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お会いしたかった..授業を2分の瞑想で始めるカツマン博士

授業の始めを2分の瞑想ではじめた、カツマン博士。まだ32歳という若さで、2023年10月7日に亡くなりました。

この記事は、イスラエルの家族が送ってくれた、webサイトから翻訳したものです。
引用:The Librarians

イスラエルへのテロ攻撃で亡くなった1200人以上の方のご冥福を祈ります。

そして、250人以上が人質となり、既に亡くなられた方も多くいらっしゃいますが、
ガザに連れ去られたままの、あと約100人の方の無事の生還を心から祈っています。

イスラエルの家族が送ってくれた、

The Librarieans というWebマガジンを呼んだとき、思わず涙がでました。

簡単に翻訳してみますが、是非英文リンクを置いておきますので読んでみてください。

イスラエルのハイム・カツマン博士について

優秀な学者であり、講師、
そして自動車整備士であり、
学びと瞑想を通じて平和を求めた優れた学者

彼は自身で学問の道を選びましたが、「象牙の塔」に閉じこもることを拒否しました。

カツマン博士はまず、ガレージで働くことで学費を賄い、その後は庭仕事やDJとしても収入を得ていました。

ペタク・ティクヴァの、宗教的な家庭で育ちましたが、自分が本当に「家」と呼びたい唯一の場所、ネゲブ砂漠のキブツ・ホリットに生涯を捧げることを決意しました。

カツマン博士の政治学の授業に出席したことがある人なら誰でも知っているように、彼は毎回授業の最初の2分間を瞑想に充てていました。

外の世界には雑音や気が散るものがたくさんある

と彼は学生たちに言い、その最初の2分間を一緒に瞑想することで、外の世界と教室の間に緩衝を作ることが重要だと考えていたのです。

授業の始まりに瞑想を取り入れることだけが、彼が学界で際立っていた理由ではありません。

自ら進んでガレージで自動車整備をして働いたり、庭仕事で学費を稼いだりする講師は、ほかにはほぼいなかったでしょう。

カツマンを知る人々は、彼の原則が彼の人生を導いていたと言います。何かを信じると、それを貫き通すのが彼の生き方でした。

手作業と知的作業を統合することを信条とし、それを実際に実践していたのです。

カツマンは、宗教的なシオニスト家庭に生まれましたが、若い頃から友達と過ごす時間を勉強よりも優先することが多く、常に優等生ではありませんでした。彼はサッカーをよくしていましたが、いつも最良の選手だったわけではありません。それでも彼は決して挑戦を恐れず、難しい仕事も忍耐強くこなしました。

音楽は常に彼の生活の一部でした。
近年、彼はDJとしてアラビア音楽を専門にし、イスラエルの聴衆に紹介しようと決意しました。

彼のイベントでは、その音楽で、ヘブライ語とアラビア語の話者が一緒に踊り、交流する空間を作り出し、音楽を通じて平和を育むことを願っていました。

学術研究においても、彼は独自の視点と革新的な考え方で知られ、イスラエルの宗教的シオニズムの台頭やアメリカ化の影響について研究を続けました。

彼はキャリアの多くを、ガザとエジプトとの国境近くにあるキブツ・ホリットの発展に捧げ、特にコミュニティガーデンの育成に注力していました。


2023年10月7日、去年の今日、彼の32歳の誕生日を祝う予定でした。

彼の愛するキブツがテロリストに襲撃され、彼はまず隣人を助け、その後クローゼットに隠れていたところを見つかり、命を落としました。

彼の人生は、彼が心から愛していたキブツで悲劇的に終わりを迎えました。

わずか32歳という若さで、この世を去ったのです。

亡くなるには早すぎる、惜しい命。。

テロは、何の罪もない人々の命を無差別に奪い、家族や友人の平和な日常を破壊します。

常にテロや砲撃に晒されているイスラエルは、パレスチナの人々のように声をあげて抗議することは殆どないですが、反撃した途端、
まるでイスラエル🇮🇱から攻撃を仕掛けているかのような報道に、捏造を感じます。

日本の報道、欧米でも、
一年以上にわたり、ヒズボラからもイスラエルが攻撃され続けていたにも関わらず、ほぼニュースにならない。

イスラエルがようやく反撃したら一斉にイスラエル批判。矛盾ですよね。

このようなことに気付くことは、普通、日本にいたら難しいです。

世界は知らない間に、テロ側の論理でニュースが操作されるようになっているともいえます。オイル保有国のイランやのカタールの、メディア操作は、アメリカの大学への多額な寄附などから、緻密に種蒔きをしています。

パレスチナの人々を利用している中東諸国にパレスチナの人々自らが気付かないと、いくら救援物資が届いたところで、殆どがテロに使われてしまうのですから。。

それでも、カツマン博士のように、
音楽を通して、異なる文化での平和の交流を進めようと行動してる方が、イスラエルには沢山います。

そのような方々がテロで亡くなるのは、特にやりきれない気持ちになります。

それでも本当にイスラエルの人々は、
ようやくホロコースト後に戻った約束の地で、心から平和を望んでいます。
テロは、何の罪もない人々の命を無差別に奪い、家族や友人の平和な日常を破壊します。

英語のこの原文をよんでいただきたい
文、写真 引用:The Librarians から

https://blog.nli.org.il/en/hayim_katsman/

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