バベルの図書館
子どもの頃、私が小学校の中途から移り住んだ町には、小さな図書館がひとつあるだけだった。元小学校長の老人が館長を務める図書館で、およそ貧弱な蔵書だったはずだが、私にとってはとてつもなく大きな宇宙のように思えた。館内のすべての本を読みつくすことを夢見ながら、この世界には一体どれだけの本があるのだろうと考えては深いため息をついたものだ。
さて、10年ほど前のニュースだが、国内で発行されたすべての出版物を収集・保存することが義務づけられている国立国会図書館では、出版点数の激増や本の大型化等により、収容スペースが限界に近づいていると報道されていた。その後、新たな収蔵館が増築され、資料のデジタル化の取り組みも鋭意進められていると聞く。
片や、米国の議会図書館では、1億4000万点に及ぶ収蔵資料のうち、書籍、写真、原稿など1500万件がすでにデジタル化され、インターネットを介して世界中の人々が利用しているとのことだ。
さらに、コロナ禍を経験する中で、実際に図書館に足を運ばなくても、仮想空間を介して図書館利用が可能になるようなバーチャル図書館の実現に向けた取り組みが図書館流通センターや民間企業の共同で進められつつあるとの報道もある。
書籍デジタル化問題や出版物の電子配信にはさまざまな論議があるが、電子化をめぐる著作権の法的ルールが整備されれば蔵書数はさらに飛躍的に拡大し、いずれは誰もがパソコンの窓を通じて世界中のあらゆる書物を閲覧することができるようになると思われる。
こうしたバーチャル図書館の出現は、蔵書の保存や収容スペースの確保に関する悩ましい問題を一挙に解決するものとなるのだろうか。
アルゼンチンの国立図書館長でもあった作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、『バベルの図書館』という作品のなかで、あらゆる本を所蔵する無限の宇宙ともいうべき図書館を夢想している。一方、その末尾に付された注釈では「広大な図書館は無用の長物である」と断じ、無限に薄いページの無限数からなる「一巻の書物」で充分なはずと記述する。
バーチャル図書館において、その一巻の書物は、一台のノートパソコンや携帯端末に取って代わられるのかも知れない。
さて、『バベルの図書館』が書かれてから5年後、ボルヘスの10歳年下の作家中島敦は『文字禍』という小説で、まだ紙というものがなく、粘土板に硬筆で符号を彫りつけて書物とした古代メソポタミア時代の図書館を描いている。いわく「書物は瓦であり、 図書館は瀬戸物屋の倉庫に似ていた」時代の話である。
ボルヘスと中島敦、この二人の作家が、地球の裏側でほぼ同時期に対照的な図書館の物語を夢想したことはとても興味深い。
デジタル記号と化した文字が縦横に飛び交う宇宙空間を経巡り、私の記憶は半世紀ほどの時間を遡って再び小さな町の図書館へと辿り着く。
そこでは、捕虫網を片手に麦わら帽子を被った子どもの私が、薄暗い図書館の片隅で鼻の頭に汗を浮かべながら、『ファーブル昆虫記』やドリトル先生、シャーロック・ホームズの冒険譚に読みふけっている。
あの至福に満ちた読書の時間は再び訪れるのだろうか。
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