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豊島園日記6

 最近は家を建てる時だけではなく、引越し先を探す際にもハザードマップを参考にする人が増えてきて、そうなってくると埋立地ではなく、武蔵野台地の上に乗っかっている練馬の評価はますます高くなっていくらしかった。

 その台地の端っこのあたりにずっと空いたまま放置されていたどこかの社宅があったのが、ようやく取り壊されて更地になった。近所だったから建設作業内容を説明する努力義務があったのだろう、自宅のポストに騒音のお断りと一緒に建設計画の書かれた厚い紙の束が投函されていて、目を通してみるとその敷地には三階建てで十二戸というセレブ物件が建つとのことだった。

 今年の初めには豊島園通り沿いにも新しいマンションができたばかりだし、再開発の波はゆるやかにこちらにもやってきているようだった。

 練馬駅からの帰り道はいつもけやき公園を突っ切っていたのだけれど、公園の横にならんでいた戸建が次々に取り壊されていって、気がついたら最後の一軒を残して空き地になっていることに気がついた。

 それからしばらくは変化がなかったけれど、ある頃から公園の近くで、エンブレムが金色で横浜ナンバーの黒いクラウンをよく見かけるようになった。裏道だからそれほど広くないのに荒い運転で飛ばしていくから、危なっかしくてしょうがない。

 次に、平日休日を問わず、その残された家の前にスーツを着た男が何人もたむろするようになった。スーツを着ているとはいってもまともな人間ではなさそうで、不動産関係だろうかと考えた。

 夜遅い時間に通りがかっても、その男たちは公園のベンチに腰かけてずっと家の様子を窺っていたりする。乱暴な運転をしていた黒いクラウンは、隣の空き地に停められていることが多かった。

 次第に家の周囲の空き地にはゴミが放置されるようになった。それから、取り壊しに際して組まれていた足場から養生シートだけが外されて、代わりに電飾が付けられた。家の周囲に張り巡らされた電飾は昼も夜も光っていて、点滅するタイミングでばつばつと回路か何かが切り替わる音がして、横の道を通りがかるだけでもとてもうるさい。

 隣の敷地のことだから法律的には文句が言えないようにしているだろう、昔から伝統的に受け継がれている地上げ仕草というものを初めて目にして少し感心しつつも、残された家の人はめんどくさいだろうなとおもった。

 公園や家の周りをぶらついているゴリラたちは住人に圧をかけているだけなので暇なのか、通行人がいるとじろじろと見てきて気分が悪い。だから練馬駅からの帰り道は小学校の横を通り寺の前の坂道を下るルートに変えてしまって、けやき公園のところはなるべく避けるようになった。

 ある日、薬局の帰りに考え事をしながら歩いていたら、癖でけやき公園の前にやってきていた。以前のように公園の中を突っ切ろうとして、木々の向こうが黒く、やけに空が暗く感じることに気がついた。

 違和感の正体はすぐにわかった。この前は空き地だったはずの一軒家の周りに、屋根よりも高い岩山ができていた。その黒っぽい岩肌は家を避けるようにして、道路にはみ出すこともなく、地面から生えている。

 かつての名残で、その岩のところどころに空き地の周囲を囲んでいたはずの柵やロープが引っ掛かっている。岩山はいたるところが直角に尖っているけれど、位置を変えて眺めるとその角度がより鋭角になったり、へこんだりするから、見ているだけで不安で気持ち悪くなってきた。

 急に現れた岩は奇妙だけれど、歴史の長い練馬だしそういうことも時々あるのだろうと、あまり気にも留めずに家に帰った。

 何日か後に気になって同じ道を通ってみると、やっぱり家の周囲には岩があった。昨日雨が降ったこともあるのか、岩肌の黒ずんだところから染み出してくるように、暗い色をした水が道路に流れてきて、排水溝の周りに水溜りをつくっている。その水は風もないのにゆらゆらと揺れているように見える。

 ふと見上げると、黒いクラウンのフロントが岩から突き出ているのに気がついた。それはまるで岩肌に飲みこまれて同化したようだった。

 異質な幾何学に基づいた、抽象芸術じみた建築物のようなその岩を眺めていると、ある角度からだと球に見えるけれど、また別の方向からだと立方体になったり、捉え方によっては壁や柱におもえなくもない箇所もあった。それは異様な論理によって作られてしまった建築物のようにもおもえた。

 前方から犬の散歩をしている人がやって来たけれど、その名状し難い岩のようなものについてまったく気にしていない様子で、犬も同様に、電信柱とかブロック塀の匂いをかぐのに懸命で普段と変わりはなさそうだった。

 次の日に練馬駅近くのスーパーで買い物をした帰りに通りがかると、今日は以前のように、家の周囲には空き地が広がっていた。岩らしきものはどこかに消え、草がぼうぼうと生えた更地がずっと変わりはなかったかのようにすましている。排水溝の付近にほんのわずかに黒ずんでいる気もするけれど、単純に汚れているだけかもしれない。

 結局それっきりで、空き地にあった電飾やゴミは撤去されたのか無くなったままだし、黒いクラウンや公園をうろつく不動産屋の姿を見かけることもなくなった。残された戸建では家の屋根を職人さんが塗り直しているのをみかけたから、リフォーム工事を始めたらしい。周囲の空き地の工事が始まる様子もない。

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