ぼくの息子は戦闘モノが嫌い
今年18歳になる我が息子は当たり前のごとく戦闘モノなど観ない。
が、しかし、彼は、その昔から、戦闘モノを観ないのだ。
大体、ぼくのような馬鹿な男親は、我が息子を男の子なんだから、という単純な理由で、ウルトラマンや仮面ライダーなどいわゆる戦闘モノを観せるのだが、彼は興味がないという。
理由を聞いたら、戦いがあまり好きではないようなのだ。
ぼくは少しの驚きとともに、その時、我が息子を褒めた。
戦いが好きではないというのは非常にいいことだと。
だって、この日本においては、すべてが戦いモノばかりで、NHKつければ大河ドラマで常に戦しているし、アニメに至ってもすべて戦うものばかりだ。この日本においては、女の子達さえ集団で戦っている始末。
そして、社会へ出れば、これまた、戦いばかりで、どうしてこうも人間は戦いが好きなんだろう?と、本当に思ってしまう。
ぼくは自分のその息子ではないが、それら戦いを美化するのが嫌いで、理由は単純で、殺し合いを美化できないだけなのだが、この殺し合いを美化する精神がそもそも理解できない。
ぼくの大学時代の友人に、大学から受けさせられた心理テストにおいて、戦いは?という質問に、「しょうがない」と答えた強者もいたが(笑)確かにしょうがないかも知れないが、できればお互い避けたいものだと思うのだ。
だって、それでお互い傷つけ合うなんて、もったいないじゃないか。
いがみ合い、戦い、死ぬ、為に生まれてきたわけでもないし、ましてやアホな殿に仕えて死ぬなど、もっと、悲しい話だ。
近代の戦争モノだってそう。
戦争は昔から、戦国時代からなにから、戦いはすべて醜いものなのだ。
美しいわけがない。
だからといって、戦わないことをよしとするわけではなく、もちろん、正義を貫くためにしょうがなく戦うことは自分を守るためには必要な行為で、逆を言えば、そういう時こそは本気で戦うべきだと思うし、だから、戦時中に国のためと行って死んでいった大先輩たちは英雄視されるのだ。
これは美しい。
でも、できうれば、戦いというものは避けたいものである。
負というものを積み上げるものではない。
もっと小さくいえば、ひとの恨みなど買うものではない。
ひとの恨みほど、恐ろしいものはないから。
だから、戦っては、基本、いけないのだ。
戦は、戦争は、殺し合いだ。
殺し合う必要のない人間同士の殺し合いだ。
そんなのに意味があるはずがない。
前出のポケモンと一緒だ。
飼い主同士が戦えばいい話なのである。
だから、ぼくはリアル・ファイトクラブが好きだ。
漢がプライドをかけて、ガチでリングの中でタイマン張ってるのだから。
これは美しい。
なぜか・・・
そこにはルールがあるから。
戦や戦争にはそれがない。
ただ、ひたすらジェノサイド。
そんなの”美”のハズがない。
そんな人類の負の遺産を、けして、美化すべきではない。