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ぼくの美学
現役最後の試合(35戦目)をしてから明日で丸18年。ブログ、SNSでは明かしていないことをここに書き残しておこうと思う。
2006年2月5日
名古屋国際会議場
OPBF東洋太平洋Sフェザー級タイトルマッチ
王者:ランディ・スイコ vs 挑戦者:杉田竜平
あの試合、「杉田は負けたら引退!」と、実況のCBCテレビ髙田アナは言っていた。でも僕は、勝っても負けても引退と決めていた。
試合が決まってから三ヶ月、そのことを誰にも言わずに過ごした。畑中会長はじめ、友人知人、両親にすら言わなかった。
試合リングに上がる直前にはじめて、畑中会長と津々見先生に「これで引退します」と伝えた。畑中会長は、「うん、俺らもこれで辞めさせようと思っとった」と言った。デビューから11年、何も言わなくても弟子の心情は察していたのかもしれない。
現役最後のリング、勝ち負けよりも全力でぶつかっていき、観に来てくれた人が興奮するような試合をしようと覚悟を決めていた。お客さんが盛り上がる試合、つまり、打って打って打ちまくる試合をすると。
スイコは『フィリピンの石の拳』と言われたハードパンチャー、1ラウンドめはカラダも温まっていなくパンチも効きやすい。それが恐かった。
でも、ここで逃げているようでは今後なにをやっても逃げるような人生になるのではと思い、覚悟を決め、ゴングが鳴ると同時に打って出た。
実力差は明白だった。でもそんなのは関係ない。むしろ、実力差があるのであればガンガン打っていしかないと思っていた。2ラウンドめにダウンを喫するも、その後も打って打って打ちまくった。
結局最後は、第4ラウンドに右アッパーをもらい、そこで畑中会長がタオルを投入して試合終了となった。
直後、畑中会長の胸で僕は大泣きした。人前であんなに泣いたことは後にも先にもあの時が初めてだった。悔しくて泣いたのではなく、色んな感情が入り混じった涙だと思う。会場、テレビを観ていた多くの方が感動してくれた試合となった。
僕が34戦して最終的にたどり着いた結論、そしてプロボクサーとして一番大切なこと、それは、『人に感動してもらえるボクシング』だった。
解説の薬師寺保栄さん、飯田覚士さんも涙してくださった。それほど感動してもらえる試合ができたのは、引退することを誰にも言わずに過ごした3ヶ月があったからだと思う。
「次で引退する」と、みんなに言いたかったけれど、それを言ってしまうと何かが崩れてしまいそうな気がして心に秘めておいた。自分だけが知っていればいいと思った。
いま思うと、あれは〝杉田竜平の美学〟だったのではないかと思う。
あの時のことをもう一度思い出し、
そんな美学を持って僕は生きていきたい。