なぜ、ビックバンが起こったか?(その霊的理由について)

前回、これまた唐突にも認知症の本質についてなど書いてみたのだが、そもそも、この僕らの生きている世界は一体何なのか?そういったあたりからの話をしなければ、僕らの根本を説明できないと思ったので、まずは僕らのはじまりと思われるビックバンの秘密から今回は書いてみたいと思う。

皆さんは、この宇宙のはじまりと考えられているビックバンの前の世界のことをお考えになったことはあるだろうか?

宇宙はこのビックバンから生れ、そして、現在までもその勢いはとどまることなく膨張している・・・。これは現代科学でも当たり前とされている常識的な話ではあるが、では、そのビックバン以前はどんな世界があったのだろうか・・・。

僕らの秘密は実はここにある。

例えば、そこを想いの世界としよう。それはいろんな想いがただ平穏に漂っている、庵野さんがエヴァンゲリオンの世界で表現した原子のスープではないが、すべてが1つのエネルギーとして存在している世界。僕らの生きるこの宇宙が誕生する前には、そんなただ単のエネルギー的世界が存在していたようなのだ。

そして、そのエネルギーはある時ふと想った・・・

このフワフワしたいろんな想いが詰まったような僕らって一体どんな存在なのだろうか?

僕らのいる物理的な領域において自分自身を認識する場合、自分以外のものの存在があるからこそ、自分というものを確認できるシステムになっているように、ビックバンにおける物質化現象は、ここにその秘密があったようなのだ。

1つのエネルギーとして存在していたすべての可能性を持つ何かが、自分を認識する為に物質化することにより、自分自身を認識する壮大なる実験を始めた・・・。

それは実験などという軽いものではなく、実際、物質化した自分の体を通しての死にもの狂いの試みをはじめたという言い方をすればいいか、そんなとてつもない強い想いにより、それらエネルギーは実際、物理的な爆発を起こし、現在に至った・・・。

それが僕らが生きる、この宇宙のはじまりらしい。

ということは、ここが面白い点なのだが、いきなり日本の神道の話になるのだが、神道ではこの宇宙におけるすべてのモノには神が宿っている、という教えというか、宇宙の真理を語っているが、その最初の想いの世界を神の世界とすれば、神道の表現する宇宙の認識の仕方と宇宙の誕生経緯は奇しくも一致するのだ。自分というものをあらゆるモノに分散させ、あらゆるモノを通して自分自身を認識していく・・・、それが宇宙の誕生理由であり、宇宙の考える方向性のようなのである。

だから、この可能性の塊であるはずの宇宙には、僕ら地球人だけでなく、あらゆる生命体が存在し、あらゆる角度から神を体現しようとしている。それは地球にある石1つからでも。石だけではない。その物質の構成要素である原子、否、モノが存在する為に必要な反物質的世界に至るまで。

そして、この僕らの生きる地球においては、地球の誕生からはじまり、その鉱物的存在から植物が発生し、それらをエネルギー源とする単細胞生物から多細胞生物に進化し、今に至る。

その生命のあり方においても、昆虫類、爬虫類、魚類、鳥類、哺乳類など、ものすごく多種多様な存在があり、すべての存在は日々それらの形態を通して精一杯生きている。

ただ、ここでまた面白い生物が誕生した・・・。

そう、我々人類の誕生である。

この地球上だけの話ではあるが、僕ら人類だけが自然と反した生き方をしている。人類が誕生する前まではすべてがすべてを補完し、調和していた世界があったはずなのだが、この人類の登場でこの地球、および、地球に生きるすべての生命の存在が脅かされるようになる・・・。

こう見ると僕ら人類は狭い表現の仕方をすれば、地球、および、地球に生きる生命からすれば悪の存在ということになるが、この悪という概念さえも、ビックバン前のエネルギーからすれば自分を認識する為に必要なものであるように思うのだ。

悪がなければ善は存在できない。悪があるからこそ、善を認識できるのだ。闇がなければ光が存在できないように。

そうして僕らのソースであるはずの最初のエネルギーはいまでも様々な物質に自分を変え、自分自身を認識する旅をしている。

ここも面白いのだが、人類が存在するまでは、様々な生物の中でいろんな想いは存在したと思うのだが、それらを自分で認識し、考える存在はなかったように思う。

そう、自分達をより効率的に、しかも加速度を増して認識する為に、モノを考え、認識する生物が自分を進化させる為には必要であったのだ。

それが僕ら人類の誕生の理由。

だから、僕ら人類にはこの世を善と悪に分断し、いまだそれら概念を通して自分達を認識する活動をしている。もちろん、その分析領域は善悪だけにとどまらず、人類の興味はこの宇宙あらゆる領域に及び、まずは人類そのものを認識する為に、自分のまわりにあるありとあらゆる物質、現象を研究している。

そして、僕ら人類は、それら対外的世界にとどまらず、自分自身の内的世界である、心の世界、精神の秘密を探求するようになる。

我々は一体どんな存在なのだろうか?

否、我々は一体何なのだろうか?

そんな人間活動を通して、僕らは自分達を人生におけるすべての体験を通して認識しようとしている。

はぁ〜、神はなんとめんどくさい世界を創ってくれてしまったのだろうか。。。(ためいき)

でも、これらの強烈な刺激がなく、すべてが一緒の、他人や他のものを体験できない永遠の平穏だけが存在する世界があったとしたら、もちろん、それ以上の進化はないし、そこにあるのは圧倒的な退屈だけが存在するのではないか??

そこには時間もなければ、ただ様々な想いだけが永遠と存在するだけの世界であるのだとしたら・・・?

そんなの、あり得ないでしょ?(笑)

だから、神は自分自身を認識する為に、自分をあらゆるものに変え、しかも、自らをそれら行為により進化促進させる為、それらすべてを通して自分自身を認識することをはじめた・・・。

これが僕の知っているビックバン誕生の秘密。

これを単に僕の想像の話ととってくれてもなんでもいい。

僕はここで真理など語るつもりもないし、ましてや人をさとす話などもする気もない。

自分が知っていたり、信じている話をするだけである。

ただ、これらの話が少しでも人の刺激になり、生きやすくなるものになってくれるのであれば、それ以上の喜びはない、そんな気持ちでこれらを書いている。

なぜなら、これが僕の存在理由だと思ったから。

つーことで、今日のところはこれくらいにしておこう。

今日はいつもより少し文量が少ないが、内容が内容だけにちと疲れたのだ。

次のお題は何にしようかな・・・?

それも神のみぞ知る、である(笑)

それではまた、徒然なるままに。。。
















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