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ATMANの暗黒日記パート④

前回の③に少し誤りがあったので、その修正からはじめる。

前回、体を壊したから、新たな道を探したと書いたが、実際は、体を壊す前に、次の道を既に決めていたのだ。

郵便局では5年働き、時給はMAXまで昇給し、オサと同じような仕事ができていたので、できればもう少し収入を増やしたいと、オサが昔合格していた、ワンランク上の評価を得る為の試験を受けたいと会社側に要請を出していたのだが、人件費を増やしたくないのだろう、なんともはっきりとした解答をして来ない。

郵便局内でこんな不透明なやりとりを何回かする中、今度は地鎮祭の会社でぼくが事故を起こしたのだ。

事務所で、あるものを作らなければいけなくて、近くのホームセンターでその素材を買いつけ、さて、帰ろうと駐車場で車を出した時、会社の軽のワゴンに乗っていたのだが、思いの外、舵角が取れ、ホームセンターの柱に車の右はじをぶつけてしまったのだ。

大した衝撃ではなかったので、車は大丈夫だろうと思っていたら、当たりどころが悪かったらしく、タイヤが動かないようになってしまったのだ。

軽のワゴンは鼻先がほとんどなく、前のバンパーからタイヤハウスまでの間隔が異常に短いので、前のバンパーとともにタイヤが少し引っ込んでしまったかたちとなってしまったのだ。

これでは車を動かすこともできないので、JAFを呼び、事務所までレッカー移動をしてもらった。

元々、この車は距離数も軽としては限界以上に乗っていて、ぼくが以前乗っていた時に、前輪ブレーキの故障、オーバーヒート、さらには、ラジエーターから水が漏れていたので、水を補給しながら乗っていたようなシロモノで、社長といつ廃車にしようかと言っていたような車だったので、大したお咎めは受けず、車はそのまま廃車となったのだが、この自分の不手際を謝罪すべく、軽の車を仕事で使う時は、自分が身銭を払い、車のレンタルをするようにしていた。

その頃ぼくは、この地鎮祭の会社で1年No.2として働き、昇給の動きがまったくないことや、地鎮祭がない日は結構社長が会社を休む日が多く、それはいいとしても、その上でぼくが時間給で働いていることをその社長から以前よりかなり突っ込まれており、ようは、時給なので、そこを考慮に入れ、仕事はとにかく短時間で終わらすようにと強く言われていたので、それに焦っての事故でもあったのだ。

社長は会社を休んでいるのに、働いている自分を急かすなんて・・・

その事故の当日も社長は会社を休んでいたのだが、そんな想いが、当時の自分にはあったのだ。

そして、前述の郵便局の態度がはっきりとしない点や、その地鎮祭の会社でのゴタゴタもあり、やはり、収入的に太い道1本で行くべき、というよりも、朝起きて昼働いて夜には家に帰るという、普通の生活をしたかっただけなのだが、それを理由にすでに次の道を決め、そんな時に前述の自分の体の中の異変が起きたのであった。

いまでは時期的な詳細は忘れてしまったが、ほぼ、同時期にそれらの会社を辞め、次のフェーズに移行したと思う。

次にぼくが目指したのは、軽自動車での冷蔵商品配達の仕事だった。

実は、そこもまた地元の氏神様のところへ行き、

「以前、ご紹介頂いた会社をコレコレこういう理由で辞めてしまいました。大変、申し訳ないのですが、また、新たな地元の会社を紹介して頂けませんでしょうか?」

このぼくの厚かましい願いに、また、氏神様は快く?応えてくれたのだった・・・

前の地鎮祭の会社の事務所に非常に近いところで少し躊躇したが、そこに先程の会社の事務所があった。

そこは軽の冷蔵トラックで、冷蔵物の配送を請け負っており、そことのフランチャイズ契約をするという図式だ。

ぼくははじめて個人事業主として独立できることに少しワクワクした。

「これで一応小さくとも、一国一城の主か」と。

まずは冷蔵仕様の軽トラックをローンで購入し、そことフランチャイズ契約を結んだ。

仕事は至って簡単。決めたれたルートの配送先にモノを届けること。

が、先方の新たな仕事の開始時間を聞いて少しひるんだのだった・・・

朝、3時、開始と・・・

ということは、朝?2時には起きて、すぐ現場に向かわなければならず、これであれば、夜勤と一緒ではないかと。

が、そこでひるむわけにもいかず、そのまま了承し、仕事をスタートさせたのだった。

仕事の流れとしては、1日に2つの会社の仕事を請け負うという契約で、朝3時からは主にトン骨!などをラーメン屋に納品し、8時すぎには普通の肉屋の卸からレストランなどに肉を配達するというものだった。

しかし、仕事初日のインパクトが凄かった(笑)

もちろん、食品など扱ったこともなく、いきなり、今度は豚の骨やチャーシュー用の肉を扱うのだ。

映画「デリカテッセン」ではないが、家畜の血の匂いのする製造工場から、そこに用意された、ビニール袋にドリップのたっぷり溜まった丸められた肉などを車に詰め込むのだ。

しかも、車の規定以上に!!

初日は800キロぐらいはあったのではなかろうか。

自分の買った新車の車がぶっ壊れるのではないかと思うほど、肉やら骨を満タンに詰め込み、決められたルートに配送するのだった。

軽にそれだけ荷物を積めば、車はちゃんと走るわけもなく、フラフラしている車をブレーキに気をつけながら注意深く運転するのだが、大丈夫か??という不安な思いからの仕事はじめとなったのだった。

しかし、それら肉やら骨に慣れるのには少し時間がかかった。

だって、真夜中に豚の骨やら肉、中には豚の頭の骨とかもあるわけで、そんなのを自分の後ろに満載して走っているわけだから、あまり、気味のいいものではない。

この仕事での最期の方などは、1日に1箇所だけで豚の頭を50個!!を納品しなければいけないところがあったりしたのだ!!

でも、なんとかこの仕事にも慣れ、2年が過ぎた頃、フランチャイズ契約をしていた会社から急に呼び出しがあった。

行けば、3時からはじまる会社の仕事が急に失くなると・・・

はぁ??

とりあえず、家で待機していてくれと。

というか、8時にもうひとつの会社と契約しているので、3時からの会社の仕事は一旦休止で、8時からの会社の仕事だけしといてください、という話であった。

あまりにも急な話で、とにかく、3時からの仕事は少し待ってください、の一点張りだったので、とりあえず、待つとしたけども、働かなければその分の報酬は発生しないわけで、この時からぼくの中ではこのフランチャイズの会社の方針に、疑問を抱きはじめたのであった。

結果、3時からの会社で新たなルートを作ってくれて仕事再開となったのだが、仕事量が増えた上に距離も走ることとなり燃料も加算されることから、ぼくはこれを機にこのフランチャイズの会社に乗り込んだったのだった。

理由は、この突然の話で仕事がストップしてしまった部分の売上保証の交渉と、前々からこの3時からの仕事の報酬の異常な低さに頭にきていたので、それらのパーセンテージの交渉をするというものだった。

この3時からの仕事は時給1400円。

朝の3時から働いて、しかも、ガソリン代、車代、全部こちら持ちで、その配送重量含めてもこの金額は基本あり得ない。

他で夜勤のバイトした方が時給は高いくらいで、その会社は8時からはじまる仕事の時給と両方で考えてくれとはいっていたのだが、そちらの方も1600円とそれほど大した金額ではなく、だからこそ全体的なパーセンテージの引き上げを要請したのだ。

しかも、そのフランチャイズの会社はただピンハネするだけで、普段から得意先ときちんとコミュニケーションを図っているのであれば、そんな急に担当ルートが失くなるなどというアホな話は普通はないというものだ。

ぼくからいうと、それは先方の業務不履行ということで、そこら辺を突っ込んで、先方の社長、専務、人事担当相手に交渉をしたのだ。

「パーセンテージ要求してくる人なんて、いままでいなかったよ。おたく、うちのやり方知ってる??」

「知ってるも知らぬも、他の人のことなど知らないし、いわゆる、パーセンテージ交渉するのは普通でしょう?」

これらの押し問答に、結果、休止期間の売上保証はとれたのだが、残念ながら今後もパーセンテージアップはないという解答だったので、ぼくはこの段階でこの仕事を辞めることを心に決めたのだった・・・

そんな簡単に!

と、言われそうだが、1日12時間近く働いて、すべての経費を引くと、手取りで30万を切る。

車のローンを考えても、1日200キロを走り、年間約4万キロ以上。

1台目をローン返済する頃には、もう次の車を購入しなければいけない計算となる。

となると、未来永劫、ずっと、手取り30万弱。

もちろん、契約で決まった休み以外、まったく休みなし。

当然、夏休み、冬休みなどない。

アホかって、話である。

定年がないのだけが取り柄じゃないかと、ぼくはその仕事に見切りをつけたのである。





そして、ぼくは、その時が来るまで、とりあえずは、この仕事を続けたのだった・・・

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