「土木」ということばの歴史を辞書でたどる
※月刊「建設」2020年1月号に寄稿した「土木」ということばの歴史を辞書でたどるのうち、国語辞書類がインターネット上で公開されなくなりつつある現状を踏まえて、内容を修正してここに記す。
1. はじめに
2019年9月、三省堂の国語辞典『大辞林』が13年ぶりに改訂、第四版として発売された。
三省堂「大辞林第四版」
「土木」の項目がこれまでとは一線を画す新たな説明内容となったので、「土木」ということばと関連語を古代からたどりながら、ここに紹介したい。
2. 辞書の「土木」の変遷
明治から今回改訂の『大辞林第四版』までの主な辞書の「土木」の説明を示す。いずれも、「[材料]などを用いて[構造物]などを造る工事のこと」という記述が中心である。
Google検索で「土木とは」と入力すると、最初に表示されるのは、『岩波国語辞典第七版』(2009年)の説明であった(※2021年現在は表示されない)。『コトバンク』サイトでは、『デジタル大辞泉』(2019年更新)と旧版の『大辞林第三版』の説明を見ることができた(※2021年現在、『大辞林第三版』は表示されない)。
記述だけで第三版の二倍程度の分量に増加している大辞林第四版の改訂の要点は以下のとおりである。
(1) 注記の〔古く「とぼく」とも〕
古代に「土木」は「とぼく」と発音されていた。
古辞書『色葉字類抄』(1177~81年成立)
(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
平安末期(1177~81年)に成立した橘忠兼の『色葉字類抄』は、頭音によって「いろは」四十七部に分け、さらに意味によって天象・地儀など21門に分けた辞書である。漢字の四隅に点を打って読み方を表す「声点※2」が付されており、当時の読み方の手掛りが得られる。「土木」は「度(と)」の部の「畳字(二文字以上で構成される熟語)」の門に「土木 伎藝 トホク 工匠分 又造作名也」とある。
「伎藝」は美術・工芸の技術、わざの意味、「トホク」は漢語の読みであり、声点は「土」の右上に一点、「木」の右下に二点の「去入濁」という調子の発音で、単純に表記すると「トボク」である。「工匠分」は語分類が工作の職人、大工であることを示す。末尾にある「名也」は同義語を表し、「造作」はものを造ること、建物を造ることである。
なお、隣の「同道 過客分 トウタウ」は、それぞれに二点の声点で「ドウダウ」という読みになる。
(2) 第一語義※1の「土と木。」
「また、飾り気のないことのたとえ。→形骸(けいがい)を土木にす(「形骸」の句項目)。」が追加され、中国の故事・成句の用例があることを示した。
(3) 第二語義の「インフラを造る活動」
第三版の「建設工事の総称」から「あらゆる産業・経済・社会等人間生活の基盤となるインフラを造り、維持・整備してゆく活動。」に改訂され、これまでの断片的、限定的な行為の呼称から非常に広い範囲の営為を具体的なことばで表す説明となった。
(4) 第二語義中の「インフラ」がキーワード
今回の改訂で「インフラ」という外来語「インフラストラクチャー」の略語が用いられたが、『大辞林』の「インフラストラクチャー」の参照項目には「社会資本※3」があり、これで「土木」と「社会資本」が結びついたことになる。
ちなみに国立国語研究所「外来語」委員会の『「外来語」言い換え提案―分かりにくい外来語を分かりやすくするための言葉遣いの工夫―』(2003~2006年)によれば、外来語176語のうち「infrastructure」だけが “「インフラストラクチャー」の略だが、一般には略語「インフラ」の方がよく使われる。”として略語の見出しとなっている。その言い換え語は「社会基盤」、意味説明は「交通、通信、電力、水道、公共施設など、社会や産業の基盤として整備される施設」とされている。
国土交通省の英語名称“Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism”にも含まれる重要なキーワードである。
(5) 第二語義にことばの歴史的変遷を記述
語誌※4〔古代・中世においては「造作」などとともに建築工事の意で用いられたが、以降江戸時代まで「作事」「普請」が使われ、明治になってから再び「土木」が「建設」「建築」とともに使われるようになった〕が加わった。
古辞書『下学集』(1444年成立)
(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
室町中期(1444年)に成立した東麓破衲の国語辞書『下学集』の「態藝(行為や技芸)」門の一節で、読み下すと以下のとおりである。
・普請 普諸人ヲ請メ事ヲ作ス 故普請ト云
・細工 刀ヲ把者
・當道 諸藝ノ之道
・經營 一切ノ事ヲ営也
室町幕府に作事奉行、普請奉行が置かれ、建物を造ることについて「土木」にかわり「作事」「普請」が多く使われるようになった。「経営」は事業を営むことで、建物を造る「造営」と同じ意味である。
この語誌の裏付けとなる「土木」と関連語の歴史年表を模式化して示した。
「土木」ということばの歴史の模式図
「土木」は鎌倉時代から江戸時代まで武家政権の下で公的な文書にほとんど用いられず、辞書への採録も限られていた。
典型的な例が、江戸開府の頃(1603~1604年)に長崎でイエズス会宣教師によって出版された『日葡辞書』である。ポルトガル語で約32,000語の日本語を記録する網羅的な辞書にもかかわらず、ここに「土木」は採録されず、「普請」「作事」「造営」などが建物を造る意味のことばとして採録されている。
「土木」が再び登場するのは、明治維新後である。慶應四年(1868年)五月『太政官布告第三百九十五号』「國家多事之折柄軍資ヲ始メ總テ莫大之御費用ニ付土木之功ハ勿論 朝廷御用費ヲ始メ諸事御省略 被仰出候事」で公文書に「土木」が使われ、明治二年(1869年)五月に民部官のもとに「道路橋梁堤防等營作ノ事ヲ専管スルヲ掌ル」「土木司」が置かれた。明治官制こそが、現在に至る「土木」の直接の起源である。
(6) 第二語義の参照項目「→建築」を削除
語誌に「建築」が示されたことから第三版の参照項目は削除された。一方、「けん ちく【建築】(名)(スル)家・橋などをたてること。また、建造物。狭義には、建築物を造ることをいう。普請(ふしん)。作事。「ビルを―する」「会堂ヲ―スル/ヘボン三版」〔明治期につくられた語〕→土木」は変わりなく、「建築→土木」への参照は維持された。
3. 「土木」の関連語の今昔
第二語義に「道路・橋梁・鉄道・港湾・堤防・河川・上下水道など」と「土木」の対象が列挙されている。これらを同じ『大辞林』がどのように説明しているか調べると、第三版からほとんど変更なく、以下のようになる。
では、千年前はどうだろうか。平安中期(931~938年)に成立した源順の漢和辞書『和名類聚抄』を見てみよう。十巻本と二十巻本があり、漢語を意義分類し、出典を記して意味と解説を付し、音読みと訓読みを示している。下図は十巻本の写本(1821年)から水土類、道路類、道路具という分類の漢語に訓読みが付された部分を抜粋したものである。
『和名類聚抄』十巻本(931~938年成立)
(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
抜粋部分を現代様式の訓読みをひらがな、音読みをカタカナでルビ表記すると以下のとおりである。
いくつか現代語に直すと、拮槹ははねつるべ、妙美井は清水、堊は漆喰、葱臺は擬宝珠、遉邏は道守、雁歯は雁木である。
なお、この『和名類聚抄』二十巻本には独自の「国郡部」があり、備前国の地名に「土木」が出てくる。下図は、国学者の本居宣長が地名を分類した『地名字音轉用例』(1800年)著作のために用例収集した自筆書入のある『和名類聚抄』の該当部分である。「土木」に、原本にはない「とき」という地名の訓読みと注記が書き入れられている。『日本歴史地名大系』によると、広島県庄原市一木町にあたるとの説は疑問とのことで、現在地は不詳である。
『和名類聚抄 国郡部』(本居宣長自筆書入)
(所蔵:京都大学附属図書館)
4. おわりに
今回の『大辞林第四版』改訂は、土木学会の土木広報アクションプラン小委員会(大石久和委員長、2013年)が策定した一項目「国語辞典における土木の意味と用例の提案、普及」の継続的な活動と平成二十九年度会長特別委員会「安寧の公共学懇談会」(石田東生座長、大石久和会長)における「土木」ということばの歴史的な変遷についての詳細な調査研究による出版各社への働きかけが一つの成果となったものだ。関係する皆様に深く感謝したい。