今までの仕事の話(6)

引き続き書いていこうと思います。

前回の記事は下記のリンクをご確認ください。


前回までのあらすじ

  • 割とコンサルタントに近い仕事も経験

  • 運用寄りの仕事も経験

  • コロナ禍でプロジェクトからリリース

6つ目のプロジェクト

アサイン

コロナ禍でプロジェクトからリリースされた結果、リモートワークの待機状態が始まりました。
社内のeラーニングしか就業したものとみなされないため、必要時間を要するeラーニングを実施するのが非常に面倒でした。
ひたすら8h/日に達するようにeラーニングを探してこなす日々が数日続きました。

その後、いつも通り面談を経てプロジェクトにアサインされました。
プロジェクトの概要は「大手企業にて、現行システムから新規システムへの大規模データ移行」です。
新システム自体は稼働しているのですが、旧システムで実施している業務を新システムで実施するために相当量のデータを加工した上で移行するというのがミッションでした。
今回の私のポジションはPMO(リーダー&私ともう一人の3名体制)のメンバーというものでした。

プロジェクト

このプロジェクトではほぼフルリモートで仕事をしていました。
出社したのは1年半で3回程度ですね。
ただ、このフルリモートが良くなかったのです。

参画当初は比較的上手く回っていたプロジェクトですが、途中でクライアント都合の仕様変更が2回入りました。
1回目はお客さんが言うなら仕方がないかという内容でしたが、2回目は「ふざけるなよ!」と言いたくなるものでした。
なぜなら、2回目の仕様変更は1回目の仕様変更を無しにして元の仕様で進めてほしいというものだったからです。
もちろん、弊社からは1回目の仕様変更の際に「ホントに変更して良いのですか?問題発生する可能性がありますが……?」と確認を入れた上でクライアントが「構わない」と回答して変更しています。
一応、仕様変更の度に追加契約をしていたため、プロジェクトの予算はある程度保たれていました。
が、クライアント側の予算が足りず、本来プロジェクト内でやるべきことを運用フェーズでカバーするという、システム構築のプロジェクトとしては最悪のレベルになりました。

結果、プロジェクトは炎上状態になりました。
PMOチームのリーダーやプロジェクトマネージャーはひっきりなしに何かしらの打ち合わせをクライアントとしており、内部の打ち合わせや資料のレビューは時間外ということも多々ありました。
また、リーダーやプロジェクトマネージャー、クライアントは時間外にもメールやTeamsなどで連絡を飛ばしてきます。
スマートフォンにメールやTeamsをインストールして通知が来るように設定していたため、終業後も心が休まる時間が無かったです。

また、私は1Kに住んでおり、普段の生活スペースと仕事のスペースを分けることが難しい状況です。
そのため、ONとOFFの境目が曖昧になり、疲れが取れなくなっていきました。

更に追い打ちでPMOのもう一人のメンバーが「別のプロジェクトに行きたい」ということで抜けたため、業務量も増えました

このままでは心身ともに危ういと感じた私は心療内科を受診しました。
結果、適応障害と診断され、1度目の休職に入りました。
そのため、本プロジェクトは1年半でリリースとなりました。

休職(1度目)

現職には通常の有給休暇私傷病休暇(有給)があります。
私傷病休暇は通常の有給休暇とは別に病気や怪我で通院や休養する際に使える有給休暇で、年に20日付与されます。
私はタイミングが良く(?)、休み始めたのが年度末月で、私傷病休暇を約40日分利用できました。
その後は有給休暇を利用するのも一つの手だったのですが、それほど長期に休むことにはならないだろうと考えていたため、有給休暇を温存して休職に入りました。
結果的には、私の考えに反し、私傷病休暇の期間を含めて丸1年休むこととなりました。

休職期間の初期2ヶ月はとりあえず体がだるく、ほとんど動けませんでした。
食欲も無かったので、日に1食だけというのもザラでした。
何をするのも億劫で寝ていることも多く、少し気を紛らわせるためにYouTubeを観る程度でした。
3ヶ月目からはある程度回復してきたこともあり、少しアクティブになりました。
長距離の散歩をしてみたり、自転車で遠出してみました。
4ヶ月目くらいには主治医に復職に向けて動きたいと申し出たのですが、主治医からストップがかかりました。
理由は「少し焦りすぎているように見える。焦って復職すると再発する可能性がある。」とのことでした。
これは半分当たりで半分外れていたように、今では思います。
その後、通院していたクリニックで実施していたリワークプログラムに参加するようになりました。
内容は他の参加者と協力してMinecraftで建物を作るなどの共同作業をすることでした。
正直なところ、このリワークプログラムはそれほど効果があったとは思っていません
振り返りみたいなことを月1回やっていましたが、そんなに有益なことも無かったと思っています。

休職開始から1年経つ頃には健康面も精神的にもかなり落ち着いていたのと、リワークプログラムでもそれなりに発言や行動ができていたこともあり、復職の流れとなりました。
細かいところは省きますが、前回のプロジェクトは既に終了しており、新しいプロジェクトへ参画することとなりました。

7つ目のプロジェクト

アサイン

まず1点ここまでで話していないことがあります。
それは6つ目のプロジェクトにアサインされている途中で、所属組織が変わっています。
転職当時に私が所属していた組織は「システム導入」業務を中心とした組織でした。
変更後の組織は「システム保守運用」業務を中心とした組織となります。
6つ目のプロジェクトが完了するまでの間は業務に変更は無いという状態でした。

おそらく、この配置換えは私の経歴を考慮した結果だとは思います。
1社目でも2社目でもシステム保守運用は経験しているので適正があると考えての配置転換だと思います。
ただ、適性はあるかもしれないのですが、私が最もしたくない仕事でもあります。

プロジェクト

ポジションとしては「大手企業のシステム基盤(クラウド)の保守運用」の1メンバーからスタートしました。
私はこのプロジェクトでクラウドに初めて触れました
また、こちらのプロジェクトは保守運用の定型作業をオフショアに移管しており、この点についても初めてでした。

この保守運用プロジェクトは、というよりもほとんどの保守運用プロジェクトに共通していると思うのですが、明確な業務フローが無い手順書が整備されていないなどの欠陥を抱えていました。
そのため、私はオフショア先の人間から手順書が整備されていない状態で引き継ぎを受けることになりました。
これが再度の休職につながる大きな一歩だったかもしれません。
なぜならば、私はこのプロジェクトの作業を曖昧なまま受け取っているためです。
明確にすれば良いという意見もあるでしょうが、オフショア先の人間からすると「工数がかかる」ため、明確化する時間をあまり取ってもらえなかったのが現実です。

また、多くのシステムが利用している基盤であるため、システムごとの個別要件が非常に多くなっていることも、私を苦しめた一因でした。
当初の提案資料を見ると、提供している基盤は3パターンの利用形態を用意しており、そのパターンの中で利用システム側が上手くシステムを構築することになっているはずでした。
しかし、クライアント側の推進担当の「より多くのシステムをこのシステム基盤の上で稼働させたい」との思惑により、実情は各システムの要望を取り入れた個別要件を多く含むシステム基盤となっていました。
そのため、各システムの特性や事情を把握しなければ運用や追加開発が難しい状態となっていました。

復職後2ヶ月程度で就業制限が解除され、半年が経った頃に私は追加開発案件の主担当となっていました。
業務範囲はかなり広がり、各システムが個別で追加したいという機能の提供やOSやデータベースなどのミドルウェアの計画的なアップデートなどの案件が舞い込んできました。
これらの業務が私の心身を蝕んでいきました

先ほども記載した通り、私はクラウドに触れるのは今回が初めてです。
また、ミドルウェアについても一部は未経験の領域です。
調べながら、覚えながら進めるので非常に時間がかかります
しかも社内の知見者に相談するチャネルも無く、不明瞭な箇所はWeb上のマニュアルを鏡にしながら進めるため、個別要件に上手く適用できないことも多々ありました。
ミスもそれなりにしてしまいました
それでもなんとか進めていきました

そこに追い打ちをかけるようにPIP(Performance Improvement Program)の対象になってしまいました。
平たく言うと外資系特有の業績改善プログラムというもので、一定期間に達成すべき目標を設定し、達成できるかをウォッチするというものです。
達成できない場合は降格人事となります。
私が入社する以前は退職させるために実施することが多かったようですが、現在はそこまで強いものではないです。
設定される目標が業務に関係することだけならば、それなりの形にすればなんとかなります
上司からしても自分の部下が不出来であると喧伝することになるので、ある程度協力してくれます。
ただ、私の目標にはとある資格の取得が追加されていました。
集中して勉強すれば50時間かからずに取得可能な資格ではありますが、私には業務を回すので精一杯かつ業務を回すための情報収集もしなければならない状況でした。
もちろん、PIPの目標には業務を円滑に回すことも含まれています。
私の技量不足は否めないものの、かなりのハードワークになりました。
終電までとはいかないものの、家に変えるのが日付が変わる直前になることもそれなりにありました。

そのような状況で事件は起こりました。
というより起こしてしまいました
機能の提供の案件で一部テストなどをしていたのですが、テストでミスをしてしまいシステムが実際に動いている環境に影響が出てしまいました。
その対応で肉体的に疲弊し、更にミスを引きずって精神的にも疲弊した結果、私は現在の状態になりました。

休職(2度目)

これ以降は下記のマガジンで書いておりますので、ご参照ください。

今回も私傷病休暇(有給)をメインに利用しましたが、足りないため通常の有給休暇も利用しました。
現在は復職に向けて通勤リハビリというものをしています。

正直なところ、現職には戻りたくない気持ちが強いですが、転職先が決まっていない状態では致し方ないかと思っています。

まとめ

という訳で今までの仕事を振り返ってきました。
深堀りしすぎると身バレするので抑えていますが、書きたいことはある程度書けたかなと思っています。
あくまで私の振り返りのための文章なので、面白くない文章だったかと思いますが、読んでいただいた方々には感謝いたします。

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