殺意の地平(仮題) (1)
枕元のアラームが鳴った。夢を見ていたような気がして、なにかとても重要な内容だった印象があるけれどさっぱり思い出せない。しかし所詮は夢の話だろう。それよりも今はカーテンから差し込む朝の光のほうが気になる。
時計を見ると七時ちょうど。毎日、起床している時間だけれど、今日の目覚めはホテルのベッドの上だからいつもとはすこし訳がちがう。前日の仕事終わりにそのまま最終の新幹線で夜遅くに岡山へ到着して、たまにはいい機会だからとちゃんとしたホテルを予約しておいた。東口を出てすぐのところにホテルグランヴィア岡山が出来てからずいぶん経つけれど、泊まるのは初めてのことだった。
普段は自宅のカーテンは閉めっぱなしだけれど、旅先の景色を、太陽の光を室内に入れようとカーテンを引くと、早朝の岡山駅東口の景色が広がった。休日だからか、まだ人があまり歩いていなくて、駅前ターミナルには所在無さげに何台かバスとタクシーが停まっている。街はまだ動き始める前だけれど、一方で左手に見える岡山駅二階にある新幹線ホームには次々に列車が到着しては、頃合を見計らってすぐに走り出していく。岡山駅はよく使っていたし、新幹線のホームからの景色も幾度となく見てきたけれど、それよりもさらに高い場所にあるホテルの部屋からの眺望は初めてのことで新鮮なはずだけれど、動かない街をしばらく眺めていると、どうも既視感がある気がしてきて不思議だった。
顔を洗ってから食堂へと降りる。普段は朝に物を食べることはしないけれど、ホテルの朝食となると話は別だ。朝食はビュッフェ形式らしく、コーヒーとヨーグルトを取って席を探していると、他の宿泊客がとてもおいしそうな出来立てのオムレツを持っている。そのオムレツはどうも注文が入ってからわざわざ作ってくれるらしく、しかもベーコンやチーズなど好きな具を一品だけ選んで入れてくれるようだった。近年、県が名産品として売り出し始めている黄ニラが選択肢にあって、黄ニラのオムレツなんて食べたことがなかったからそれで作ってもらうことにした。
コーヒーを席において、並べられた様々な種類の料理の間をもう一周していると、置いてあるミルクがジャージー牛乳だということに気がついた。蒜山や高速道路のサービスエリアで売っているジャージー牛乳をみかければ喜んで買ってしまう人間だから見過ごすわけにはいかない。ちょうど出来上がったオムレツも受け取って席に着くと、いつもはネットカフェに泊まる旅ばかりでこういう楽しみはしてこなかったなと、何年ぶりかのまともな朝食を見て反省した。
おかわりしたコーヒーに半分残していた牛乳を混ぜてカフェオレにして、スマホで赤穂線の時刻を調べておく。ベッドでもう少しだけごろごろしてから支度することを考えると、八時過ぎの列車がちょうど良さそうだった。
部屋に戻り、普段は見ないテレビを点けて25や35といったチャンネルに変えたり、ローカルチェーン店ザグザグのCMがやっているのを見たりすると、あらためて岡山に帰ってきたのだという実感がわいてきた。
その時、スマホが鳴った。実家からだ。
「どねえしょんかなあ、連絡がねえが」
帰ってくるはずの息子から連絡がなく、業を煮やした父からの連絡だった。
「朝ご飯食べたところじゃあ。8時57分着のに乗るから、駅まで来て」
電話を切ってもう一度、窓の外を見る。先ほどよりはすこし人が出てきたようだった。既視感があるのはどうしてだろうと頭の隅で考えつつ歯を磨いていると急に閃いた。この窓からの眺望は、まだ上京前に深夜テレビを見ていた頃、夜中の三時ぐらいから放送終了時間までフュージョンなどのどうでもいいBGMと一緒に流れていた風景に違いなかった。このホテルの建物のどこかにテレビ用のカメラが設置してあるのかもしれない。
そのことに気づいてから改めてもう一度外を眺めてみると、さきほどまでの特別な印象はすっかり無くなって、いつもの見知った岡山駅前の景色だけがあった。