか」、「感謝するから幸せなのか」
彼女は当たり前のことを当たり前のように述べている。そして間違ったことを言っているわけではない。
しかし、あたりまえでないと仮定すれば、もしかしたら解決するようなことも言っていたので、
「薬が効くのが当たり前でなく、薬が効かないことの方が多いのに私にはこの薬がよく効いたと喜んだとすれば、薬にも、医者にも、家族にも、感謝できて、幸せなひと時を過ごすことができるかもしれないですよ。」
1時間のうち、私が発した言葉はこれだけだったのですが、彼女は
「ありがとうございました。先生にお話を聞いてもらえてよかったです。お会いできたご縁がありがたいです」と言って、笑顔で部屋を出ていきました。
幸せじゃなかったら感謝できない人生より、感謝して幸せを感じる人生にしたいなと思います。
ありがとうございます。